【4】
夏休みの開始はいよいよ明後日に迫ってた。動ける範囲に限界があるから、調査は進んでいなかったけどベジブルの朝賀さんとはすっかりアイコンタクトを交わし合う仲になっていた。今日は、餃子の皮とにらを買いに来ていた。
広告の品だけあって、餃子の皮はあとわずかになっていた、人込みをかき分け目当ての物を二袋つかむとかごに入れた。あとは、にらだけだ。
「またお使いか。偉いな」
突然の声に振り向くと、1週間ぐらい前にぶつかったあのお爺さんが立っていた。なんで、ぼくがあのおじいさんだってすぐに分かったかというと、あの日とおんなじ真っ黒な服を着ていたからだ。またしてもお使いってばれてる。
「どうしてお使いってわかったんですか」
「そんなにメモを見ていれば、誰だってお使いだろわかるさ」
「なるほど」といったものの、そんなにメモを見ていたのかと急に恥ずかしくなった。おじいさんのかごには値下げされたお刺身と季節外れの高いミカンが入っていた。お金もちなんだか貧乏なんだかいまいち分からない。
「おじいさんもお使いですか」
「馬鹿言うな、わしは一人暮らしだ。ところで、今日もそのカメラ持ってるんだな」
「あ、はい。大切なものなんで」
「そうか、引き止めて悪かったな」
それじゃ、とぼくは朝賀さんのレジに向かう。朝賀さんのレジさばきの速さといったらは半端じゃなかった。あれがプロフェッショナル。
餃子の皮をレジに通しながら朝賀さんが、あのおじいさん「知り合い?」と聞いてきたので、「ぶつかった仲です」と答えておいた。とりあえず嘘じゃない。
「ふーん。はい、480円です」
500円玉を渡して店の外に出ると、またあのおじいさんがいた。ベジブルユーザー同士、「ぶつかった仲」を深めようと思いきって話しかけることにした。
「あの、ここよく来るんですか」
「なんだ、またお前か。ここはこの時間、毎日来る。近所だからな」
意識しないと、こうも人の顔って見ていないものかと驚かされた。ぼくだって、毎日この時間ベジブルに来るのにおじいさんをに気が付いたのは、ぶつかった日と今日だけだ。
「ぼくも毎日来てるんです」
「知っておる」
「えっ」
「殆ど毎日、何か買いに来ているだろ。そのカメラを持って。雨の日はカメラ無しだがな」
正解。ぼくは見られていて、ぼくは見ていなかった。どうやら詰まるとこそんな感じの様だ。
「で、わしに何の用だ? まさか、毎日来るかどうかの確認だけではあるまい」
ごめんなさい。そのまさかです。この先なんて、なんも考えてませんでした。なんて、口が裂けても言えない感じになってしまった。どうしよう。幸運にもいましょってる調査用リュックに入っている資料でその場しのぎをすることにした。
「ぼ、ぼく。その、調査をしていて。この写真の場所を知りませんか」
例の写真をおじいさんに見せる。
ちょっと待て、というとポケットからメガネを出してそれを掛けると、細いしわくちゃの目をさらに細くして写真を覗き込んだ。
「すまんが、知らんな。ただ、いい写真だ。誰が撮ったんだ?」
「ぼくのじいちゃんです。いまは、ちょっと連絡が取れないんですけど」
「そうか。で、その場所を探してどうするんだ?」
「…………」
意外な質問でもないはずだ。でも、ぼくには答えが見つからなかった。とにかくあの公園に行けば何かが、3年前から止まってる何かが進むと思った様な気がしていただけだった。結局お爺さんに答えることはできず、先におじいさんが口を開いた。
「なんだ、理由もなく探しているのか。それは大変だな」
責められると思ったのに、ここは意外だった。年をとるとこんな考え方もできるんだと感心した。
「ありがとうございます。でも、理由がないわけじゃないんです。でも、こう、うまく言葉にできないっていうか」
「なら無理にすることない。そのうち、理由なんぞついてくる。にしても、今時、お前みたいな素直にできないことをできないと言える子どもは珍しい。名前はなんという?」
「子ども」っていう単語には少し引っ掛かったけど、おじいさんに気に入ってもらえたらしかったから嬉しかった。
「郁です。姫森郁です。おじいさんは?」
