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しっとりと降る秋雨の中で、僕はコンビニで買ったばかりのビニール傘を片手に家路を辿っていた。もう時刻は夜の九時を回っているが、特に急ぎもせずふらふらと歩く。辺りは月明かりもなく真っ暗で、本当なら今日は満月なのになどと考えつつ空を見上げたりなんかしていた僕は、そのせいもあって、街灯の下に来るまで向こうから歩いてくる女の姿に気が付かなかった。
別に、雨に濡れたいってわけじゃないのよ。
僕より少し背の高いその女は、すれ違いざまに見知らぬ僕に向かいこう呟いた。え。思わず振り返ると、僕を睨み付けるようにしていた女は唇を微かに歪めてみせる。どうやら笑っているらしかった。
あたしはね、ただ傘を差すのが嫌いなのよ。
はあ、と僕は言った。そしてそれ以上何をすればいいのかも分からずぽかんと呆けて彼女を見つめた。彼女は何処か、そういう力を持った人間だった。確かにこんなに堂々と雨の降る日に傘も差さずに歩いている女は奇怪ではあったが、彼女でなければ僕はこんなに不躾に見つめたりなどしなかっただろう。女も同じようにしばらく僕を見つめていたが、急に大声を上げて笑い出した。はっはっは、と。僕は途端に気味が悪くなり慌てて踵を返そうとする。そもそもこんなユーレイみたいな人に付き合ってあげる義理などない。ところが、だ。次の瞬間には僕は左腕をがっしり女に掴まれていた。芯まで濡れているかのような冷たい手。しぶしぶ振り返る。女はもう笑ってはいなかった。僕の目を見て、怖いくらい真面目な調子でこう言った。
「ねえ、あんたん家、泊めてよ」
これが、僕と歌子さんとの出会いだった。




