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アイス  作者: 魔桜
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雛原詩織視点(3)


 季節は初秋。

 夏は分厚かった雲は、誰かが無理矢理千切ったかのようにガリガリになっている。そして茂っていた青葉はゆっくりと時間をかけて紅葉になっていく。朝から汗が出ていたあの時が懐かしく、今は少し肌寒さを感じる、そんな季節。

 学校へと続く緩やかな坂道には、同じ制服を着た生徒達で溢れている。

「うっ!」

 その内の男子生徒の鞄の金属片に太陽光が偶然反射する。私は目を眇めながら片手で影を作る。

 その手よりもさらに内側に、何者かの両手が突如私の顔に当てられる。つまりは、いきなり後ろから掴まれ目隠しをされた状態。

「だーれぇーだ?」

 こんなことを早朝から仕掛けてくる人間は、私の知り合いの中で一人しか該当しない。良く言えば自由奔放で天真爛漫。悪く言うと利己的で子どもっぽい。

 だけど、

「麻美、おはよ」

「ハロー、詩織。今日も格別に可愛いわね」

 瀬川麻美は、私の親友でありクラスメイトだ。

 高校生離れしたプロポーションと快活な性格で男子生徒はおろか先生にまで人気が高い。そのせいで女子生徒からはやっかみの的だが、麻美自身は全く気にならないらしい。そのへんは麻美らしい。

「うーん、ほんっ――とに可愛いっ! いますぐ食べちゃいたいくらいっ!」

「ちょっと、止めてよ麻美。みんな見てるってば」

 麻美は人目を憚らず、私を後ろからぎゅっと抱きしめた。まばらに登校していた生徒は、奇異なものを見る目でちらちら盗み見ていた。

 私は麻美と違って目立つのはあまり好きじゃない。やるにしても教室でやってくれないと、ここじゃ周りの視線が集まりすぎてしまう。

「いいじゃない、なにか減るもんじゃないんだし。それよりも詩織の身体ってぇ、干したばっかりの布団みたいにやわらかーい。一家に一枚は欲しいわ」

 猫なで声で寄りかかってくる麻美を私は強引に振り払う。こうでもしないと麻美はどいてくれない。

「もうっ! 私は布団なんかじゃないからっ!」

「ごめんねぇ、詩織。でも珍しく朝から詩織の後ろ姿が見られたと思ったら詩織へのラブがどうしても抑えられなくってぇ」

 確かに麻美と登校時間が重なるケースは稀有だ。ほとんどの場合、朝の弱い私が遅めに教室に入ると麻美の方が先に来ている。

 そして、麻美は周りにいるたくさんの男たちを掻き分けて私に抱き着いてくる。麻美特有の外国人ばりの挨拶は、はじめどう対処していいのかあたふたしてた。だけどいまでは麻美のハグ攻撃に慣れてしまった。そんな自分が恐い。

「いいから、もうっ行くよ」

 私は憤ったふりをして麻美を促して急かす。スキンシップをしてくるのは私のことを憎からず思っていてくれているということだろうけれど、やっぱりこのまま毎朝抱き合っていると良くない噂が飛び交うだけだ。

 ここは私が心を鬼にしないと、マイペースな麻美と永遠にこの押し問答が続いてしまう気がする。いや、この場合は押し問答とよりは麻美が聞く耳を持たないので、「暖簾に腕押し」という語句が適切かも知れない。

「ああっ! 待ってよ詩織。怒んないでよ。ねっ、ごめんってば」

 私は早歩きで麻美の静止を振り切る。ここで甘い顔を見せてしまえばまた彼女は調子に乗ってさらにエスカレートした甘え方をしてしまうだろう。

 麻美の猫のように自分の人生を楽しんでいる姿はとても好意的に見える。そんな生き方ができるのなら自分だってそんな人生を送ってみたいとさえ思える。

 それだけ彼女のことが羨ましい。

 だけど、どんなことにでもいえることだろうが、限度というものがある。

 麻美は私に必死で平謝りしながら駆け足で追いかけてくる。それ以上の速さで私は振り切ろうとしたが、学校の靴箱に着いてしまったので足を止めざるを得ない。

「ね、この通りだから」

 両手をすり合わせながら頭を下げられてしまい、その光景にまたもや周りの視線が集まってしまう。

 麻美の長髪で顔色が確認できない。ただの予想だが私から顔が見えていないから絶対に笑っていると思う。

 私が怒ると、どうしてだがみんな馬鹿にしたように笑ってしまう。どうやら全然恐くないらしい。

 虚仮にされるのは心外だけど、他人を怒ることができない性格の私に迫力が皆無なのはしかたない。そう、諦めているけど、こういう時には威圧感が欲しい。

 私とは逆に、黒葛くんの顔が険しくなっただけでクラスには妙な緊張感がはしる。あの雰囲気になっただけで胃がきゅっと絞まる。彼の逆鱗に触れないようすることがクラスメイトの暗黙の了解になっている。黒葛くんぐらいドスの利いた声で言えば、麻美だって少しは反省するだろうけれど、持っていないものをいつまでもぐちぐち嘆いていもしかたがない。

