*
夢でね、空が見えるの。くもってるの。雨降っちゃえって思うの。降るの。嬉しくなるの。でもね、外に出たらね、みんな傘さしてるの。ぬれてないの。雨はぬれるものなのに! みんなぬれてないの。なんで、なんでみんなぬれないの? 傘なんかさすの? おかしいよ。それでね、そこにいた人に聞くの。なんでぬれないんですかって。そしたらサンセーウだからってゆわれた。サンセーウ? 何それわけ分かんない。ねえ何? サンセーウって何? 雨は雨だよ意味分かんないよ。ぬれたらいいのに。わけ分かんないこと言う前に傘なんてささなきゃいいんだよ。捨てちゃえばいいんだよ! 怒ってその人から傘とるの。なんにも言われなくてびっくりして、顔見たら顔ないの。のっぺらぼうなの。しかも人形みたいで。ふらふらってして倒れちゃうの。あたし怒ってたのに今度はなんか泣きそうになってそれでその人の傘をがんがんそこら中に打ちつけてたの。ばかみたい! なんかもういろいろ。わけ分かんない。傘なんていらない! みんなぬれるといいの。思うのはそれだけ。でもね、ほんとにそう思うの。心の底から、みーんなぬれちゃえ! って。ぬれて、びしょびしょになって、そしたらなんか分かる、なんか見つかる、なんかが変わるよって。……でもね、ほんとはあたし知ってるの。びしょぬれになってもほんとはなんも変わんないの。何回もやったことあるもん。お父さんお母さん妹みんなあたしのことおかしくなったって思ってる。雨ふったらふらふらーって出て行ってなかなか帰らないから。でもあたしおかしくなんかないんだよ。ぜんぜん、ぜんぜん! 信じてよ、おかしくなんかない、あたしはただ探してるだけ、びしょぬれになったらなんか変わるかもって、それで探してるだけで、ほんとに、信じて、信じて、おねがい、でもずっと、誰も、ずうっと信じてくれなかった……。
歌子さんは泣いていた。閉じられた瞼の間からは、雫があとからあとからこぼれ出て、皆同じ軌道を通り髪の中へ滑り落ちていった。電気も付いていない。陽光もない。けれども僕にはそれが分かった。僕はそっと、歌子さんの枕元に座りこむ。涙の、雨水の染み込んだ彼女の黒く柔らかい髪をそっと撫でた。一回、二回。彼女は泣き続ける。誰も、誰も……。小さくそう繰り返しながら、涙を流し続ける。僕は唾液を飲み込んで、乾いた喉を湿らせる。一回、二回、呼吸をして、更にひゅう、と息を吸って。
「僕が」
ああなんて頼りない声なんだろう! 掠れたその声は彼女の耳には届かない。彼女の涙は止まらない。ああ早く伝えないと。彼女は壊れてしまう。歌子さんは壊れてしまう。壊れてしまう!
「僕が」
今度こそ、しゃがれた声、けれど大きい声で。歌子さんは目を開ける。おそるおそる、何かを恐れるように、怯えるように。視線が僕を捉える。僕も歌子さんを見ている。見つめ合っている。さあ。もう一度。
「僕が、信じますよ」
そして、時が止まる。




