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アイス  作者: 魔桜
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雛原詩織視点(13)



 水族館の目玉であるイルカのショー。

 ブーメランのような形をしたイルカが、空を飛んでいるかのように飛び跳ねる姿は、まさに圧巻の一言だった。空中から水中に落ちる時間差の間ずっと飛び跳ねていることを考えると、人間なんて目じゃない程ジャンプ力があることが分かる。体長の何倍跳べるかを比較したとして、イルカのノミはどちらがより跳べるのだろう。

 ショーの前半は、イルカが跳び跳ねる度に、水がかかってこないかと懸念していた。だけど、それが杞憂だと分かったショーの後半は、思いっきり歓声を上げながら楽しんだ。

 イルカ達はすいすい凄い速さで水中を泳いだり、従業員の持った輪っかをくぐったり、音楽に合わせて踊ったりしていて、見ているだけで楽しかった。

――大切なこと、辛いこと、全てを忘れるぐらい。

「そういえばさ、橋下くん」

「えっ、ごめんなに?」

 ちょうどお客の歓声と、私の声が重なったせいで聞こえなかったらしい。仕方なく私は橋下くんの耳に近づいて話す。

「そういえばさ、橋下くん。相談事ってなんなの?」

「ああ、うん」

 まるで、言おうか言わないか迷っているように見えるのは、気のせいだろうか。もしかして、私に相談することを躊躇っているのだろうか。

「あのさ」

 彼の視線が真っ直ぐに私を射抜く。

 あまりにも真剣な表情に、きょう何度目かの普段とのギャップを感じた。それに顔と顔がくっつくぐらい近いことに気付いたせいで、顔が火照る。

 相談といっても、もっと軽いものだと思っていた。けれど、橋下くんの目には本気の色が見えた。私は、イルカショーを観ながらこの話を聴いてしまっていいのだろうか。

「俺――」

 私は場所をどこかに移してからその相談事について話そうと提言しようとすると、彼の声は、従業員のマイク音にかき消される。

 イルカに触りたい人はいるかという質問だったが、観客のほとんどの人間が手を上げた。イルカは頭だけを水面からあげ、触ってくれる人間を待ち望んでいるかのように、カカカと笑っていた。

「俺たちはどうする?」

 手を高く上げれば上げるほど指名されると信じているかのように、席を立ち上がりながら天井に向かって手を伸ばしている――そんな子ども達が微笑ましい。中には背伸びをしている子どもいた。私も水族館に来たときは、ああいうことをしたのだろうか。

