4話『一方美人』
「え?」
頭が混乱する。
九死に一生を得たのに殺されちゃう?なんで靴?ブランドはよくあるマディダスの靴だぞ?5000円もしない安物だぞ?どうする!?弾き出せ俺の脳みそ!この場を丸く収める最適解を……!
「ドンキで買いました…」
俺の脳みそは大したことなかった。もうダメだ。流石のドンキといえどもこの世界には多分無い。狂人としてそこのゴリラと同じく下半身と泣き別れだ。さようなら健脚。愛してた。
「……やっと見つけた!!」
――
――――
どれほどこうしていたのだろう。両手を広げてくるくる回り始めたと思えば、次は近くの岩を蹴飛ばしたりと、クリスマスプレゼントをもらった子供のようにはしゃぐ女剣士を俺は呆然と眺めていた。
死の危機から脱した安堵からなのか、死の危機の元凶が小躍りをやめない混乱からかわからないが動く気力が湧かない。そんなことを思っていると女剣士がピタリと小躍りをやめ咳払いをする。
「すみません、取り乱しました。」
取り乱した…?そんなレベルじゃなかっただろ。
「あなたも日本からなんですね!!!」
彼女から飛び出した言葉に目を剥く。あなた”も”
つまり彼女も日本から飛ばされてきたというのだ。
「じゃあ…あなたも?」
「はい!そうなんです!!5年前、年越しの瞬間に跳んだらここにいたんです。あはは!マヌケですよね!最後の瞬間地球にいなかった〜!ってやろうとしたら本当にいないんですもん!笑っちゃいますよね!ほんとうに…ほん…とうに……!」
饒舌に話す彼女の端正な顔が徐々に歪み、泣き出してしまう。こういう時どうしたらいいかわからない俺は砕けた拳を眺めることしかできなかった。
――
――――
それから2人でギルドへ戻ることになった。最初は出身地が栃木だとか犬を飼ってたとかそんな他愛無い話をしていたが、
「ミリモルがまだ終わってなくて――」
「ユニローデが――」
「しのならの続きを――」
途中から一向に内容がわからなくなる。俺が流行に多少疎いのは認めるがここまで話が合わないわけはない。
思い返せば『5年前、年越しの瞬間に来た。』と彼女は言った。俺がここに来たのは2024年6月8日だ。やはりズレている。
「やっぱ、しのならの6話が1番ゾッと――
「あ、あの!俺がここに来た時って日本は6月だったんだけど、君はいつ来たの?」
「え?私は2025年から2026年に変わる瞬間だけど、違うの??」
俺は絶句した。まさか1年半後から来ていると思わなかった。じゃあ彼女は俺が飛ばされた1年半後に、この世界の5年前に飛ばされ…?あれ?わからなくなってきた。……まぁ、別にどうでもいいか。
「え、じゃああなたはいつここに?」
不思議そうに俺に訊ねる。
「2024年の6月8日だよ。昨日ここに来た」
答えると彼女は数秒固まったが俺と同じ考えに行きついたのだろう。すぐに別の話題となった。
「そういえば自己紹介してなかったね!私は朝比奈 アサヒ!よろしくね!」
「俺は安堂 ケン。よろしく。」
「アンドウ…?ねぇ!アンドウ君ってテレビとか出たこととかってある?なんか聞いたことある気がして…」
「いや、ないよ?」
本当にない。だが彼女が1年半後からきていることを考えれば――――日本にはもう帰れないないかもしれない。
そこからはまた世間話をした。『あの漫画はまだ連載しているのか』とか『どの芸能人が結婚した』とかそんな他愛ない話を彼女は懐かしさを噛み締めるように続けた。
――
――――
「え!どうして??」
ギルドの扉を開けると受付嬢が大声を出す。それに続くように物々しい雰囲気の人達がこちらを見る。
「どうして…って?」
大勢の注目を浴び声が上擦る。
「だ、だって、ニーダーモンキーと出会ったって騎士様が…だからこうやって討伐隊を…」
あのゴリラ、そんな名前だったのか。もっと気持ち悪い名前にするべきだろ。にしてもやっぱりそうか。アレはあんな序盤にいるような魔物じゃないのか。少し安心した。
「この人のおかげで助かったんです!」
なぜかギルドの扉の裏に隠れている女剣士を引っ張り出して衆目に晒すとギルド内がザワザワし出す。
「貴方は…『スラムの神出鬼没』…!」
「なぁっ…!くぅ…!」
朝比奈に目をやると顔を赤くし俯いていた。
スラムのファントム?おい、何だその二つ名は。どっかで聞いたぞ?頼むから俺に譲ってくれ。
「彼女がいるということは倒したんですね?!ニーダーモンキー!」
バンッ!
