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僕と歌子さんは変わらず見つめ合っている。けれどやがて僕は気付く。彼女が僕を見る視線の種類が変わっている。彼女は今、"人"として僕を見ていない。"モノ"として僕を見ている。目の前に置かれた、自分が描くべき"モノ"として、僕を見ている。
どのくらいの間そうしてたのだろう。唐突に歌子さんは僕から目を離し、視線を彷徨わせて何かを探すような素振りを見せた。彼女の頭が揺れるたび、ほんのりと雨の香りが漂う。部屋の隅に置いた僕の小さな机を無言で指差すと、ふらふらと立ち上がりそちらへ向かった。そのふらふらも、先程までとは違う。病に体力を消耗しているのではなく、何かにとりつかれているかのような、突き動かされているかのような、そんなふらふら。そして机の前に座り込むと、電気も付いていない暗闇の中で、歌子さんは何かを描き始めた。
ボールペンが机の上を滑る音だけが響く。とても静かだ。ぼんやりと輪郭を浮かばせる歌子さんの手の動きに迷いは全く見えなくて、彼女はいつもと変わらない真剣さで描いている。僕の絵を描いているのだろうということは分かったが、僕はその手元を覗きに行くでもなく、布団の枕元から動かずに歌子さんを見つめていた、いや、見惚れていた。きれいだ、と思った。絵を描く歌子さんを、その細い輪郭を、病的に白い肌を、つややかな黒髪を、きれいだ、と思った。歌子さんの全てを、美しい、と思った。
やがて歌子さんがボールペンを動かす手が止まった。絵を見つめる。僕は絵が塗り潰されるのを待った。いつもの流れ。けれど歌子さんはそれを塗り潰さなかった。絵を描いた紙を丁寧に四つ折りにした彼女は、それを手に持ってふらふらと部屋を出て行った。まだ時は止まっている。僕はしばらく歌子さんが寝ていた形跡を残す布団を見つめていたが、やがてはっとして立ち上がった。一歩二歩三歩。大股で部屋を出る。物音に振り返ると、歌子さんがこの一ヶ月出番の無かったサンダルを履いているところだった。服はまた自分の服に着替えている。もうブーツの季節に差しかかろうとしているときにサンダルを履いて、濡れて伸びたパーカーに夏らしいデザインのスカートという格好をしている歌子さんは、やっぱりなんだか奇怪だった。このひとはもうずっと、世界に馴染めていないんだ。涙がこぼれそうになる。ああ、どうして今日はこんなに泣きそうにばっかりなってるんだろう。
僕が何か言おうと口を開きかけると、それを制するように歌子さんは自分のパーカーのポケットをニ、三度軽く叩いた。紙と布が擦れ合うような音が小さく鳴る。
「これで残る。タカイくんのこと。思い出す」
片言の日本語しか話せない外国人のようにそう言って、歌子さんは僕をじっと見つめた。さっきまでの名残で声は掠れているけれど、話し方はいつもの素っ気ないものに戻っている。僕は頷いた。声が出ない。何か言わなくてはと口を開閉した結果出てきたのは、「熱、大丈夫ですか」
芯のないへろへろのその声は呆気なく無視される。そうして別れの言葉を言うでもなく、当然のことをするように歌子さんは出て行った。パーカーのポケットに左手を突っ込んで、右手でノブを回して。蹴られたペットボトルが小さく音を立てる。何故だかひどいスローモーション。そして、
がちゃり。
ドアの閉まるその音と共に、不意に世界がまた動き出した。隣の部屋からテレビの音が聞こえる。どこかで子供が泣いている。時計が遠慮がちに時を刻んでいる。
僕は小さく息を吸い込む。歌子さんが残していった雨の香りが、鼻孔から肺に流れ込む。いつかこの香りも消えるんだろうな、不思議と心は凪いでいる。そうだ片付けないとと思い立って電気を付けた。部屋の有様がくっきりと浮かび上がる。あーあ、と、思わず苦笑が零れた。
歌子さんがどんな"僕"を描いたのか。
僕は、知らない。
おしまい、です。
こんな荒削りなものですが^^;
わたしにとってはとても大切な作品になりました。
読んでくださってありがとうございました!
一言でも、感想残して行っていただければ幸いです(ノ∀`)