「うーん、私はいいかな」

 だけど、私はこの年齢になってそんな恥ずかしいことはできない。

 ううん、違う。

 本心では私もイルカと触れ合いたい。だけど、いつからなんだろう、私が失敗を恐れ始めたのは。

 精一杯努力してそれが報われなかったら、頑張った分だけしっぺ返しが返ってくる。

 だから、傷つくのを極端に避けてしまう。

 私は黒葛くんと接しないほうがいいって悟ったふりをしている。

 だけど私は、黒葛くんとなんとか仲良くなろうって思っているのは事実だ。それをどうせ駄目だって諦めて、あまつさえそれを麻美との約束のせいにしている。

 だから、自分から一歩を踏み出した方がいいってことは分かっている。

 だけど、弱虫は私がこの世に生まれてからずっと身体の奥底に飼っているものだ。いまさら自分の弱い心に勝てるわけがない。

 私は楽な方に流れようと思う。ただ、事態の流れに身を任せて、自分が傷つかないほうに。

 橋下くんと一緒にいれば、それができるような気がする。

「えーっ、やってみよーぜ。多分餌だってあげられるぜ」

「いいよ、そんなにやらなくても」

 私は笑いながらも内心ほっとしていた。彼が子どものように無邪気に笑う姿に。

こっちの方がよっぽど橋下くんらしくて、窮屈な思いをしなくて済む。さっきの息苦しさはなんだったのだろう。

 彼と一緒にいるとこんなにも楽しい。黒葛くんと一緒にいるときは、常に緊張の針がぴんと張りつめていて、胃のあたりがきりきり痛んでいる。胸の鼓動がいつもより早い。

 それは本当に恋だといえるのだろうか。

 傍にいると安堵して、自分が楽しいと思えたことを二人で共有できる。それは恋をしているといえるのではないのだろうか。

 いいや、そのことに結論を出すには早計過ぎる。

 私がこんなことを考えると知ったら橋下くんも困るだけだし、今の私は少しおかしい気がする。

 ゆっくり、ゆっくり考えていきたい。

 私の人生を。

 橋下くんは私の言葉を笑いながらなかったことにし、手をあげようとしたので、私も微笑みながらそれを阻止しようとする。

 傍から見ると私たちはできているようにしか見えないのではないのか……と危惧していると、

「はい、それじゃ、そこのカップルさん。こちらに来てください」

 従業員さんの言葉に身体が一瞬硬直する。私達が指名されてしまったのかと身構えた。だけど、観客達の視線を辿ると違うカップルだったようだ。

 騒ぎが収束する。

 一瞬何もかもが聞こえなくなってしまう。耳の奥で、ざくっとなにかが断ち切れる音がする。

 観客達は当てられなかった悔しさなのか、もう手をあげなくて済んだという安堵の溜め息なのか、さっきまでの一時的な熱は冷めたらしい。

 ただ、私と橋下くんは違っていた。

「な、なんであいつ等がいるんだよ?」

 観客席から、照れたように階段を降りていくのは見知った顔だった。黒葛くんと、その肩に抱きついている麻美だった。

 私の心臓は、尋常でないほど早鐘を打つ。

 どうして? という疑問がどうしようもなく頭に渦巻いていく。

 外出するときに、私は黒葛くんに麻美と出かけるという嘘をついた。それなのに黒葛くんはどうして何も言わなかったんだろう。

 普通、私の嘘に気がついて問い詰めるはずなのに、彼はそれをしなかった。それは、それだけ彼にとって私は無関心な対象だからだったのかな。

 彼と麻美が一緒にいることより、よっぽどそっちの方が堪えた。

「どうした、雛原? 今日はずっと上の空だったけど、今は顔色悪いぞ。いっそ帰るか?」

 橋下くんの、この異常なほどに心配している顔と、気の使いよう。

 そんなに私の顔は青ざめているのだろうか。そこまで私がショックを受けていることに、少なからず驚きを感じていた。

 いつかはこうなってしまうことは覚悟していたはずなのに、どうして私はこんなにも動揺してしまっているのだろう。

 黒葛くんは、どこまで麻美に話してしまったのだろうか。全て話してしまったのだとしたら、麻美に会うのが気まずい。どんな顔をして会えばいいのか分からないとは思いつつ、彼女の対応に任せてしまった方がいっそ楽な気がする。

 私が何かを考えるよりは、彼女が何かをするまで待っていた方が無難だ。私が、下手に自分から動くと麻美との関係が拗れかねない。

「……私って最悪だ」

 こんな時になっても私は誰かに全てを委ねている。私は、いつでも誰かに依存していないと生きていけないのかもしれない。

 黒葛くんがダメなら麻美へ、麻美と黒葛くんがくっついてしまいそうになったら、今度は橋下くんだ。なんて私は弱い人間なんだろう。

 滑稽で。醜悪だ。

 そんな自分がこの世で一番嫌いだ。

「雛原、聞こえなかった。なんて言ったんだ?」

 膝を抱えている私に、できるだけ優しげに橋下くんは話しかけてきてくれた。

「……悪いけどそうしてもらっていいかな?」

 彼は、私のこの言葉を待っていたわけじゃないことは表情を見て分かった。

 たとえ私がどれだけきつくても彼の為に、私は大丈夫だからもっと水族館を楽しもうよ、と言ってくれるのを待っていたんだろう。

 けれど、私にそんな気力はなかった。

 それに、黒葛くんに対して多大な罪悪感があった。

 私と黒葛くんとはなんでもない関係なはずなのに、どうして橋下くんと今日一日一緒にいて、楽しかったことが、こんなにも後ろめたいのだろう。



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