17話『ぽんこつブローカー野』
気がつくと薄暗い森の中だった。
仰向けでピクリとも動かない朝比奈、木の根元に座り込んで頭を項垂れている桐原、そして地面から生えている脚。
脳の半分が無くなってしまったかのように何も考えられない。朝比奈は、桐原は大丈夫なのだろうか。そしてこの状況は?俺は確か銃で撃たれて…
撃たれた脇腹を軽く撫でようとするが布でキツく縛られていた。血と土の色が混じった汚い布だった。おそらくあの状況から2人が俺を逃してくれたのだろう。そして体力を使い果たして休憩中といったところだろうか。
状況が確認できると沸々と怒りが湧いてくる。これが怒りかはわからない。あるいは後悔かもしれない。俺は最大の目標を前に銃に怯えてしまった。刺し違えてでも殺さなきゃ行けない相手だったのにたかが銃如きで――
「あー、もう!何だこの脚。何で地面から生えてんの?」
この土から生えた2本の細い脚のせいでうまく思考がまとまらず不愉快な気持ちになる。眠りたいのに眠れない。そんな苛立ちに似ている。脚の持ち主については大方予想はついているのだが……
「あ、アンドウ君!よかった!」
朝比奈がゆっくりと状態を起こす。顔には土なのか血なのかわからないが汚れており、髪の毛はパキパキだ。
「あぁ、ありがとう。朝比奈。……この脚何?」
あれからどれくらい時間が経った?とか、どうやってここまで来た?とか、そんな質問よりも気になってしまった。
「あー!上田さんの脚だよ!アンドウ君がこっちに突き飛ばしたから一応持ってきちゃった!」
「いや、だからそうじゃなくって、」
「朝比奈ちゃんがやったんだよ……」
桐原がそのままの体制で目だけ向けてくる。
「何とか連れてきたのはいいんだけどそこのお嬢ちゃんが泣くわ喚くわうるさくてねぇ。だから朝比奈ちゃんが埋めちゃったんだよ。まぁ、静かになったよね。」
「埋めちゃったん……だ。」
「うん!」
朝比奈が口角をニッとあげる。
にしても上田の魔法は凄まじい。こんな状態になっても生きているというのだから驚きだ。傷一つなく、無呼吸で問題ないところを見ると溺死、圧死、焼死、あるいは毒殺も無意味かもしれない。やはり最初に考えた『上田を高速移動させて土谷にぶつける』方法でないと殺せないかもしれない。
「ところで安堂君、あれは何だったんだい?」
桐原が『あれ』と指すものは恐らく”俺の高速移動”のことだろう。あの時頭に響いた単語を一つずつ口に出した途端の万能感、圧倒的な速度とパワー。明らかに魔法だった。神官長の話に照らすなら”詠唱”をして魔法を行使したのだろう。だが俺の魔法は【発光】のはずだ。新たに獲得したとしてどのタイミングで……
「まぁ、安堂君は、あの娘に遊ばれたんだろうね。あのシスターちゃんは意味がない嘘吐くタイプだからさ」
桐原のこの言葉で全てが納得いった。以前ギルドで俺のステータス表は魔法の欄が正式なものとズレていると言われたのはこれだったのか。本当にあの神官長は……
「ごめん、もう行こうか。」
俺は元カノを掘り起こす。掘り起こすというよりかは無理やり引き抜いた。
引き抜いた女は俺の顔を見るなり、マンドラゴラのように騒ぎたてた。
「ほんっと気持ち悪い!」「ストーカー!離して!離せ!」「ヘンタイ!」
謂れのない罵詈雑言を浴びせられ、口でも塞ごうかと考えた時に脳を貫くような一言が飛び出た。
「本当は私のことなんて好きじゃないくせに」
俺は何かに急かされるように上田の口に土を詰めた。
どうして焦ってしまったのかわからないが何故か聞くに耐えなかった。魔法のおかげか苦しそうにすらしない女に俺はひたすらに土を地面から削り取っては詰め続けた。口と地を4往復もすると桐原に腕を掴まれる。
「……なんですか?」
桐原は何も答えないがアイコンタクトのみで『止めろ』と促してくる。その目線で落ち着き朝比奈の方に目をやると怯えた目をしていた。そこで初めて俺は取り乱したくことを自覚し手にした土をボトボトと落とした。
