雛原詩織視点(7)
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駅前には大きな噴水が、一定の間隔を置きながら水を元気よく噴出している。噴水を囲むように石の椅子が円状に設置してあり、傍にはのっぽの時計台が建っている。
その時計台の側には、背丈の競争をしているかのように大木が植えられている。どうやったらこんなに綺麗な黄色に染まるのだろうかと感心していると、真っ黄色なイチョウの葉がそこら中の地面に散らばっていることに気づき、残念な気持ちになる。
他の人達も待ち合わせ場所として使っているのか、高校生ぐらいの男女がまばらに立ったり、石の椅子に座ったりしている。
私は周囲を一周し、誰もいないことを確認すると、石の椅子に腰かけて時計台の時計と腕時計を示し合わせる。大丈夫、私の時計と一緒だ。壊れていない。
約束の時間まで十分前。
少し早く着すぎたかも知れない。だけど遅刻してしまうかも知れないということを考えると、どうしても早く行動しないと私の気が済まない。
それに、黒葛くんと同時に家を出るわけにもいけないのでこの時間帯になってしまったのも納得しなければいけないだろう。だけど、
「どうしよう」
周りの景色を楽しむ為にプチ散歩をするのもいいが、それで集合時間に遅れてしまったら元も子もない。
本でも持って来ていれば読書の秋というし、読書に勤しむことができただろうが、急いでいたせいで生憎持ってきていない。
そういえば本棚に買ったまま、まだ開封していない本が三冊ぐらい平積みしたままあった気がする。本は好きなほうなのだが、読むまでが苦労する。一回読んでしまえば最後まで読んでしまうことができるのだが、読むきっかけがないとそのまま放置してしまうことがしばしばある。
本以外に何か暇つぶしできるものがないか革製のショルダーバックを漁るが、入っているのは携帯と財布だけだ。
仕方ないからアプリでもやって時間を潰そうかと、携帯をバックから取り出そうとすると、声をかけられた。
「あれっ? 雛原一人だけ?」
携帯をバックに入れて振り向くと、それは意外にも橋下くんだった。
クラスでの彼の様子から、遅刻してもおかしくないぐらい、いい加減な人間だと勝手に思い込んでいた。だから、約束の場所に着いたのがほとんど私と同着だったことに、些かながら驚いてしまった。
彼に、デートの十分前には待ち合わせ場所に到着する甲斐性を持っているなんて、失礼とは思いつつ果てしなく意外だ。
「うん、他の人はまだみたい」
「……ったく、黒葛が誘ったんだからあいつが一番先に来ないと行けないっていうのに、なにをやってんだか。だいたい俺が何度遊びに誘っても来ないくせに、珍しく自分から遊びに誘ってくれたと思ってたら、その当の本人が、一番に来ずに待ち合わせに遅れるなんてありえねぇだろ」
「時計見てよ、約束の時間までまだ十分前だよ」
私はそびえ立つ時計台を指す。
「それに黒葛くんがこの遊びを企画したんじゃないの。私が黒葛くんを無理に誘ったの」
企画したのは麻美だが、黒葛くんを誘ったのは私自身だから語弊ではない。
橋下くんが目を丸くする。
「雛原が? へぇそうだったのか? お前が俺らを誘うなんて珍しいな。つーか、もしかして今回が初めてだったか?」
黒葛くんは、私が最初頼み込んだ時は頑に断っていた。けれど、他に二人来る予定で、黒葛くんが来なかったら三人でも行くことになる。そう、麻美の指示通りに黒葛くんに伝えると、急にこのダブルデートに行くことに積極的になった。
クラスでの彼は、麻美にだけは少しだけ心を開いているように見える。それは私の勘違いなのだと信じたかったけれど、麻美の名前を出した途端態度が急変したから、やっぱりまんざらでもないのかも知れない。
その事実はこうも真正面から突きつけられてしまうと、やっぱり落ち込んでしまう。
「……そっか。ありがとな雛原。俺も誘ってくれて」
「えっ? ううん、私も橋下くんと遊んでみたかったし」
そういうと、なぜか橋下くんが狼狽しているように見えた。私はそんなに変なことを口走ってしまっただろうか。
麻美が男二人じゃないと男女比率のバランスがとれないわよね。うーん、誰でもいいわよ、それじゃあ、橋下くんあたりでいいわよね、とおざなりに言っていたことは流石に本人には言わないほうがいいかもしれない。
