*
歌子という名前も、僕がかなり強引に彼女から引き出したものだ。僕の家に泊めてなどと無責任に言い放っておきながら、彼女は自分のことをそれこそ何一つ話そうとしなかった。そこで仕方がなく、普段は物静かだと評される僕が口うるさく彼女に纏わり付く羽目になったのだ。
僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、「こっちでしょう」と確認も取らずに僕が歩いていた方向へ歩き出す彼女に、そそくさと追いついて僕は訊いた。
「あの、お名前は」
このひとは何勝手に歩き出してんだろうという思いはあったが、僕の中に彼女を拒もうという選択肢は何故だかはなから見当たらなかった。もしかしたらそのとき既に、僕は歌子さんに魅せられていたのかもしれなかった。
「なんだったかな」
彼女ははぐらかすように言って、雫の滴る髪の毛をうるさそうに掻き揚げる。長い髪の毛はもう随分と雨水を吸わされ続けているようで、見た目からして重そうだ。しばらく沈黙が降りる。一本道を縦に並んでひたすら歩いていくと、やがて十字路に出た。僕にとっては迷いようのない見慣れた道だが、彼女は立ち止まり振り返った。
「どの道」
「お名前を教えてくれれば」
彼女は至極嫌そうに顔をしかめ、そのまま二十秒ほど思案した結果、ウタコ、と聞き逃しそうな小声で呟いた。ウタコ、さん? と聞き返すとこくりと頷く。
「えっと苗字は」
「いらないでしょ、ウタコって呼んだらいいじゃない」
「あ、じゃあ漢字は」
彼女はまたしばらく思案した。
「ただの歌にただの子でいいよ。シングの歌で、子供の子」
どう考えてもそれは偽名としか思えなかったが、歌子さんはこれでいいでしょうと言いたげに僕を見つめた。ほら、どの道行くか早く教えなさいよ、と。
「そのまま真っ直ぐ進んでください」
仕方なく僕はそう言って、今度は歌子さんの先に立って歩き出した。




