第5話 揺れる画面、こぼれた本音
「今日は――ちょっとだけ、台本なしでやってみよっか」
配信開始三分前。
マイクテストを終えたあと、ユイがぽつりと言った。
ミナトが顔を上げる。
「ノースクリプト?」
「うん。たまには、さ」
一瞬、迷う気配。
でもミナトは、ゆっくり頷いた。
「……いいよ。逃げないでくれよ?」
「逃げない」
そのやりとりのほうが、台本よりよっぽど緊張した。
*
「こんばんは、ゆいみなです」
配信が始まる。
いつもの背景、いつもの並び。
でも今日は、ほんの少し空気が違う。
《台本なし!?》
《マジ?ガチトーク?》
《これは神回の予感》
コメント欄が沸く。
ユイは、画面の向こうを見ながら言った。
「最近ね、同棲も始まったし、ちょっとリアル寄りなお話もできたらいいなって」
ミナトが横を見る。
「お前、急に爆弾投げるな」
「だって事実だもん」
笑いが起こる。
《同棲ネタきた!》
《営業が加速するぞ》
《距離感バグらせてくれ》
ユイは、少しだけ息を吸った。
「じゃあ質問。ミナトちゃん、最近いちばん嬉しかったことは?」
一瞬の沈黙。
ミナトは、カメラ越しにユイを見た。
「……昨日、料理作ってくれたこと」
コメント欄が爆発する。
《きたああああ》
《ガチやん》
《それ営業台詞じゃないやつ》
ユイの心臓が、強く打つ。
(それ、仕事用の答えじゃないよね)
「……そっか。嬉しかったんだ」
「嬉しかったよ」
真っ直ぐ。
その声が、怖い。
台本がないから。
逃げ場がないから。
「ユイは?」
「え?」
「最近、嬉しかったこと」
画面の中で、視線が絡む。
コメント欄が静かになる。
ユイは、笑顔を作ろうとする。
でも、うまくいかない。
「……いっぱいあるよ?」
「具体的に」
優しい声なのに、逃げられない。
(どうしよう)
本音を言えば、営業じゃなくなる。
営業を続ければ、ミナトの目が曇る。
その板挟み。
「……停電のとき」
ぽろりと、言葉が落ちた。
「手、握ってくれたでしょ」
コメント欄がざわつく。
《え、それ本当にあったやつ?》
《裏話!?》
《同棲ガチで草》
ミナトが、少しだけ目を見開く。
「……あれ、怖かったからだし」
「うん。でも」
ユイは、息を整える。
「嬉しかった」
静寂。
コメント欄の流れが、少し遅くなる。
「……そっか」
ミナトの声が、低くなる。
「じゃあさ」
間。
「俺のこと、ちゃんと見てる?」
その一言で、空気が変わった。
《え?》
《今の何》
《ガチトーンじゃね?》
ユイの喉が、乾く。
「見てるよ」
「配信の俺じゃなくて?」
心臓が、跳ねる。
(なんで今、そこ踏み込むの)
画面の向こうには十万人。
でも、距離はゼロみたいに近い。
「……見てる」
かすれた声。
ミナトは、わずかに笑った。
でもその目は、笑っていない。
「そっか」
沈黙。
コメント欄が不安になる。
《今日ちょっとピリついてない?》
《大丈夫か?》
《運営ー!》
ユイは、ようやく気づく。
これは、危ない。
仕事としても。
そして、心としても。
「今日はこの辺で!」
少し早めの締め。
笑顔は完璧だった。
でも指先が、震えていた。
*
配信終了。
赤いランプが消える。
ミナトは、すぐに立ち上がらなかった。
「……ごめん」
ぽつり。
「何が?」
「踏み込みすぎた」
ユイは、言葉を探す。
「違う」
それだけは、はっきり言えた。
「踏み込んだのは、私も」
ミナトが、ゆっくりとこちらを見る。
「……怖い?」
核心。
ユイは、正直に頷いた。
「怖い」
「営業じゃなくなるのが?」
「うん」
一拍。
「でも、それ以上に」
息を吸う。
「あなたの本音に、ちゃんと答えられなかったらどうしようって思うのが怖い」
ミナトの目が、わずかに揺れる。
「……俺は」
声が、少しだけ震える。
「営業でもいいと思ってた。最初は」
「うん」
「でも、同棲してから」
言葉を選ぶ。
「営業じゃ足りなくなった」
沈黙。
重い。
でも、逃げない。
「ユイ」
「うん」
「本音、聞いてもいい?」
ユイは、ゆっくり頷く。
「……俺さ」
ミナトは、目を逸らさずに言った。
「お前のこと、ちゃんと好きだよ」
心臓が、止まる。
営業じゃない。
台本じゃない。
逃げ場がない。
「だから」
ミナトが続ける。
「中途半端なの、きつい」
その言葉は、優しくて、痛い。
ユイは、何も言えなかった。
でも。
逃げなかった。
視線だけは、逸らさなかった。
画面は消えている。
視聴者はいない。
それでも、こんなに緊張するのは初めてだった。
「……答え、すぐ出なくていい」
ミナトが、ふっと笑う。
「でも、逃げないで」
ユイは、小さく頷いた。
「逃げない」
それだけが、今言える全部。
夜は、まだ終わらない。
でも、もう。
営業だけの関係には、戻れないところまで来ていた。
▶︎つづく