受付嬢に答えることなく朝比奈がズボンのポケットから麻袋のようなものを取り出しカウンターへ叩きつける。
「本物…ですね!おめでとうございます!ではこちらが討伐報酬となります!」
袋の中身を確認した受付嬢は金貨が入った袋を朝比奈へと渡すおギルド内はライブ会場の如く沸き立つ。
朝比奈は受け取るや否や俺の襟を掴み、未だ騒然とするギルドから立ち去る。
「あの袋の中身って?」
「ニーダーモンキーの目!討伐報酬貰えるから取ってきたの!」
朝比奈は少し不機嫌そうに早歩きしている。
「…じゃあ『スラムの神出鬼没』は?」
その二つ名を口にした途端ピタリと朝比奈が止まる。
「ねぇ!それ普通聞く?……はぁ、もういいや。ほら」
そう言うと朝比奈は胸元から木の板を取り出す。俺のより1段階下の階級。つまり最下級の冒険者票を取り出す。
「私のランクは1番下!この世界の文字が読めないから筆記が受けられないの!実力はプラチナなのにずっと木板、だからスラムのファントム!わかった?!」
半ばヤケクソの説明に俺はたじろぐ。
何もわからなかった。かろうじてスラムの由来はわかるが神出鬼没は…?というかプラチナとか自分で言うか…だが、なるほど俺は神官長のおかげでこの国の言語を一瞬で会得したが朝比奈は5年間ここで…大変だったろうな…
「てゆーか、なんでアンドウ君は昨日来たくせにもう喋れるの?!ハーフなの?この世界と千葉のハーフなの?」
怒り狂う朝比奈にこの世界に来てからのことを話した。
――
――――
「え〜!ずるいずるいずるい!魔法で一発?私にも紹介してよ神官長〜!」
「今度騎士の人に頼んでみるよ」
当たり障りない返事をすると朝比奈は満足したようだ。
「絶対だよ?そういえば、はい!これ!」
朝比奈が金貨袋を手渡してくる。
「受け取れないよ!俺は助けてもらったんだし朝比奈が全部使うべきだ」
「うーん、でもアンドウ君、無一文でしょ?じゃあ今日の宿代くらいは貸してあげる!」
そう言って金貨を3枚ほど俺のポケットに捩じ込むと朝比奈は走り去っていった。10メートルほど離れたところで彼女が振り返り叫ぶ。
「明日は7時にギルド前ね!!」
明日…?
適当な宿屋を探して入ると一泊朝食付きで銅貨5枚だった。
この国の貨幣価値を知らないがあの金貨袋があれば10年くらい遊んで暮らせ――
ぬるい考えが頭を過ぎるも砕けた右手の激痛で中断される。使い慣れていないメリケンサックのせいでこうなったのだ。右手は青紫に腫れ、熱を帯びている。
病院とかこの国にあるのだろうか。明日朝比奈に聞いてみよう。
――
――――
「おはよー!!」
約束の時間になると朝比奈はけたたましい声とともに登場した。拳が腫れて寝付けなかった俺の頭には酷く響く声量だった。
「どうしたの?顔色悪いけど…あっ!治療棟行かなかったの?それともアレじゃ足りなかった?まぁ、いいや!行くよ!」
嵐のような勢いで朝比奈にギルド横に併設されている白い建物に連れられる。ニュアンスから察するに病院的なところなのだろう。しかも高額の。
中は意外にも教会のようだった。奥には2日前、牢の前にいた神官長よりも地味な格好の、だが聖職者とわかる装いをした女性が佇んでいた。
朝比奈に言われるがまま女性に金貨を一枚渡すと俺の右手に触れてくる。痛いっ!と思う前にみるみる腫れが引いていく。そして体の疲労感までもが癒え始めた頃に女性が手を離し軽く会釈をして去っていく。治療が終わったらしい。
「すごいでしょ!魔法で怪我が治るって便利だよねー!私も――――」
相変わらず端正な顔に似合わず饒舌に話す彼女に適当な相槌を打っていると「じゃー、治ったしクエスト行こっか!」と満面の笑みで恐ろしいことをぬかす。
「ごめん、行きたくない。」
「え、なんで?」
「なんでって、昨日あんな目にあって今日また行けるわけないだろ……」
「大丈夫だって!私がいるんだしアンドウ君は死なないよ」
「それでも、今日は……」
「うーん、そっか、なら私だけで行くね。行けるようになったら声かけてよ。いつも7時半にここいるからさ」
朝比奈がどんな魔法を使えるのかは知らない。もしかしたら時間停止だとか、見た相手を殺す魔法だとかそんなチートじみた魔法かもしれない。だが使うのが人間である以上ミスはある。そのミスで死ぬのはごめんだ。俺も朝比奈も。せっかく会えた同郷なのだ。俺の知らないところで死ぬのは許せない。ここは説得して引き止める。
「朝比奈はなんで戦うの?生活だってあの金貨があれば不自由ないだろ?」
「アンドウ君さ、私この世界で見たことあるんだ。ミニモンのニカチュウ。」
「え?」
ミニモンもニカチュウも知っている。国民的ゲームに出てくる小さいネズミのような可愛らしい見た目のキャラクターだ。だがなぜ今?
「この世界の魔物は日本人が作ってる。しかも多分小さい女の子。ニカチュウ以外にも女の子が好きそうなキャラクターがいたんだ。」
朝比奈は伏せ目がちに続ける。
「アンドウ君は知らないかもだけどゴブリンとか昨日のニーダーモンキーとかって最近の魔物なんだよね。」
「それって……」
「うん、だんだん変な方向に行ってるんだ。だから私はその女の子を抱きしめてあげたい。大丈夫だよって。もう心配ないよーって。」
「……俺も行くよ。」
「え?大丈夫なの?」
「あぁ、大丈夫」
声が震えないようにするだけで精一杯だった。
俺は良い人ではない。本当は行きたくない。だが子供が異界の地で困っているのを見過ごして暮らせるほど冷徹になれなかった。