【1】
初めて書いた小説です。
福島で経験した今回の大震災を、何かの形で残そうと思い書きました。
多くの方に読んでいただけたら幸いです。
また、一刻も早い被災地復興と、亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
アメリカでは寝るとき以外靴を脱がないらしい。多分今日みたいな雨の日には家の中が家族の靴跡でいっぱいになることだろう。一体、さっきまでの太陽はどうしたのだろうか。このままではカメラが危ない。だから梅雨から抜け出しきれてない七月って嫌いなんだ。普段、雨の日には部屋の鍵のかかる引き出しにしまっておくのだけれど、今日はさっきまで晴れだったのだからしょうがない。
黙ってお母さんの言うことを聞いて傘を持ってくるべきだったけど、ぼくの天気予報“予測”によれば、今日の天気予報ははずれる予測だった。朝の『おはようジャパン』の天気予報は3回に1回ははずれる。今日はその1回だったはずなのに。どうやらぼくの確率の計算をし直す必要がありそうだ。
「チョールト!」
世界には日本語以外の言葉がある事は、去年から小学校で始まった英語の授業で知った。ただ、日本語と英語のほかに言葉あるのを知ったのはついこの間の話。偶然インターネットでこのロシア語を見つけた。「くそっ!」って意味。誰にもばれず悪態を付けるすばらしさがこんなに楽しい事とは思わなかった。
悪態をついたところでもちろんカメラも答えてくれないから、そっと首から掛けている、ヨレヨレのストラップを握ってみる。この前、お母さんが新しいのにしてくれるって言ってくれたけどあえて断った。このストラップじゃなきゃぼくが首から下げる意味は無くなっちゃうし、何よりこのヨレヨレ感がお気に入りだった。ちなみにこの黒とシルバーの古いカメラはライカといって、ホームページによると1990年にボディの色から「パンダグラフ」と言う名前で発売されて人気も上々だったらしい。
2000年代生まれの身からすると、1990年代ってのは、歴史の教科書の最後の方に載っている時代で、遥か遠い事のように感じる。ただ、ぼくがこんな論理的じゃない事を考えているということは内緒だ。ぼくは時々論理的じゃないと分かっていながらその「じゃない」考えを膨らませることがある。ただ、これが「学校の勉強よりも大切な事」とじいちゃんが言っていたのだから、きっと悪い事でないない。
あと3分待って、止まなかったら走って帰ろう。と、決めてから目の前の公園にある時計台の針はゆうに5分は進んでいた。雨脚は激しくなるばかりで、止む素振りは一切見せない。たとえ走って帰るとしても、ぼくが濡れるのは一向に構わないが、このカメラだけは決して濡らすわけにはいかない。
この前買ってもらったばかりの紺色のパーカーのフードをかぶり、首元の紐をぎゅっと引いて結んだら、カメラは下からパーカーの中に入れて準備完了。この公園から家まで全力疾走すれば2分47秒で、これは先週の日曜日にぼくが計ったばかりだから信用できるデータ。お腹のカメラを守るように腰を曲げて、じいちゃんみたいな姿勢で超高速ダッシュすれば、カメラは濡れないどころか、最速ラップが出るかもしれない。あと30秒もすればなりだす4時を告げる時計台の音楽を合図にかけ出すことにしよう。
鳴り始めた音楽と共に足を踏み出すと、1歩目で水たまりをふんずけた。靴下はおろかズボンの裾までぐしょぐしょだ。しかし、ここでのタイムロスはとにかく命取りになる。いっそ水たまりをふんずけながら帰ってやる。という、幼稚な事はしないで、ぼくは全力で走りはじめる。浸水を全身に感じながら、雨の街を駆け抜けるぼく。「チョールト!」
家に着いた頃には、背中を中心にドブネズミの様になっていた。本物のドブネズミは見たことが無いから、一応図鑑で確認して、ついでにそのページはコピーしておくことにしよう。
恐る恐る、お腹からカメラを取り出すと、カメラはレンズが曇っている以外は3分前と同じだった。お母さんが持ってきてくれたタオルでぼくの前にカメラのレンズを拭いた。ところどころついた水滴も丁寧に拭くと、そのタオルで髪の毛をくしゃくしゃに拭いた。タオルからほんのり香る柔軟剤の甘い匂いがぼくんちの匂いだ。そして、これがお母さんの匂いだってこともぼくは知っている。
びちょびちょの靴下を脱ぎながらリビングに行くと、「まずお風呂!」とお母さんが叫んだから、ロンドンの宮殿に仕える衛兵さんみたいにきゅっと直角に曲がって言われた通りお風呂に向かう。替えの下着とパジャマはもう用意してあった。ちなみにカメラはもちろんお風呂にいっしょには入れないから、洗濯機の上の棚にのせた。濡れた衣類を次々と洗濯機に放り込んだところで、バスルームの扉が開いてお母さんが入ってきたもんだから、ぼくはお尻を向けることぐらいしか自分を守る方法が見つからなかった。