「俺も実はずっと雛原と遊びたかったぜ。でもよ、そんなに俺たちって喋ってもいないじゃん。黒葛と瀬川が喋っているときにニアミスするぐらいだったろ。……だから、俺なんかが雛原を誘っていいのかどうも分かんなくってさあ」
本気で落ちこんでいる橋下くんに驚き慌てる。
「全然大丈夫だよ。私ってあんまり友達と遊んだりしないから、遊びに誘ってくれたらやっぱり凄い嬉しいよ」
麻美と遊ぶのもやっぱり楽しいけれど、私には男友達というものを持ったことがない。だから、男の人とどこかに出かけたりすることに、憧れに似た感情を持っていたりする。
「そ、そっか! だったら、今度は俺から遊びに誘ってもいいか?」
「うん、もちろんだよ」
たとえ社交辞令であっても、こうしてちゃんと面と誘ってくれるのは嬉しい。普段から何もいわない。何を考えているのか分からない。そんな人間に気を揉むことに慣れている私にとって、橋下くんの言動は新鮮なもので、ちょっぴりいいなと思ってしまった。
「おっ、二人ともやっと来たぜ」
私は立ち上がって橋下くんの視線を追うと黒葛くんと麻美が談笑しながら歩いていた。
黒葛くんは相変わらず仏頂面だが、それでも麻美と二人で集合場所に来ているということは、二人の間に何か特別なことでも起こったのかと勘ぐってしまう。私とは一緒に来てくれないのに、麻美とは来てしまうのかと、どうしようもないことを考えてしまう。
私たちの関係を知られることはできない。
その、黒葛くんの考えに納得していると思っていたけれど、麻美と二人で来るなんてどうしようもなく予想外のことで、意識せずにいようと思っても結局は意識してしまう。どこかで二人で待ち合わせしてからこの場所に来ているのか考えてしまう。
こうやってぐずぐず考えるより、私が直接本人に聞けるぐらい無神経な人間だったら、そんなことすら考えないぐらい鈍感な人間だったら……どれだけよかったんだろう。
私が生まれ変わることができたなら、きっと橋下くんや麻美のような性格の人間になりたい。そうすれば今よりは……。
「おっ待たせぇ。待ち合わせ時間ぴったりだったんだと思ったんだけど、もう二人いるってことはもしかして待たせちゃった?」
レースキャミソールの上からは灰色のカーディガンを羽織り、下は膝丈ぐらいのふわふわスカートに、漆黒のニーソを着こなす麻美に私は感嘆する。
私もスカートを着てきたのだが、こうやって麻美を見ると、私にどれだけ似合わないのかが分かってしまい、今からでも着替えたくなってしまった。
「いいや、全然待ってないですよ。ついさっき来たところです。ただし、もしも何時間も待っていたとしても俺は同じ回答をしていたことでしょう。なんたって瀬川にこうして休日会えただけでも俺は喜びの絶頂。待ち時間なんて一瞬の内に過ぎ去っていたでしょうから」
「それじゃあ、行きましょうか?」
麻美は張り付いたような笑顔で橋下くんの横を通る。もしかして橋下くんの声が聞こえなかったのだろうか。
「ちょっと待って、麻美」
麻美が先導して進んでいくのを私は慌ててついていく。
黒葛くんと麻美の仲を嫉妬してしまっている、今の私のささくれた気持ちのまま、黒葛くんと隣になっても気まずい思いをするだけだ。だったら麻美と一緒にいたほうがいい。
「黒葛ぅ、どうしよう俺無視されちゃったよ。せっかくオシャレにきぃ使って、この日の為に買ったおニューの服を見ても、全く何も言われなかったよぉ。俺って何か悪いことしちゃった?」
橋下くんは身体をくねらせながら、黒葛くんの身体に寄りすがる。正直、見ていてあまり気持ちのいいものではない。そう思ってしまうほどに、彼の動きはある意味では洗練されたものだった。その証拠に黒葛くんも、彼の動きに翻弄されているようだ。
私は格闘技に関してはかなり疎い。だけど、もしかするとそういう類のものなのかも知れない。
「悪いのはお前の頭だ。今ならきっと手遅れだ、病院に急げ。そして手の打ち所がありませんと医者に宣告されてこい」
黒葛くんはしっしっと蚊を追い払うかのように手を払う。それでもいやいや、と追いすがって来る橋下くんは納得していないようだ。
「あーそうだな。それはおかしいな。多分お前があいつに何も言わなかったからじゃないのか? だから俺にくっつくな。それ以上くっつくと俺の全身の穴という穴から血が噴き出る」