「ん、姫森郁か。いい名前だ。わしか、そうだな、シロさんとでも呼んでくれ。働いているときによく呼ばれていたからその方がしっくりくるからな」
「何の仕事をしてたんですか?」
「人助けだ。学校もその内、夏休みじゃろ。ま、お互い暇な身。そのうちゆっくり話すとするか。今日はもう帰るとしよう」
お茶を濁す感じで納得はいかなかったけど、じゃあ、と言ってぼくらは別れた。帰り道はタイムロス取り戻すために小走りで帰った。なんだか嬉しくて、顔がにやけた。走りながら少し歌ったりもした。
「ただいま。遅くなってごめん」
「んもう。いいよ、今日もありがと」
いつものように、袋を受け取ると、お母さんはキッチンに消えていった。さっそく、にらの袋を開けるガサガサって音が聞えた。
夕食までは、もう少しあるだろうから、今日学校で少し早めに配られた夏休みの宿題である「夏休みの友」を進めてしまうことにした。一向に「お友達」にはなれないままついに6年目になった。漢字の書き取り、分数の計算、それから英語をちょこっと。一つ一つは簡単なはずなのに、いざ、こう束になってかかってこられると、どうしても鉛筆が進まない。
分数ページの隅にいる、やたらめったら笑顔のウサギのキャラクターに落書きをしていたら少し前にお父さんが話してくれたあのお化けの話を思い出して、ぶるっとした。
「チョールト!」部屋にはぼくひとりだし、思い出すタイミングとした最悪だ。福島から遠く離れて東京にいるはずのお父さんに悪態を付いてみる。念のため、心の中で。いまさらながら、お父さんはどうしてあんなにお話がうまいのかは疑問だ。怪談はもちろんだし、ミステリーもすごく不思議な話とか、あと、グリム童話みたいな話をしてくれる時もあるし。それが実話なんだか、お父さんがその場で考えた話なのかぼくには判断ができない。ただ、きっと小さい頃は本に囲まれて育ったんだろうなと思う。なにせ、お父さんのお父さんは、あのじいちゃんなんだし。いつも、何かしらを読んでいるイメージがあった。ぼくの分からないような難しい本で哲学とか、経営学とか「○○学」っていうのばっかり。「郁にはまだ早い」って言うのがじいちゃんの口癖みたいなもんだった。
「郁、ごはん!」
「今、行くー」
分数の割り算は結局3問しか進まなかった。ウサギは髭の長い怪物になっていた。まぁ、夏休みはまだ始まってないからよしとする。
我が家の餃子は手作りが基本。お母さんが作るやつは物凄くうまい。ちなみにぼくが皮を2袋買ってきた理由は、お父さんに冷凍して送る用の餃子を余分に作るためだった。毎回お父さんに褒められるとお母さんは、「店でも出そうかしら」って言って笑っていた。
「やっぱりうまい」
「でしょ。否定はしないよ。全国進出できるレベルでしょ」
「それは言い過ぎ。そうだ、今日スーパーでおじいさんと仲良くなったんだ。少し前にぶつかって転ばせちゃった人なんだけどさ―――」
ここまで話したところで、不意に電話が鳴った。お母さんの携帯じゃなくて家の電話だ。
はいはい、とお母さんが経ち上がってリビングの入口に据えてある電話に出る。
「もしもし、姫森ですが」
「はぁ、あぁ! ご無沙汰しております。お元気でしたか。あ、はい。ええ、ここに。はい」
ここに? ぼくの話をしているのかと少し不安になったけど、親戚の人かなぁと思ってテレビに目と耳を向けた。歌番組では上半期の人気曲ベスト50のランキングを紹介していた。ぼくの大好きな中島みゆきがランクインしていないかワクワクしていたけど、20位から10位の間には入っていなかった。ただ、あんな人気歌手となればベスト10も夢じゃないはずだ。
「えぇ、よろしくお願いします。では、失礼します」
5位まで発表されたところで、お母さんが電話を切った。まだ中島みゆきは紹介されていなかった。
「誰から?」
「稔おじさんから。前とおんなじで、大丈夫? って心配してくれたの。もちろん、郁のことも」