「あら」
「ノックは常識でしょう。ちなみに、二回だとトイレのノックなるんだよ」
「てっきりもう入ってるかと思った」
「とにかく出てって!」
はいはい、と笑いながら出ていくお母さんには少しデリカシーが足りないみたいだ。ぼくはもう小6だし、世間一般的には子供かもしれないけど、大人の入口に立った一人の男だ。お風呂とトイレぐらいのプライバシーは守られるべきなんだ。でも、ぼくが熱くなるのはちっとも格好よくないから、それ以上は言わない。ただ、シャワーは熱めがぼくの信条。
頭の先からつま先までホカホカになってリビングに戻ると、晩御飯が出来上がっていた。一体世の中のどれだけの12歳児がご飯を作ってもらえる事のありがたみを知っているだろう。多分ほとんどの12歳児は、朝ご飯を嫌がって、給食でトマトを残して、夕食では自分の好きなおかずしか食べないんだ。そんな彼らの中には、ご飯が自動で出来上がると思ってる奴もいるくらいなんだと思う。これってすごくナンセンス。
今日はぼくの大好きなエビフライで、横にあったキャベツの千切りも残さず食べた。お母さんはいつもよりニコニコしてた気がするけど、もしかしたら気のせいかもしれないし、パートでいい事があったのかもしれない。
「今日はどちらへ?」
「街の西の外れまで。帰りの道中、急に雨に降られまして候」
「それは、難儀なこと。」
「いや、某には大したことではございませんで」
「……もういい?」
自分で始めたくせに今日もお母さんが先におりた。お母さんは先月までやってた江戸時代にタイムスリップした医者のドラマが大のお気に入りで、時々こうやって時代劇の言葉を適当に真似して遊ぶ。ただ、毎回言葉に詰まって先におりるのはお母さん。歴史ものでも読めばっていつも言ってるんだけど、うんうんと言って結局読まないのがお母さんなのもぼくは知っている。
食器を洗う音と、何気なくついているテレビから洩れるお笑い芸人たちが騒ぐ声をよそにリビングの端っこにあるパソコンの電源を入れる。デスクトップには、ぼくが近所で撮ったマンホールの写真が壁紙に設定してある。何気なく見ているマンホールも近くでよく見てみると意外と魅力感じる、物もある。オレンジ色の円形に白字で「と」と書かれたアイコンをダブルクリックすると「とーかぶる」が起動する。とーかぶるはパソコンを通じて電話ができるソフトだ。数年前からいろんな電話ソフトが登場していたみたいだけど、ぼくら小学生の間で圧倒的な人気を誇るのはこのとーかぶる。理由は簡単で、電話している相手と出来るミニゲームの数がとにかく膨大だからだ。スマホでも使えるようになってるし、クラスの半分以上はこのとーかぶるユーザーだ。
起動したとーかぶるには、連絡先一覧が表示されていて、じいちゃんは「オフライン」でお父さんは今「退席中」だった。だいたいこういう時お父さんはお風呂に入ってることが多い。じゃなきゃ、多分コンビニにおつまみを買いに行ってるかだ。東京では夜遅くまでお店が開いているから、真夜中に突然するめが食べたくなっても安心だそうだ。
一応チャット画面に、「ぼくだよ」って打ち込んで送信ボタンをクリック。返事が無かったから、グーグルを開いて「ロシア語 あいさつ」と入力して検索。膨大な検索結果が出てきたけど、とりあえずは一番上のホームページを開いてざっと目を通す。普段は顔文字のパーツでしかない記号だと思っていたあの文字たちが、1つの文章になっている。もはやカタカナで書かれている読み仮名ですら読むのが難しい。
口先をもごもごさせながらページを読み進めていると、画面下のとーかぶるがピコピコ点滅していた。クリックして画面を開くとお父さんから返事が着ていて、やっぱりコンビニに行ってたみたいだった。
すかさず「ビデオ通話」のボタンをクリックし、呼び出し音が鳴る。数回呼び出したところで父さんが出た。
「ちょっとまて、いまカメラセットするから。郁は見えてるぞ」
「うん。コンビニで何買って来たの?」
「ん、あぁ、ビールとつまみを――これで写ってるか?」
画面上にいつもの灰色のジャージを着たお父さんが映し出された。お風呂はもう入ったみたい。
「映ってるよ、良好、良好」
「よし、今日の学校はどうだった?」
いつもの質問。って、今日は日曜日だ。
「今日は土曜日と月曜日の間なんだけどなー」
「こりゃ失敬。じゃあ、何か新しい発見はあったか?」
「うーん。隣の家のブロック塀に新しい蟻の巣ができていたぐらいかな」
「そうかー。生きるってのは日々発見だぞ」
