第4話 ほどけてゆく暮らし、知らなかったあなた
朝日が、カーテンの隙間から細く差し込んでいた。
ユイは、違和感で目を覚ます。
――重い。
腕が、動かない。
視線を落とすと、ミナトがぴったりとしがみついていた。
額がユイの肩に触れ、片手はシャツの裾をぎゅっと掴んでいる。
(……昨日のまま寝ちゃったんだ)
寝顔は驚くほど無防備だった。
いつものクールな面影はどこにもない。
眉間の皺もない。
口元も、ほんの少し緩んでいる。
ユイの胸の奥が、じわっと熱を持つ。
(こういう顔、誰にも見せてないんだろうな)
そっと、掴まれている手に自分の指を重ねる。
その瞬間。
「……起きてる?」
目が、開いた。
「うわ」
「うわってなに」
近い。距離が、近い。
二人同時に飛び退く。
「ご、ごめん」
「いや、俺こそ……」
微妙な空気。
でも、昨日までの冷えた沈黙じゃない。
少しだけ、照れくさい。
*
リビングに入ると、ミナトが先にキッチンへ向かった。
「朝飯、ある」
「え?」
テーブルに並んだのは、トーストとスクランブルエッグ。
紅茶の湯気が、静かに立ちのぼっている。
「いつの間に」
「目覚めた瞬間、寝顔見られたの思い出して寝れなくなった」
「それ私のせい?」
「半分くらい」
ユイは、思わず笑ってしまう。
パンにかじりつく。
「……おいしい」
「だろ」
ミナトの声が、ほんの少し誇らしげだった。
(こんな顔もするんだ)
配信では見せない表情。
誰にも見せない表情。
それを、自分は見ている。
それだけで、胸が忙しい。
*
午後。
ユイの部屋から悲鳴が上がった。
「なにこれ!!」
「なに?」
ミナトが駆け込む。
床には、洗濯物の山。
机の上には、カップ麺の容器。
ゴミ袋はパンパン。
「これいつから?」
「……先週?」
「は?」
冷蔵庫を開ける。
「賞味期限二ヶ月前」
「冷凍だからセーフでは」
「アウト」
ミナトが額を押さえる。
「お前、生活能力どうなってんの」
「だって配信忙しくて……」
「忙しいのは俺もだろ」
容赦なくゴミをまとめ、洗濯機を回し、掃除機をかける。
動きが早い。
無駄がない。
ユイは、こたつに足を突っ込みながらぼんやり見つめる。
(ちゃんとしてるなあ……)
守る側。
整える側。
気づけば、ユイの生活まで整えている。
「ユイ」
「ん?」
「ちゃんと生きろ」
真顔で言われる。
でも、怒っていない。
どこか心配そうだ。
胸が、きゅっとなる。
(昨日、あんなに弱い顔してたのに)
ミナトは、根っこが優しい。
それがわかるほど、ユイの中で何かが揺れる。
*
夕方。
洗濯物を干し終えたミナトが、キッチンに立つユイを見つめる。
「包丁逆」
「うそ」
「危ない」
手を取られる。
指の位置を直される。
距離が、近い。
「……見守る係で」
「はいはい」
言いながらも、ミナトは離れない。
その視線が、やけに真剣で。
「そんなに信用ない?」
「信用してるから見てる」
心臓が跳ねる。
(それ、ずるい)
料理は、少し焦げた。
でも二人で食べれば、それなりに美味しい。
「悪くない」
「でしょ」
言葉が重なる。
笑いがこぼれる。
気づけば、昨日よりも、距離が自然になっていた。
*
夜。
ソファに並んで座る。
テレビもつけず、ただ静かに。
「……なあ」
ミナトが言う。
「同棲って、こんな感じなんだな」
「どんな感じ?」
「……意外と、悪くない」
ユイは、隣を見ないまま頷く。
「うん」
心の中で、言葉が膨らむ。
仕事のための同棲。
そのはずなのに。
洗濯物も、朝ごはんも、暗闇も。
全部が、ちゃんと“ふたり”だった。
「ユイ」
「うん?」
「昨日のこと」
一瞬、息が止まる。
「……忘れてないからな」
「……私も」
それ以上は言わない。
でも、目が合う。
逃げない。
「今日は、別々で寝る?」
ミナトが、少しだけ意地悪く聞く。
ユイは、わざとらしく考えるふりをする。
「どうしよっかな」
「……おい」
「冗談」
立ち上がる。
「来る?」
ミナトが小さく笑う。
「行く」
照れくささはある。
でも、昨日より自然。
ベッドに入る前。
ユイはふと思う。
(これ、戻ってるのかな)
それとも。
(新しく始まってる?)
答えはまだ出ない。
でも確かなのは。
今日の距離は、昨日より近い。
営業でも、台本でもなく。
知らなかったあなたが、
少しずつ、ほどけていく。
そしてユイは、
その変化を、嬉しいと思っている。
▶︎つづく