特に会話もなく張り詰めた空気の中、ログハウスまでの道のりをトボトボと歩いた。2日ほどでログハウスに到着すると、入る前に双子ちゃんが石像にされていた洞窟の奥に手足を縛った上田を置いていく。
ログハウスの扉を開くとおでんの缶詰を頬張る双子ちゃんと部屋の隅で体育座りをしているコピー朝比奈が目に入る。
「ただいま……!」
朝比奈が膝をつき手を広げると双子ちゃんはおでん缶そっちのけで駆け寄る。
俺は桐原と所在なさげにその光景を眺めていた。
そのあとはすることもなく、出発前よりも拡張されていた風呂に浸かる。俺は水滴がぶら下がった天井を眺めながらまた、ぬるま湯のような生活に戻ってきてしまったことに不安を覚える。何も成さず、ただ銃で撃たれただけ。女を鹵獲しただけで結局アイツには――――
ガラッと脱衣所の戸が開かれる。
そこには服の上からじゃわからなかったが、そこそこ筋肉質の桐原が立っていた。数秒広くなった浴室に視線を漂わせたあと突然走り出し湯船に飛び込んでくる。
「うわっ……おっさん!」
「いやぁ、広くなったねぇ!この風呂!やっぱ日本人たるもの風呂には………ってそんな気分じゃないよな。」
桐原は片手で風呂をすくって指の間から流れる湯を眺めながら口を開く。
「よく、わからないんです。この世界で土谷と夏葉を見た時から……いや、カラオケの時からずっと全部が痛くて、苦しくて。撃たれた時だって撃たれた場所なんかより胸が痛くって……」
つい考えていたことが口から漏れ出す。
桐原は湯に沈み込みながら目線を天井に向けて聞いてくる。
「その痛みは火傷みたいな感じかい?」
「……はい!」
初めて理解者を得たような気分になり高揚する。
「安堂君、それは……『敗北』だよ。」
「は、……は?」
鋭い閃光を浴びたような感覚だった。そして頭の中でカチリと音がした。
「たまにいるんだよ、君みたいなの。何一つ本気でやったことないから敗北を経験してこなかった人間。恵まれて、幸せで、かわいそうな人種だよ。」
「そんなわけ……そんなわけない!俺は辛かった!苦しかった!愛してたっ!!」
「いーや、君は敗北を知らない。知らなかった。そして上田ちゃんの言うとおり愛してもなかった。負けたことがない人間は何も愛せない。」
「愛してたって言ってんだろ……?何を根拠にっ……」
桐原のトンチキな一言に激昂する。
「だって君ぃ、勇者2人が現れた時、土谷しか見てなかったよ?」
「そんなわけ……ねぇだろ……だとしても何だよ!」
「さて、君は決勝戦に挑む選手です。柔道だって、卓球だって、ゲームだって1対1の試合だったら何でもいい。そこで君は何が欲しい?」
「は?…………勝ち、とか?」
突然の桐原の話に動揺しつつも何とか答えを捻り出す。
「いいね!そう、勝利だ!名声かもしれないプライドってのもある!だけどね、トロフィー本体が欲しい奴なんていないんだよ。だから見もしない。」
俺が何も答えられないでいると桐原は続ける。
「上田は君にとってのトロフィーなんだよ。どうだっていいものなんだよ。君はただ初めて目の前に現れた『敗北』を受け止められずにいるんだ。」
「……っ!」
うまく言葉が出ず反論できない。ぐうの音も出ないほどの正論。真正面に撃ち込まれた核弾頭。
「月並みなことを言うけど敗北だけが成長の糧だよ。負けたから自分を見つめ直す。負けたから鍛える。負けたから諦められる。……だからそんな顔すんなよ。おめでとう安堂君。君は強くなれる。まぁ、僕はもう上がるよ。ごゆっくり。」
桐原は脱衣所手前で振り返ると再び口を開く。
「あんま朝比奈ちゃん泣かすなよぉ?」
イタズラっぽく笑って出ていった。
最初から感じていた胃の、腸の焼けつくような痛みの名前を今日知った。自分の中の辞書に『敗北』のに文字が追加された瞬間だった。
“敗北”か……言葉にしてみれば案外――
「しょうもなかったな」
俺は頭の先まだで湯に潜った。このまま溶けてしまいたかった。