第2話 はじめての同棲、はじめての暗闇
「……ほんとに、ここで?」
ユイは鍵を差し込みながら、小さく呟いた。
事務所が用意したのは、駅から徒歩十分の2LDK。
新築らしく、まだ誰の匂いも染みついていない白い部屋だった。
最低限の家具と、未開封のダンボールがいくつか。
“仮の生活”という言葉が、そのまま形になったような空間。
ガチャリ、と扉が開く。
「先、入る」
ミナトはそれだけ言って、ダンボールを一つ抱えたままリビングへ向かった。
その背中には、きれいに「仕事」の札が貼られているみたいだった。
ユイも黙って続く。
ドアが閉まる音が、思っていたより重い。
(同棲、か……)
その響きは甘いのに、現実はひどく事務的だった。
*
午後は、ほとんど無言で過ぎていった。
ユイはPC周りを整え、配信用の簡易スタジオを作る。
ミナトはキッチンと収納を担当し、棚を組み立てている。
カチ、カチ、とネジを締める音。
(……あれ、絶対曲がってる)
ユイは横目で見ながら、そわそわする。
ミナトは配信では“完璧な騎士”だが、リアルでは妙に不器用だ。
説明書を読む顔は真剣そのものなのに、手元が危うい。
「……手伝おうか?」
つい口から出た。
ミナトは一瞬だけこちらを見て、すぐ視線を逸らす。
「いい。できる」
言い方はそっけないけれど、棘はなかった。
(ああ、これ……昔の感じだ)
完全に拒絶されているわけじゃない。
でも、自分から踏み込ませない距離。
夕方、ようやく部屋らしくなった頃。
ユイは床に座り込み、ぼんやりとリビングを見渡した。
カーテンが揺れて、光が柔らかく差し込む。
「……夜ごはん、どうする?」
勇気を出して聞く。
ミナトは冷蔵庫を覗き込みながら答えた。
「買ってくる。足りないものも見てくる」
「……あ、私も一緒に――」
「いい」
即答だった。
少しだけ間が空く。
「人混み、疲れるでしょ」
声は、思ったよりやわらかい。
ユイはそれ以上言えなかった。
(断られた、っていうより……守られた?)
その解釈が正しいのかどうか、わからないまま。
*
三十分後。
コンビニ袋を提げたミナトが戻ってきた。
「ただい――」
パチン。
部屋が、一瞬で闇に沈んだ。
「……え」
「ちょ、待って、なに?」
完全な暗闇。
カーテンを閉めていたせいで、月明かりも入らない。
冷蔵庫の低い唸りだけが、やけに大きく響く。
「ブレーカー……?」
「いや、触ってない」
手探りでスマホを探そうとするが、どこに置いたか思い出せない。
そのとき。
ふいに、指先が何かに触れた。
あたたかい。
「……ユイ?」
「うん」
声が近い。
次の瞬間、袖を掴まれた。
「……手、貸して」
その声は、配信のときとは全然違った。
低くて、強気で、余裕のある声じゃない。
小さくて、ほんの少し震えている。
ユイは何も言わず、しっかりと手を握り返した。
「大丈夫。ここにいる」
「……うん」
暗闇の中、二人の呼吸だけが重なる。
(暗いの、苦手なんだ)
ミナトは画面の中では、どんなホラーも笑って流す。
絶叫芸すら“計算”に見せられる。
でも今は。
「ユイ、まだいるよね?」
「いるよ」
「返事ないと無理……」
「逃げないから」
しばらくして、ユイが壁沿いにブレーカーを見つけた。
カチ、と上げる。
一気に光が戻った。
現実。
ミナトは、ぱっと手を離す。
「……悪い。ありがと」
視線を逸らして、耳が少し赤い。
その顔を見た瞬間。
ユイの胸に、知らない感情が生まれた。
(……かわいい)
強がっていて、完璧で、冷たいと思っていた人。
でも、本当は怖くて、ちゃんと震えていて、
それでも“弱いところは見せない”って決めてる人。
さっきの手の感触が、まだ残っている。
「ごはん、食べよ」
ユイは、できるだけ普通の声で言った。
ミナトは小さく頷く。
二人でコンビニ弁当を並べて、テーブルにつく。
沈黙はある。
でも、さっきまでとは少し違う。
暗闇の中で、確かに触れたものがある。
仕事のための同棲。
そのはずなのに。
ユイは、箸を持ちながら思う。
(もっと知りたい)
恋、とはまだ言えない。
でも。
さっきの震えた声を、
もう一度、ちゃんと聞きたいと思っている自分がいる。
窓の外で、遠くの街灯が揺れていた。
同棲初日の夜は、
思っていたより、少しだけ近かった。
▶︎つづく




