第6話 すき、だったんだよ。ずっと、ずっと前から。
翌朝。
リビングには、いつも通りの朝の光が差し込んでいた。
トーストの匂いも、紅茶の湯気も、変わらない。
変わったのは、空気だけだった。
「……コーヒーでいい?」
ミナトの声は落ち着いている。
でも、どこか慎重だ。
「うん。ありがとう」
ユイも、いつも通りを装う。
昨夜の告白は、夢じゃない。
ちゃんと覚えている。
――お前のこと、ちゃんと好きだよ。
胸の奥に、その言葉がまだ残っている。
重くて、あたたかくて、怖い。
二人は向かい合って座る。
視線が合いそうで、合わない。
「今日、夕方打ち合わせな」
「うん」
「台本、どうする?」
「……まだ、いつも通りでいいと思う」
ミナトが小さく頷く。
責めない。
急かさない。
それが逆に、ユイを追い詰める。
(逃げないって言ったのに)
自分のほうが、まだ覚悟を決められていない。
*
昼過ぎ。
ユイはひとり、ソファに座っていた。
スマホを握りしめる。
マネージャーとのグループチャットが目に入る。
《最近また空気よくなってきたね》
《次の大型案件、二人推しで行けそう》
仕事は順調だ。
“営業百合”としては。
でも、今はそれだけじゃ足りない。
(どうして、こんなに怖いんだろ)
ミナトが好きだと認めることは、
営業を裏切ることじゃない。
でも。
もし壊れたら?
もし別れたら?
今の関係も、仕事も、全部失うかもしれない。
そこまで考えてしまう自分が、嫌だった。
*
夕方。
配信前のスタジオ。
いつもの位置に座る。
「ユイ」
ミナトが、静かに呼ぶ。
「うん」
「無理に答え出さなくていいって言ったけどさ」
視線が、まっすぐ向く。
「本音隠したまま一緒にいるのも、きつい」
その言葉に、胸が痛む。
「……ごめん」
「謝るな」
ミナトは、小さく笑う。
「俺が勝手に好きになっただけだし」
それが、一番ずるい。
優しすぎる。
ユイは、両手をぎゅっと握る。
「ねえ、ミナトちゃん」
「ん?」
「最初に会ったとき、覚えてる?」
「……オーディション?」
「うん」
あのとき。
ミナトは、台本を五回も読み直していた。
緊張で、声が少し震えていた。
でも、真剣だった。
まっすぐで。
その横顔が、忘れられなかった。
「私ね」
喉が震える。
でも、逃げない。
「そのときから、気になってた」
ミナトの目が、わずかに揺れる。
「強いふりしてるのに、ほんとはめちゃくちゃ緊張してて」
「……やめろ、黒歴史」
「でも、好きだった」
言ってしまった。
空気が、止まる。
「営業じゃなくて」
一歩、近づく。
「ずっと、ずっと前から」
ミナトの呼吸が、浅くなる。
「ユイ……」
「怖かった」
正直に言う。
「営業と混ざるのが怖かったし、壊れたらどうしようって思ってた」
「うん」
「でも、それ以上に」
視線を逸らさない。
「あなたが誰かに取られるほうが、もっと嫌だった」
沈黙。
長い、長い一秒。
ミナトが、ゆっくりと立ち上がる。
ユイの前まで歩いてくる。
「……嘘じゃない?」
「ちがう」
声は震えているけれど、嘘じゃない。
「本気で、好き」
ミナトの手が、そっと頬に触れる。
あたたかい。
「俺も」
静かな声。
「営業じゃなくて、ユイが好き」
距離が、なくなる。
唇が重なった。
一瞬だけ。
でも、ちゃんと現実だった。
配信でも、台本でもない。
カメラもない。
二人だけの空間。
離れたあとも、額が触れ合う距離で止まる。
「……これ、配信じゃないよな?」
「うん」
ユイが、小さく笑う。
「絶対、配信じゃない」
ミナトも笑う。
少しだけ、泣きそうな顔で。
「じゃあさ」
指が絡む。
「これから、どうする?」
ユイは、深く息を吸う。
「営業はやめない」
「え?」
「でも、嘘もつかない」
ミナトが、瞬きをする。
「ちゃんと、本当の私たちでやる」
怖い。
でも、逃げない。
「隣にいて」
ミナトが、ぎゅっと手を握る。
「当たり前だろ」
その言葉で、胸の奥の不安がほどけていく。
仕事として始まった同棲。
営業として始まった関係。
でも今は。
画面の外で、ちゃんと手を繋いでいる。
ユイは、もう一度ミナトに触れる。
「すき」
小さな声。
でも、はっきりと。
ミナトは、今度は迷わず抱き寄せた。
「俺も」
心臓の音が、重なる。
営業じゃない。
台本もない。
それでも、これからも。
二人で、配信を続ける。
嘘の百合じゃなく。
本物の、ふたりとして。
▶︎つづく