稔おじさんってのは、お父さんのお姉さんの旦那さんで、ぼくの伯父さんにあたる。東京の大学を出た後、会社を作って成功した。お正月に我が家に来た時は一緒にゲームをしてくれたり、パソコンの使い方を教えてくれたりしてくれる。実は、「とーかぶる」を作ったのは稔おじさんで、ぼくの密かな自慢だったりする。あの震災でお父さんの仕事が実質ゼロになった時、「単身赴任でもよければ」って雇ってくれることになった。生活に関しては、社宅もタダで貸してくれるているみたいで、お世話になりっぱなしだ。いわば稔おじさんは姫森家の救世主なわけだ。そんな伯父さんは、半年に1回ぐらい連絡をくれて、いまだに心配をしくれている。父さんの存在は、もちろん大きいけど、お母さんにとっては稔おじさんも大きな支えの一つになっているみたいだった。
「さすが、伯父さん。紳士だね」
「そうね。お父さんの事もあったし、助かる。でも。餃子冷めちゃった。チンしてこよっと」
取り皿にあった3つの餃子をレンジにかけるために、お母さんはまたキッチンに行く。テレビから中島みゆきの声が流れることはなかった。
そうこうしているうちに、とーかぶるの時間になった。今日はまだお風呂に入ってないから、早めに終わってお風呂に入らないと。明日は朝早くから、小学校でゴミ拾いがあるから早起きしなきゃいけない。
いつもの手順でとーかぶるを起動してログイン状態をチェック。お父さんは退席中だった。じいちゃんはオフラインだった。
「ズドラーストヴイチェ」とチャット画面に入力して、送信。退席中だったお父さんからものすごいスピードで返信が来た。
「何の暗号だ?」
ぼくは、テレビ電話の発信ボタンをクリックする。少し画面が暗くなった後、お父さんが映った。
「ロシア語のあいさつだってば。前にも教えたじゃん」
「そうだったっけ。すまん、すまん」
「まぁいいや。あと、明日早起きだから今日は少しだけね」
「それならちょうど良かった。お父さんも明日、会社で大事なプレゼンがあるから今日は短めのやつを用意してきたんだ」
「プレゼンって?」
「会社の人に、お父さんのアイディアを紹介するんだ。な、大事だろ?」
「言えてる。仕事大変?」
子どもっぽい質問をしちゃったと思った。仕事は大変で当たり前なのを、じいちゃんから嫌ってほど聞かされてたから。
「ん、どうした突然。仕事は大変だけど、楽しいぞ。もしかしたら、明日はお父さんの意見が通るかもしれないんだ」
「グッとくるね」
「だろ。それじゃ、今日の話だ」
お父さんの目が笑っていたからたぶん本当なんだと思う。それから、ぼくは家族の微表情は読まないようにしている事を改めて思い出して反省した。ある心理学を扱ったドラマの主人公が言っていたけど、家族の嘘まで疑ってたら疲れちゃうって。仲良くすべき家族が「嘘つき」かもって疑うことって、なんか切ない。ぼくは家族をずっと好きでいたい。
「今日は『ブレーメンの音楽隊』のその後だ。あの話は小さい頃したし、家に絵本もあるから知ってるな?」
「もちろん。ロバが飼い主から逃げ出して、犬と猫とあと何か1匹と仲間になって森の小屋で盗賊を倒して、仲良く暮らしたって話だよね」
持ち合わせのぼくの記憶ではこれが限界だった。
「あと一匹は鶏な。ま、それだけ知ってれば十分だ」
「じゃあ話は、その仲良く暮らし始めた部分から始まるんだね」
「そう。ただ、4匹の暮らしはそううまくはいかなかった。はじめは、盗賊を倒した余韻に酔ってたんだんだな。しかし、所詮は動物。季節はいつしか冬へと移り変わり、食べ物にも困る様になるわで、生活は困難を極める。そんな中、最年長だったロバが病死したんだ」
そうだ、ロバは年老いていたせいで、虐待を受けるようになって脱走したんだった。そんなロバが、旅をしたうえ盗賊を倒したとなると凄い重労働だったはずだ。死んじゃうのも無理ない。
「みんなの知恵袋で、チームをまとめるリーダーだったロバが死んだことで、残りの三匹の結束は崩れ始める。ロバが死んだのは誰のせいだとか、いらない話まで始める始末になった。でも、他に行くあてのない彼らは小屋内別居状態になっていくんだ」
「なんか、切ないね。一度は家族みたいになったのにさ」
「そうだな。ただ、彼らの絆の溝は誰にも埋められなかった。それでも、お腹は空くし、寒さは厳しい。救いのない日々だけが過ぎていった。近くにいるはずなのに、とっても遠い元仲間を感じながらな」
