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第1話 営業百合、危機につき同棲開始

「ねぇ、ミナトちゃん。今日も、ずっと一緒にいようね?」


「……しょうがないな。ユイはほんと、甘えんぼなんだから」


 カメラの前で、完璧な百合カップルが微笑みを交わす。

 モーションキャプチャで動く指先が、ほんの少しだけ触れそうになって――視聴者が一斉に息を呑む、その“間”まで計算されていた。


 視聴者数、十二万。

 コメント欄は「尊い」で埋まり、スパチャの通知音が鈴みたいに鳴り続ける。


 これは、Vtuberユニット「ゆいみな」の配信。

 白雪ユイと黒羽ミナト――どちらも大学生配信者で、画面の中では“恋人”として振る舞う、看板コンビだ。


 ユイは癒し系の天使。丁寧な言葉と優しい笑みで、リスナーに安心を渡す。

 ミナトはクールな騎士。刺さる台詞を低い声で落としながら、ユイにだけ甘い。


「リアルにはいない理想の百合カップル」

 それが、彼女たちの売りだった。


 キス寸前の寸劇、カップル生活ごっこ、スパチャで達成する恋愛ミッション。

 どれも上手くいった。上手くいきすぎた。


 ――配信の中では。


「おつゆいみな〜!」


「バイバ〜イ、だ〜いすき!」


 最後まで完璧な笑顔で手を振り、配信ソフトの終了ボタンを押した瞬間。


 画面の中の恋人たちは、霧みたいに消えた。


 スタジオに、音のない空気が沈む。

 ヘッドセットを外す指先の音が、やけに大きく聞こえた。


 ユイは何も言わずに椅子の背にもたれ、息を吐く。

 ミナトは椅子を引く気配だけ残して、すっと立ち上がった。


「……お疲れさま」


 ユイの声は、礼儀みたいに乾いていた。


「……ああ」


 ミナトの返事は短い。

 ドアが閉まる音が、驚くほど小さく響いた。


 まるで、そこに人間関係なんて最初からなかったみたいに。


 少し前までは、打ち合わせの途中で笑うこともあった。

 新衣装の話で盛り上がったり、台本の“甘さ”を競ったり、くだらないことで言い合って――最後にちゃんと、二人で笑えた。


 けれど今は、必要最低限。

 配信の前後は、透明な壁があるように距離を取る。


 人気と裏腹に、関係はとっくに冷えきっていた。


「――で、今の空気、見た?」


 控室。

 マネージャーの声は、カミソリみたいに平たい。


 ユイはソファに、ミナトは窓際のスツールに。

 互いに視線を合わせないまま、同じ空気だけを吸っている。


「今日の配信、ファンにバレかけてたよ」


 机の上のモニターには、アーカイブのコメントが流れていた。


 《最近、距離感じる》

 《ちょっと不自然じゃない?》

 《昔のほうが尊かった……》


 画面の文字は、刺さる。

 夢を売る仕事だからこそ、“リアルの匂い”が必要なのに――いまの二人には、その匂いが足りない。


「だからさ」


 マネージャーは紙を一枚、机に置いた。


「しばらく一緒に暮らして」


「……は?」


「……は?」


 完全にハモって、二人ともようやく顔を上げた。


 紙の見出しは、妙にきっちりしている。


 ――仮契約書:ルームシェア開始について

 期間:お試し一ヶ月


「ちょっと待って。マジで?」


 ミナトが眉を寄せる。


「こいつと同じ空間で生活なんて――」


「“こいつ”じゃなくて、“ユイちゃん”でしょ?」


 マネージャーの一言に、ミナトの口が止まる。

 ユイの胸に、小さな棘が刺さった。


「……はいはい。“ユイちゃん”」


 イントネーションが、微妙に意地悪だった。

 ユイは笑うべきなのに笑えない。だけど、怒るほどの元気もない。


(いつから、こうなったんだろ)


 自分から言葉をかけなくなった。

 ミナトの目を見るのが怖くなった。

 “仕事だから”と割り切って、配信の中だけで近づくようになった。


 でも――


 それでも。

 彼女の口調ひとつで心が痛むのは、どうしてだろう。


「いい? これは“仲直りイベント”じゃない」


 マネージャーは淡々と言った。


「仕事の立て直し。二人で売ってる商品は“関係性”なんだから、そこが壊れてたら終わり」


「……でもさ」


 ミナトが小さく舌打ちを飲み込む。


「生活まで管理されるの、普通に無理」


「断る?」


 マネージャーが、にこりともせずに首を傾げた。


「今、スポンサーが動いてる。次の大型案件、白紙になる可能性あるけど」


 空気が、さらに冷える。


 ユイは契約書に視線を落とした。

 数字と条文の羅列は、いつもならただの紙なのに――今日は、未来を押し付けてくるみたいに重い。


「……期間、一ヶ月だけ?」


 ユイが絞り出すと、マネージャーは頷いた。


「そう。結果が出なければ、別の手も考える」


 別の手。

 その言葉が、妙に怖い。


 ミナトが窓の外を見たまま、ぽつりと言った。


「……仕事として、やるってことだよね」


「そう。仕事として」


 ユイは頷いた。

 頷いてしまった。


 その瞬間、自分の中で何かが「決まった」感覚があった。

 嬉しいわけじゃないのに、心臓だけが少し早い。


 ミナトが、ゆっくりとこちらを見る。

 その視線は冷たいのに、なぜか――昔よりずっと、刺さった。


「……よろしく。ユイちゃん」


「……よろしく。ミナトちゃん」


 呼び方だけが、配信みたいに近い。

 その近さが、皮肉みたいで、ユイは息を吸い込んだ。


 こうして、百合営業ユニット「ゆいみな」は、

 “再構築”と称して――強制ルームシェアを始めることになった。


 バズ狙いの演出か、マネージャーの本気か。

 それとも、運命のいたずらか。


 ユイは契約書の最後の欄を見つめる。


【署名】


 ペンを持つ手が、ほんの少しだけ震えた。


 ――ここから先は、画面の外。

 台本のない、“ふたり”の生活だ。


 そしてユイは、心のどこかで思ってしまう。


(もし、ここで何かが戻ったら……)


 それはきっと、仕事のためだけじゃない。


 ユイは名前を書いた。

 インクが紙に染みる。


 その音が、やけに大きく聞こえた。


 ▶︎つづく

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