補遺 『桐原 丈登』
2024年12月20日、某所
「安堂 ケン……か。」
悩まし気な顔の中年男性が紙コップに注がれたコーヒーを一息に煽る。
「先輩がパチンコ以外でそんな顔するなんて珍しいですね〜。まだ調べてんですか?」
軽薄の2文字がよく似合う若い男がこちらに視線を向けることなく呟く。
「あぁ、どーも違和感がな……」
「まぁ、確かに変な事件ですけど遺体すら見つからないんじゃしょうがないでしょう。そんなのよりこっちの手伝ってくださいよ。ちょっとヤバそうで」
「そーなんだけどさ……」
6月8日。人を轢いてしまったというトラック運転手から通報があった。すぐに近くの警官が向かったが死体も車の凹みも見られないという。イタズラを疑った警官は事情聴取として運転手を連行した。
一応ドライブレコーダーを確認したところ本当に20歳前後の男が写っていた。ぶつかったと同時に映像が乱れその男がどうなったかはわからない。ドライブレコーダーには編集された後もなく、通報時間から考えても矛盾はない。
映像を元に周囲に聞き込みをすると、すぐに男の身元がわかった。安堂 ケン、20歳。この映像を最後に行方不明……か。
この事件は「轢かれた幽霊」、「消えた死体」などと面白おかしく報道されたが1ヶ月もすると皆が忘れた。だが、この事件に妙に興味を唆られ、珍しく夢中になって安堂について調べた。1年半も調べているといくつか奇妙な点があった。
安堂は大学生であり、この日は1限と4限があったのにも関わらず1限の後、帰宅していることが最寄駅のカメラからわかった。これだけなら大学生のサボりで片付くのだがそれ以降の足跡が不自然なほど残っていない。
ドライブレコーダーの映像を見るに安堂は一度家に帰り、着替えているのだ。そして安堂の家の周辺には大通りがいくつもあり、どこに行くにもどこかしらの監視カメラに映るはずだ。それなのにどこにも映らず家から10キロほど離れた場所で轢かれている。
そして最もこの一連の流れに違和感を与えるのは、安堂失踪前後に安堂の元恋人とその彼氏も失踪していることだ。この2つの事件は繋がっていると警部の勘が訴えかけるが材料が圧倒的に足りない。せめてどちらかの居場所さえわかれば…
歯痒さに悶えていると部屋のドアが無遠慮に開かれる。
「桐原警部!上田 夏葉の一部が見つかりました。」
不謹慎にも興奮に近い感情を覚えた。
「どこで見つかった?」
「千葉県、C市の沿岸部のテトラポットの隙間です。人骨が落ちていると通報があり、調べたところ失踪中の上田 夏葉のDNAと合致しました。」
「そうか、ありがとう。戻ってくれ。」
「まさか安堂がやったんすかね…?」
「憶測で喋るな池内君。」
「……ははっ、じゃあなんで桐原さんそんなにご機嫌なんですか?」
「さぁ、知らないな。」
いつもなら意地でも定時帰るところを、終電すらないこんな時間まで考察に費やした。
そして今、落胆している。2人の遺体は安堂がやったと考えるには無理があることに気づいたからだ。仮に安堂が実行したとすれば一度も監視カメラに映ることなく3時間弱で約50kmを移動したことになる。
車かバイク、自転車を使えば簡単だが、監視カメラに映らないルートを作成してみたところ乗り物に乗って移動できるような道のりではなかった。
つまり「6月8日に安堂が遺体をC市の沿岸部に遺棄した。」と言う仮説を通すならば、安堂は50kmを3時間弱で走り切ったことになる。
50kmマラソン、男子の世界記録が約2時間40分である。だが、これは軽装の人間が整備された道を走った記録だ。つまり安堂は肉塊を持ち、藪や山の中を通りながら世界記録に近いタイムを出したことになってしまう。ましてや安堂は受験のために高校2年生の夏に部活を辞めている。不可能だ。興奮の萌芽が一瞬で摘み取られた。
「うわ〜、先輩よくこんなに調べましたね!」
「なんだ、まだいたのか?」
「うわ、ひでぇ…俺ずっとそこで作業してたんすよ?……で、安堂がやったんすかね?」