 それにしても麻美は、私が許すその時までこの低姿勢を保つらしい。妙に背筋を伸ばしたままで腰を折っている。

 他の人間がこの姿勢でいると井戸から這い出てくる幽霊に見えてしまうだろうが、彼女は違っていた。

 さらさらの長髪はなだらかな曲線を描いていて、まるで川のように瑞々しく潤っている。

 麻美のように胸に届きそうなぐらい長髪だと手入れも大変になってくるのにどうやってここまでツヤのある髪の毛を維持できているのかが不思議だ。

 私は肩にかかる程度の髪の長さでも毎朝、髪のセットで悪戦苦闘しているのに。

「……いいよ。最初からそんなに怒ってないよ。だからもう顔あげてよ」

 麻美はさっきまでの態度とは裏腹にばっと、元気よく顔を上げる。その顔には満面の笑顔があり、その太陽のような眩しさに目を背けたくなる。

「あ、り、が、とぉ、詩織! さっすが、私の嫁ね!」

 控えめに言って肩に抱き着くという行為だが、実際はもっと艶めかしかった。麻美のしなやかで色っぽい肢体が私の身体に絡みつくようにくっつく。

 すると否応なしに、普段考えないようにしていることを意識してしまう。

 麻美の私に対する布団のように柔らかいという形容詞に他意はない。ないと思うのだが、まるで遠回しに私の身体はぽっちゃりしてしまっていると指摘されたみたいであまり気分のいいものじゃない。

 麻美は好き好んで他人に対して誹謗中傷することはない。だけど彼女の常に羽を伸ばしているような言動に振り回されて傷つくことは多い。

 けれど彼女にも悪気がないのだから注意するのも違う気がする。それでも、こうも毎日のように抱きつかれているとこっちの身も持たない。

「もう、反省してるのっ?」

「反省してるわよ。だから怒らない、怒らない」

 彼女の反省しているは、反省していないの同義語だということは身に染みている。ここまで自己を徹底して貫かれるとこちらの方が折れてしまう。

 私が苦笑しているとそのことに気付いた麻美はふふっと微笑を浮かべている。

「それじゃあ、教室まで競争ね」

「えっ? ちょっと、待って麻美!」

 不意を突かれた私は麻美に置いてかれてしまう。私は鞄を抱えながら必死で追いかける。最後はいつも麻美がこうやって強引に主導権を握ってしまう。

 いくら女子からの嫉妬があるとはいえ、裏表のない麻美の性格は男女関係なく大多数の人間から好かれている。

 なのに、どうして私なんかの相手をしてくれるのかいつも不思議だと考えていた。その疑問は時間が経つごとに肥大していき、ある時とうとう私は訊かずにはいられなかった。

 私がその疑問を明言した時に麻美は一瞬呆けたが、その直後にふっと微笑を浮かべた。

「ばっかだねぇ、詩織は。そうやって自分を戒めることができる人間ってさ、世の中にはそんなにいるもんじゃないのよ。みんながみんな自分は正しいと思い込んでいるもんなのよ。……それは私にも言えることなんだけどね。なに? その顔? やっぱり気付いてなかったんだ、自分の価値ってやつに。あっ、価値って言っても詩織を物扱いしているわけじゃないわよ。そーだねぇー、言い方を変えれば長所ってやつかな。だから私は詩織と一緒にいて全然苦痛じゃない。っていうか一緒にいて楽しい。うーん、だーかーら、とにかくさ、私は詩織の――親友なんだよ」

 最後に私が見た麻美の表情はいつになく能面で、だからこそ彼女の言葉は私の心に響いた。葉に付いた露が重みに耐えられなくなって落ち、湖水に波紋が広がるようにゆっくりと、そして確実に私に心の一番奥底に染み渡った。

 そして私は麻美に抱きついた。そんな私を麻美はいつものようにじゃれ合う為ではなく、透明な雫が頬を伝うことのないように私を抱きしめ返してくれた。

 麻美の方が私よりも背が高くて、私の頭に彼女の顎が当たる。場違いにもそれが気になったけれど、彼女の腕が私に回ると何も言えなくなってしまった。

 自分でも単純で馬鹿だなって思うけれど、泣き出してしまいたい衝動に駆られる。

 私は昔から何もしていないのに人の反感を買ってしまう気質があるらしく、他人からの純粋な好意を受けることがなかった。

 だから、いつも友達になった人間に私がどういう風に思われているのか確認してしまう。そんなことをしてしまえば、嫌われると分かっていてもどうしても不安になってしまう。そして、いつも友達だった人達は私から離れていくんだ。

 ……だから、麻美から言われた言葉は私が日頃から一番言われたかった言葉だ。

 自分の存在を認められるってことは、普段は気付かないことだけど本当は尊いことで、人生の内に何度あるか分からないものなんだ。

 こんな欠陥だらけの私でも、麻美は親友だと言ってくれた。それが嬉しくないわけがない。

「よーし、お先に!」

 麻美がドアに手をかけ、教室に入りそうになっている。私は周りの男子生徒達が唖然としているのを無視しながら全速力で彼女の後を追いかける。

 ……たとえ彼女のことを追い越すことはできなくても、せめて彼女の横に立てるように努力したい。

 なぜなら親友はいつだって傍にいて、何かあったら相談に乗って、そして絶対に裏切らないってことだって私は思うから。


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