真冬の森の小屋で、少し前まで家族みたいに仲が良かった仲間と実質別居する動物たちを想像すると、ぼくまで寒くなった。
「そのままじゃみんな凍え死んじゃう。今日は救いの無い話?」
お父さんは、ふうと息を付くと話を続けた。
「誰も口を利かないまま数日が過ぎたある日のことだった。犬がものすごい熱を出してうんうん唸ってた。それはもう、見るからに辛そうな状態で。当然、ロバの事があっただけあって、鶏も猫も心配した。ただ、意地もあった。それが下らないことだって、分かってたけどやっぱりその意地を捨てられなかった」
「犬死んじゃったの?」
「あぁ。次の日の朝には冷たくなってた。猫と鶏はどちらからともつかず犬の傍に行くと、犬を小屋の中になった荷車に載せて雪の中運ぶと、ロバの隣に埋めることにした。2匹はそれを暗黙の了解の内にしたんだ」
「アンモクノリョウカイって?」
「ま、黙ってても仲間同士で通じる約束事みたいなもんだな」
「仲間同士ってことは二匹は犬のおかげで仲直りできたの?」
「結果的にはな。でも、二匹はそれとこれは別の事だと割り切ったつもりでいたんだ。ただ小屋に帰ると、自然と彼らは向かい合う様に座った。目も合わせない小屋内別居が始まってから約二週間後ぶりの事だった」
やっと、この話にも明るい展開が、「ブレーメンの音楽隊」の当初の明るさが戻ってきた気がした。
「その時だった。小屋の外で物音がした。動物じゃない。人の気配だった。会話の内容から、その人間は彼らがかつてやっつけた盗賊たちだったんだ」
「もう二匹じゃお化けの振りして追い返す事も出来ないよ」
「そうだな。そこでやっと彼らは、仲間の大切さを思い出すとともに、自分たちがいかに馬鹿だったか気が付いた。二匹は互いに抱き合うとおいおい泣いたんだ。それはもう声高らかに泣いた」
「失ってやっと気が付いたんだね。本当に馬鹿だよ二匹とも」
そんなんじゃ遅すぎることはよく知ってるつもりだった。仲良くしてたつもりだって、いざ手が届かなくなると、もっと出来た事があるんじゃなかったかって後悔するのに。
「一方の盗賊は、無人だと思っていた小屋から泣き声がしてまた幽霊が出たと思ったんだ。前来た時も四匹の影で幽霊が出たと思ってたから、『また出た』って一目散に退散してった」
「2匹は助かったんだね」
「一応な。そして、やっと意地を捨てられた2匹は仲間に戻れた。失った物は大きかったけどな」
「少し重たい話だったね。短いけど重いよ」
「話してるお父さんも、こんな展開になるとは思ってなかった。ごめんな」
「ただ、凄く外国の童話っぽかった。なんでお父さんはそんなに何でも話がうまいの?」
少し笑って、「それはまた今度な」って言うとぼくらは短い通話を終えた。
なんだか、あの抱き合いながら泣く猫と鶏が夢に出てきそうだった。ソファではお母さんがうたた寝をしていて、テレビからは9時のニュースが流れて、福島原発の停止工程が進んだと総理大臣が話している。ぼくはそれを一瞥すると、お母さんにソファの横にある茶色いブランケットを掛けてお風呂に向かった。
湯船に浸かりながら、あの犬の気持ちを想像した。最後の瞬間に何を思ったんだろう。助けてほしかったんだろうなと思うと、何とも言えない気持ちになった。あんなの寂し過ぎる。熱めのお湯のはずなのに、ぶるっとした。かわいそうな犬の想像を振り切ると、お風呂場を後にした。
リビングに戻るとお母さんが起きてて、台所で明日の朝ご飯の準備をしていた。といっても、お米を洗っていただけだけど。
「ブランケットありがとう。お父さんの話聞いてたら、お母さんいつの間にか寝ちゃった」
「最後まで聞かなくて正解だよ。今日はうんと重たかったから」
「そっか。あー、そうだ、明日早いんでしょ。そろそろ寝なきゃね」
お母さんはとぎ汁をシンクに流すと、また水を入れて、軽快に米をといでいく。
「うん、そうする。ゴミ袋だけ用意していおいてもらってもいい?」
「玄関に置いておくよ」という返事を聞くと、ぼくは「おやすみ」といって、ベッド向かった。背中にはお母さんの 「おやすみ」が飛んできてふわっと消えた。