黒葛陸視点(2)
結婚式会場は近所の公園でひと気のない時を狙った。
あの時は確か夏の頃だったと思う。
蝉を捕まえては詩織に見せていって、その都度怖がって逃げる詩織の後姿を追いかけるのが楽しかった。
バッタが跳ぶ姿を見て興奮して作業そっちのけになってしまいそうになったのだが詩織に睨まれて捕獲するのを断念したりもした。
虫の誘惑を断ち切り、俺はそこら中に大量に生えてあるシロツメクサで簡単な花飾りを制作し、詩織の頭にかけてやった。
結婚式に花嫁が頭にのせる髪飾りの代用品としては少し心許無いかもしれないが、あいつは非常に喜んでくれた。
「ねぇねぇ、今の私って綺麗に見える?」
「ああ、綺麗だよ」
無理にはしゃいでいる姿が痛々しく、俺はそれに精一杯気づかない振りをして一緒に和気藹々としていた。
この儀式が終わってしまったら本当に全てが終わってしまう気がしていたけれど、そんな考えは頭の隅においてやらなければならない。少しでも頭によぎってしまえば白けてしまう。悲しくなってしまう。
それに、結婚といえば大人がすることで、それをやれば俺達だって大人に近づけることができる。それがなんだが誇らしかった。今思えば滑稽以外のなにものでもないが。
「あなたはよき時もあしき時も、とめる時もやめる時も、えっーと。と、とにかく二人とも愛し続けることを誓いますか?」
滅茶苦茶な神父様の口上だったが、詩織の一生懸命さは充分伝わってきたし心が揺り動かされた。
詩織は餅のように丸く白い頬を赤く染めながら瞳を閉じる。それは俺が誓いの言葉を返答することを信じて疑わない、迷いの見られない行動だった。
だけど俺は、詩織が言った『愛し続ける』という言葉だけがどうも気になった。気に入らないというわけじゃないが、どうしても引っかかってしまった。
人を愛すって、一体全体どういう意味なんだろう。
詩織と誓いを交わそうとする前に俺はそんなこと考えたことなんてなかった。
好きだという言葉の意味は理解できるけれど、愛すという言葉と何がどう違うんだろう。同じ意味な筈なのに何かが違う。
そんな簡単に人を愛すなんて口に出していいのだろうか。俺達子どもが軽々しく言ってはいけないような、俺達が考えているよりももっとずっと重い言葉なんじゃないだろうか。
俺はこのまま素直に返答してしまっていいのかどうか分からなくなってしまった。
やる前は自分の行動に意義があると自信があった。だけどこんな土壇場になって俺という人間はぐだぐだと考えてしまっていた。
俺はもしかしたらあの時、生まれて初めてあんなに悩んだのかも知れない。
ふと、気が付くと詩織は閉じていた瞼を開けていた。
そして詩織の大きな瞳には不安の色が宿っていた。その瞳からはもう少しで透明な滴が零れそうだった。
「んっ、んん」
それでも彼女は必死にそれを抑えていた。唇を強く噛み締めながら目を眇めていた。
俺の前では絶対に泣かないという断固たる決意に満ちたその顔を見て俺は決心した。
これからのことを子どもなりに覚悟した。
たとえどれだけ離れていても、どれだけの月日を経た先にどんな困難があったとしても、それを乗り越えていく覚悟。
それがあるかどうか。
俺は口を歪め、その時の自分自身の答えを出した。
「誓います」
彼女は泣き出しそうだったことをすっかり忘れたように天使のような笑みを浮かべる。
その時俺は勝手に誓ったんだ。
俺は絶対に彼女を泣かすようなことは絶対しないということを。
それは今でも俺の心にしっかりと刻まれている。
あいつの泣き顔を見るぐらいだったら俺は――。
†