「まず俺が黒葛に聞きたいことは、俺は人間なのかってことなんですがっ!? それって確実に新種の生き物だろぉっ!?」
橋下くんがわざとらしく何かに気がついたような素振りをみせた。
「はっ! そうか! なるほどな。黒葛の棒読みには物申したいが、今は瀬川のほうが重要だ。瀬川さん、その服可愛いですね」
橋下くんは片膝をアスファルトにつき、片手を自分の手、もう片方の手を差し出し出す。
一昔前のプロポーズのような、傍から見るとバカっぽい、というか馬鹿丸出しのポーズを恥ずかしげもなくやってのける橋下くんを、私は直視できない。
畏敬の念を抱いているわけではなく、それとは真逆の意味で彼のことを眩しく感じた。
「ありがとう。だけどもうちょっと心が籠ってくれていたらもっと嬉しいわ」
麻美は、橋下くんに一瞬たりとも視線を向けずに歩いていた。
「ひっでぇな。俺なりにこれでも真剣にアプローチしたつもりだったのによぉ。あぁこんなにも俺は麻美のことを好きなのに。どのくらい俺がお前のことを想っているかどうか分からせる為に、俺の身体を掻っ捌いて見せてやりたいね。そうしたら、俺の身体の半分は麻美でできているって、証明できるからな」
麻美はクルッと回り、この日初めて橋下くんに視線を向けた。
「橋下くん、今度私のことを名前で呼んだらガン無視するからそのつもりでいてね。二度は言わないわよ。それと、あなたの身体の半分はきっと無でできているから安心して」
容赦ない麻美の言葉に、思わず小さく噴き出す。
「それって俺には何もないってことですか? それって一番キツイ言葉じゃないですかねぇ? 黒葛さんの日頃の口の悪さがまだマシと思えるレベルですよ。頼む! せめて俺の身体の半分は馬鹿でできているとか、思う存分俺を罵倒してくれ! そしたら倒錯した快感を得られて一石二鳥だから!」
「分かった。もう全部オーケイよ。あなたの言いたいことは全部把握したと思うわ。……だから私の半径五十メートルまでは近付いていいわよ。それ以上近付いたら、あまりの気持ち悪さに罰を与えるわ。土下座させた後にヒールで思いっきり踏むわよ」
「ごくっ。そ、それはどのぐらいの強さで踏んでいただけますか?」
橋下くんと麻美は、二人して先に歩いていく。というよりは麻美に橋下くんがストーキングしている構図に見える。とりあえず警察署を横切るときは他人のふりをしたほうが無難なようだ。
どこに向かうも告げられていない私は、必然的に二人の後をついていくことになってしまう。それに、良くわからない二人の高度な会話についていけない。あそこに無理に入って会話が終了し、微妙な空気が流れてしまったら、それこそ何かが終了してしまうような気がする。
「お互い苦労しているな」
横を見やると黒葛くんがいつの間にかいて、そして私は思わず立ち止まってしまった。
だって、黒葛くんが自分から世間話を始めるなんて普段からは考えられない。それぐらい上機嫌だってことだ。
それが嬉しくもあり、悲しくもある。
嬉しいのは、単純に彼が私に話しかけてくれたこと。そして悲しいのは、彼が話しかけてくれたきっかけとなったのが麻美だったということ。
私一人では黒葛くんをここまで引き出せなかっただろう。
それは麻美にとっては当たり前のことなのかもしれない。けれど私にとっては大事件で、今まで悩んでいた私が、どうしもない人間だということを結果として再認識してしまった。
私はスカートをぎゅっと握る。
自分の欠点を何度も見つめなおす。
傷口を抉ってどのぐらい痛いのか確かめてしまう。
これじゃあ……まるで被虐趣味のマゾヒストだ。
だけど私は、自分自身がどんな人間なのか知りたい。何ができるのか、何ができないのかが隈なく知りたい。
自分を知らなきゃ、どんな行動をとっても失敗してしまうだけだから。
「どうした? さっさと行くぞ」
「……うん」
だけど今は心の中を嬉しいでいっぱいにしよう。
悲しみの色を塗りつぶそう。
そしたら私は前だけを見ることができる。
何も考えなくて済む。
それがいいことなのかどうかは、どこかに投げ捨てて――。
第二章突入しました。予定では、どんどん話が暗くなって行くかと思われます。
何か質問や意見があれば気軽にどうぞ。