第4話 立場という名のブレーキ
「……少しずつ、考える、かぁ」
夜。
高梨ひかりは自宅のソファで天井を見つめていた。
胃は、今日は比較的おだやかだ。
問題は胃じゃない。
問題は、心だ。
朝霞ちよる。
育成枠。
デビュー前。
将来有望。
そして――告白済み。
(私はマネージャー)
立場がある。
年齢差もある。
守る側だ。
好きだなんて、軽々しく言っていい立場じゃない。
スマホが震える。
【千代:おやすみなさい。今日もありがとうございました】
たったそれだけのメッセージ。
なのに、胸がやわらかくなる。
(ずるい)
翌日。
事務所。
「高梨さん」
企画部の先輩が呼ぶ。
「昨日の配信、数字やばいね」
「……はい」
「ちよるちゃん、かなり伸びるよ」
「はい」
「だからこそ、気をつけてね」
その一言が、重く落ちる。
「炎上リスク。恋愛ネタは扱い難しい」
「……はい」
「君も当事者なんだから」
高梨は、静かに頷いた。
(そうだよね)
軽くはできない。
これは、仕事だ。
夕方。
レッスン後のスタジオ。
千代が、ひょこっと顔を出す。
「マネージャーさん」
「お疲れさま」
「今日、少しだけ時間ありますか?」
一瞬、迷う。
仕事としてなら、いくらでもある。
でも、個人的な時間は。
「……十五分だけ」
「十分です」
その笑顔が、少しだけ緊張している。
スタジオの隅。
二人きり。
距離は、以前より少しだけ意識されている。
「昨日のこと」
千代が先に切り出す。
「ごめんなさい。困らせましたよね」
「困った」
即答。
千代が小さく笑う。
「でも、後悔はしてないです」
高梨は息を飲む。
まっすぐだ。
逃げない。
「私ね」
千代は続ける。
「マネージャーさんの“ブレーキ”があるの、わかってます」
図星。
「立場、とか」
「……うん」
「だから、急がせないです」
高梨の視線が揺れる。
「でも」
千代は一歩だけ近づく。
「気持ちまで、ブレーキかけなくていいです」
心臓が跳ねる。
「それは……」
「マネージャーさん、優しすぎます」
優しすぎて、自分を後回しにしている。
その言葉が、刺さる。
「千代ちゃん」
高梨は、ゆっくり言う。
「私はね、君を守る側」
「はい」
「もし関係がこじれたら、君の活動にも影響出る」
「はい」
「それが怖い」
沈黙。
千代は少しだけ考えてから、静かに答えた。
「じゃあ」
「うん?」
「わたしが強くなります」
「え?」
「誰に何言われても、揺れないくらい」
その目は、本気だった。
「だから、マネージャーさんは」
ほんの少しだけ、声がやわらぐ。
「好きなら、好きって思っててください」
言葉が、出ない。
否定できない。
否定したくない。
高梨は、迷いながらも。
そっと、千代の頭に手を置いた。
「……ずるい」
「どっちがですか?」
「君」
千代は、目を閉じる。
「それ、はじめてですね」
「何が」
「わたしからじゃないの」
触れたのは一瞬。
それでも、空気が変わる。
「時間、終わり」
高梨が言う。
「はい」
「仕事に戻ろう」
「はい」
千代は一歩下がる。
でも、最後に小さく笑った。
「ブレーキ、少しだけ、緩みましたよ」
高梨は、何も言えなかった。
図星だから。
マネージャーという立場。
恋を止めるブレーキ。
でも。
完全には、踏み込めない。
完全には、離れられない。
胃は痛くない。
代わりに、胸がざわついている。
(これはもう)
仕事だけじゃない。
でも。
まだ、言えない。
▶︎つづく




