雛原詩織視点(21)
秋も深まり寒さは極まれる。
異常気象なのか、地球温暖化が原因なのかは分からないが、夏と秋の気温が交互にやってきていたのだが、そんな一時の気まぐれももう終わりのようだ。
ジャージ姿で外にいると命の危険すら感じる。使い捨てのカイロが唯一の命綱だ。これの効力が切れてしまったら私は卒倒しかねない。
鼻を啜る。
私の風邪も頑固で一か月以上粘っている気がする。
それは季節の変わり目だからだとか、寒くなってきたからだとかだけが原因ではなく、精神的な負担からも大きく反映されている。
ストレッチの相手に麻美を誘ったのだが、普通に無視されてしまい、そのまま彼女は他のストレッチ相手を見つけどこかに行ってしまった。
私は、誰も相方を見つけられずに立ち往生していると、先生に呼び出されて一番前に立ち、衆目を集めながらストレッチをさせられて、とんだ赤っ恥をかいた。
マラソン大会は毎年恒例らしく、学校の周りとグラウンドを走り回るコースになっている。
男子は十五キロ、女子は十キロで、しかも外周は山道を走らなければならない。持久力皆無の私にとっては地獄だ。
今日はまだ練習で、距離は本番よりは短くなるらしいが、それでも女子は五キロ走らなければいけない。それを本番までに毎週二回も走らなければならないというのだから、本番よりもキツイかもしれない。
その証拠に、私はもう倒れてしまいそうだった。
なんとか山道を終えて、急激に曲がりくねっている下り坂を降りると、走り終えた男子が冷やかし半分、応援半分で声援を送ってくる。しかも、私はほとんど最後尾だったので、女子までもがそれに参加していた。
羞恥心で熱が上がっていく。
本番と違って、練習では最後にグラウンドを周回せずに二百メートル以上はある直線状の道路がゴール。
最後の最後に直線コースを入れられると物理的な距離以上の遠さを感じる。
――気持ち悪いっ!
昨日の麻美の言葉が不意に脳裏を過ぎると、私は何もないところでこけてしまった。
みんなの突き刺さるような視線を一身に受けるのを感じる。
私は即座にまた走り出す。膝が痛い。しかもこの前のボウリングで擦ってしまったところを、またやってしまった。
気持ち悪い。確かにそうだよね。
――なにそれ、詩織は黒葛くんの妹で、それで一緒の家に住んでいるの? 最っ低!!。
最低って、私たちはそんなやましい関係じゃないんだし、一緒の家なら家族なら当たり前でしょ?
――ふざけないでよ。私にそれを黙っている時点であんたの気持ちぐらい分かるわよ。教室でもあんたずっと変な目で、黒葛くんを盗み見てるわよね。あんた血は繋がっていないとはいえ、自分の兄に欲情するなんて人間じゃないわよ。目の前にいるオスに腰をふるただの発情したメスよ。生きている事態が恥ずかしいことだと思いなさいよ! おぞましいっ!
横っ腹の奥底から、外側にかけて痛みが広がっていく。足には錘がついているかのように、鈍重な動きしかできない。ゴールは眼前にあるはずなのに、一分一秒が長い。頭は霧がかかったように、ぼんやりしている。
すると麻美の笑い声が聞こえてくる。そちらを見やると黒葛くんが隣にいる。私に気が付いた麻美がこっちを見て手を振りだす。
「頑張ってぇ、詩織!」
昨日の出来事が、嘘のような晴れやかな顔。それはいつもの麻美で、私は寒気がした。あんなことがあったのに、麻美は黒葛くんの前では、普段通りに笑えるんだ。
ということは、今まで私が知っていた麻美は全部演技ってことで……。今まで私にかけてくれた優しい言葉は全て偽りだったんだろうか。
目に汗が入り、景色が滲む。
歓声が途切れ、自分の息切れしか聞こえなくなる。やがて何も聞こえなくなり、そして心臓が異常なほどバクバク伸縮を繰り返す。
全てのものがスローモーションになり、そして何もかもが暗転した。
倒れこんだ瞬間に、私の名前を叫びながら駆けよる音が聞こえた。……そんな気がした。