もうコンビニから帰ってくる間に飲んでいたのかもしれない。ただ、ちょっと酔ったお父さんが一番好きだったりする。普段はすっごく頭が良いし、何でも分かるお父さんだけど、酔っぱらうと少し柔らかくなる。それは、文字通りというか、つまり「じゃないこと」に関しての議論を真面目にできたりする。
「ところで、夕飯は食べたのか?」
「さっき食べた。今日はエビフライ」
「いいなぁ」と言って髭のない顎をさする。これは昔、髭があった頃の癖だってお母さんが教えてくれた。
「さて、今日はどんなお話が良い?」
これが、毎日のテレビ電話の一番のイベント。むしろこのためにやっていると言っても間違いないぐらい。父さんは毎日(やっぱり、殆ど毎日)ぼくにひとつお話をしてくれる。お伽噺の様なファンタスティックな事から、背筋も凍るような怪談までジャンルは様々。ぼくに選ばせてくれる時もあれば、父さんが勝手に話し出す時もある。今日は選べるみたい。
「そうだなぁ、リアルなやつがいい。その、空想的じゃないやつ」
「よし、承知仕った」
父さんも、あのドラマは見ていた。
「これは、郁が生まれる前か、生まれてすぐ位の話だ。うちの近くに小さい祠があるだろ。昔よく探検に行ったあそこ」
「うん、知ってる」
「あの祠にまつわる話だ。まぁ、十年ぐらい前かな、あるカップルがあそこの祠で心中をした」
「曽根崎心中の心中?」
「そうだ。とにかく一組の男女が互いの首を絞め合った。といっても、女が男に首を絞められた状態で発見されたんだがな。二人とも既に死んでいたけど、問題は男の遺体だった。女の首を絞めているはずの男の首にはしっかりと手の跡が残り、こちらも首を絞められて殺されていた。でも、おかしいだろ。そのやり方なら間違いなく片方は死ぬかもしれないが、もう一人は死ねないはずだろ?」
「いえてる。他殺の可能性はなかったの?」
「警察もその線を探ったらしいが、確かな物証は上がらなかった。困ったすえ、心中という扱いにしたらしい。ところが、諦められない刑事が一人だけいた。定年間際で、その事件が最後になるはずだったおじいちゃん刑事だ」
「なんかドラマみたいになってきたね」
「まぁまぁ。続きだ。で、そのおじいちゃん刑事、職場ではシマさんだかシロさんって呼ばれていた」
「どっち?」
「じゃあ、シロさんにしよう。それで、シロさんは毎日のようにその祠に足を運んだ。何かしら証拠がまだ残ってるはずだって。退職まであと一週間と迫った時に、ついにシロさんは現場の岩陰にそれを発見した」
「証拠だ!」
「まぁ、焦るなって。シロさんが見つけたのは死んだ女の真っ赤な付け爪だった。互いの首を絞めている間に取れたのだと思われていたやつだ。それは親指の爪だった。先にはかすかながら皮膚片らしきものも付いていた。早速鑑識に回したら、皮膚の主は一緒に死んでいたあの男性だった。ここでシロさんはさらにおかしい事に気がつく。首を絞める時に親指は立てるのか? いや、立てずにむしろ寝かせるぐらいで圧迫するはずだと。なら、どうしてこの爪は先にこんなに皮膚片が付着しているのだろう」
ぼくは自分の首を絞めてみるけど、確かに親指は立たない。指の腹で押せば確かに皮膚片は付かないはずだ。
「な、おかしいだろ。でも、シロさんはある結論に行きついた。二人が殆ど同じ時間に死んだ取り手も、タイムラグは絶対あったはず。それなら、どっちが先だったのか。その答えは……郁、分かるか?」
「そりゃ、男が先だよ。首に絞められた跡が出て死んでるのに、女の首は絞められない」
「正解。じゃあ、どうやって女は死んだんだ? 死体の首は男がしっかりと絞めていたんだぞ」
「うーん。やっぱり、他殺だったんじゃない」
「残念。女は、どうしても男の手にかかって死にたかったんだ。最初は二人で絞め合ったのかもしれないが、先に男が死んでしまった。困った女は、まだ、死後硬直も始まらない男の手を自分の首にあてがうと上から渾身の力で自分の首を絞めた。そう、爪がはがれるほど指が経ってしまう程にね。相当苦しかっただろう。女は自分で自分の喉の骨、頸椎だな。これを折ったわけだ。文字どおり男の手を借りてね。絶命と同時に女の手は離れ、男の動かない手だけが女の喉に残ったわけだ。これで辻褄が合うだろう」
「シロさんは若い頃は相当な腕利きの刑事だったんだろうね」
「これにて一件落着で、シロさんは退職を迎えたそうだ」
「終わり? シロさんのその後は?」
「おいおい、その先を聞くのはナンセンスってものだ。ここで終わり」
その後シロさんは私立探偵とかになって、大活躍とかだったら良いのになと思った。
「さて、今日もそろそろいい時間だ。寝る子は育つぞ。おやすみ」
と言って、父さんは画面から姿を消した。とーかぶるの画面の父さんはオンライン状態からオフライン状態に変わった。じいちゃんは、オフライン状態のままだった。