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歌子さんが熱を出した。ただそれだけのことだが、僕はひどく動揺していた。どうしようどうしよう、僕は何をすればいい? 疑問符ばかりが飛び交う中で、とりあえずやるべきことを見つける。そうだ隣人に謝罪の言葉くらい言っておかないと。あれだけ叫んで聞こえていないはずがない。と右隣そして階下の部屋を訪ねたが留守。そこでまた途方に暮れそうになるのを抑えて抑えて、そうだ歌子さんの服を買いに行かなくちゃいけない。歩いて行ける場所は避けてあえて電車で一駅向こうのデパートへ。歌子さんにジャージと下着を買って帰りの電車に揺られているわずか二分ほどの間にようやく、初めて歌子さんの寝顔を見たことに気がついた。今まで二週間、改めてそれに驚く。歌子さん、無理してただろうなあ。布団も無しでとなんだか疲労も重なって泣きそうになったがしかし、帰ってみると歌子さんは起きていた。がちゃり、とドアを開けるとそこに立っている。どこ行ってたの行かないでよ、と小さく呟いてよろめいた。探したのにどこにもいないからびっくりして。壁にもたれかかって嗚咽を洩らす。僕はその背中をそっとさすって、すいません洋服を買いに行ってたんです、その濡れてるのを脱いでこっちに着替えてください。右手のビニール袋を差し出す。選択に何か文句をつけられるかと覚悟していたのだが、歌子さんはおとなしく頷いた。彼女が着替えている間に布団のシーツを剥ぎ取り、裏返して乾いた面に寝られるようにする。背中を伸ばして振り返ると、入り口のところで歌子さんは立っていた。あの、布団、どうぞ。シーツを脇へ除けて指し示すと、ひとつ頷いてふらふらと布団に潜る。ありがとう、とまた呟いた。その歌子さんの瞼がやがて閉じられるのを確認して、シーツを抱えてそっと部屋を出ようとする。次は部屋、片付けないと。と、
「行かないで!」
振り返ると彼女は怯えたように目を見開いて僕を見つめていた。隣の部屋、片付けるだけですよ。そこにいますから。だめ、だめ、行かないで! 頬を紅潮させて歌子さんは叫ぶ。仕方なく入り口にシーツを置いて、彼女の枕元に戻る。歌子さんは大きく息を吐いて、目を瞑った。あのね、夢、みたの。呟くように言う。え? 聞き返したが彼女はもう僕の声など聞こえていないようで、そのまま呟くように語りだした。