「違うだろうな。安堂がフォレスト・ガンプならできるだろうが」
「ははっ、超人って言いたいならウルトラマンでしょ」
「は?……あぁ、なるほど。お前例えが下手だな」
パソコンに向き直り、先ほどまで輝いて見えた資料のタブを閉じていく。
「そうっすかね?じゃあこれはどうっすか?ジョン・ウィックみたい……ってのは」
「上手だが笑えないな。……なんの真似だ?」
後輩の池内が銃を後頭部に当てているがその手は震えている。
「すみません、先輩が片手間で手伝ってくれてた事件で踏み込みすぎちゃったみたいで。だから……すみません。」
「彼女でも人質に取られたか?」
「はい…本当に、すみません。桐原さん。」
「……チッ、引き戻しに期待するよ。」
カチャリと金属音が鳴り、轟音を聞くこともなく意識は遠退いていった。
ギャンブル以外に趣味の無い、寂しい男の人生が終わった。初めて仕事で興奮を覚えるも泡のような幻想だった。そしてそれが最後の仕事だった。
あぁ、つまらない。つまらなかった。でも、もうどうでもいいか。あーあ、あの新台もう少し打ち込んどけばよかったな。
……あれ?なんだこのエピローグ?銃で撃たれたからこんな時間はないはずだが――
目を開くと薄暗い部屋でローブを被った人達に囲まれていた。真下には魔法陣、人の壁の向こうには偉そうな初老の男。警部の勘がやたら良い声で囁く。「ロクでもないことになった。」と。
奥から出てきた修道女に光を浴びせられるとこの世界の常識などが頭の中に流れ込んできた。脳の隙間を何かが這っているような感覚に吐き気を催したが大体のことが理解できた。そしてなぜかこれを信じた。
――
――――
最初は勇者なんて担ぎ上げられたが水晶玉に手を置いた後あたりから彼らの態度が大きく変わった。
水晶玉を見ていた修道女から手渡された紙には
『物理:D
魔法:C
敏捷:F
体力:E
人継魔法:借用 』
野球の育成ゲームを昔にやったことがあるがこんなステータスしたやつはベンチにも入れなかった。
まさか自分がその立場になるとは。
呼び出したのはこちらだからと高待遇を受けたが1ヶ月も城で暮らしていると穀潰しを見るような目が増え、耐えきれず脱走した。
この世界ではコネもないので、ギルドと呼ばれる場所で冒険者になろうとしたが城で貰ったステータス表を提出したところ断られてしまった。
しかたがないので人手不足の農家で働かせてもらうことにした。日本にいた頃、テレビで聞き齧った程度の知識だったが肥料の概念が希薄なこの世界では非常に重宝された。動物の骨や食べ残しが肥料になることを教えると魔法でできた農薬とかいう高く、怪しい肥料を買えない農家から非常に感謝された。
前職が刑事であり、与えられた仕事を淡々とこなすだけの無能だっただけに感謝されることとは縁遠かった。ここでは少しの薄っぺらい知識で多大な感謝が得られ報酬神経がイカれてしまいそうになるが、どこかに幼稚園生のリレーで無双するような虚しさがすぐに現実に引き戻した。
いつのまにか「豊穣の賢者」なんていう中年には恥ずかしい異名を背負い、後輩に撃ち殺されたことなど忘れ5年ほど悠々と暮らしていたところに、いつかぶりの衝撃が走った。
新しい勇者のお披露目会なるものを脱走者の身分ではあるが興味本位で見に行くと、生前あれほど渇望した3人の居場所がわかったのだ。土谷 圭介、上田 夏葉、安堂 健。
大穴の3連単が当たったような光景に不覚にも絶頂してしまった。
そして、どちらと接触すべきか迷った。勇者として担がれている土谷と上田。再び罪人となって逃亡を図る安堂。迷った挙句、勇者の2人と接触することにした。
そしていずれ安堂も追いかける。だが勇者はそこにいるものの安堂は逃げてしまった。
まぁ、いい。逃げた人間を追うのが警察の仕事だ。培った知識、経験は死ぬことはない。再び興奮の芽が生える。
「さぁて、仕事の時間だねぇ」
桐原はスロットを打ちますが訂正するのが面倒くさいのでパチンコで通しています。