第8話:大切なの幼なじみ
家の前に着いたとき、俺は少し奇妙なことに気づいた。
出かける前に、確かに全部の電気を消したはずだ。けれど、今は家の中から明かりが漏れている。
つまり、誰かが俺の家の中にいるということだ。
その人が親父ではないだろう? もし親父だったら、空港に迎えに来るように事前に連絡してくるはずだ。
でも、サプライズを狙って黙ってる可能性もある。
いや、それならば残る可能性はただ一人しかいない。
まさか……
あの人だけは本当に勘弁してほしい。こんな怪我をしている姿を見られるなんて、考えるだけでも面倒だ。
でも、外は少し寒いし、ここで立ち尽くしていても仕方ない。覚悟を決めて、扉を開け、誰が中にいるのか確認しに行くしかない。
家に入ると、ピンク色の女性用の靴がきちんと揃えて置かれていた。甘い香りが鼻を突く。
やっぱり……嫌な予感が当たった。
家の中にいるのは──
「ただいま!」
いつも通り、俺は家に帰ってきたことを知らせるために声をかけた。
「遅いよ、マイト! ほんと、待たせすぎよ!」
家の中からは、女性の怒ったような声が返ってきた。
そう、その声の主は幼なじみのアライ・ユアだ。
彼女の言葉を聞きながら、腕時計を確認すると、すでに夜の八時を過ぎていた。
確かに、今日はいつもより遅く帰宅している。
普段は、あまり外出しない俺だが、出かけたとしても、大抵は夕方の六時には家に戻っている。それか、特に用事がなければ、一歩も外に出ないこともある。
親父が海外出張に出てから、ユアはよく俺の家に来て料理や掃除をしてくれるようになった。それだけでなく、俺のTシャツを勝手に着ることまでしてくる。
まるで彼女が俺と同居している彼女だと思っているのか?
いや、まさかそんなわけじゃない。
彼女の声が聞こえてくる方に足を向けた。声のする方向、つまりキッチンだ。
キッチンに入ると、ユアが台所に立っているのが見えた。彼女は俺の愛用の大きめの白いTシャツを着ていた。
ほら、やっぱりまた勝手に着ているじゃないか。
「ユア、勝手に俺の家に入るの、もうやめてくれないか?」
俺は少し不満げに言った。
「えー? でも、あんたの面倒をみるのがあたしの役目でしょ?」
「誰がそんなことを頼んだんだよ?」
「お父さんがお願いしてきたんだよ」
まったく、親父は余計なことを……
顔に手を当てて、呆れたように溜息をついた。
俺はもう高校二年生だし、こんな子供みたいに誰かに世話される必要はないだろう?
それに、相手が同い年の幼なじみだなんて、恥ずかしいに決まってる。
俺は一人で自由に、そして自分のことは自分でやりたいんだ。
明日、新しい鍵を付けようかと考えているけれど、それも無駄かもしれない。
彼女はまた合鍵を作り直してくるだろうし、結局は諦めるしかないんだろう。
「まあまあ、そんな小さいことは置いといて。今日は特別な料理を用意したんだ」
俺が不機嫌になっている間に、ユアはいつの間にかテーブルに二皿の料理を並べて、にこやかに笑って言った。
「へえ、美味しそうだな」
思わず口に出してしまった。
だけど──
「ちょっと待って、これってお前が好きなカレーじゃないか。それのどこが特別なんだ?」
「うんうん、特別だよ。だって、その秘密は味にあるんだから」
「味?」
俺は首をかしげた。意味がわからなかった。
「試してみれば分かるよ」
お腹がすでに鳴り響いていて、目の前のカレーを見ていると、我慢できなくなってしまった。
カレーの誘惑に負けて、俺はカレーに手を伸ばした。
「とにかく、今はお腹が空いてるから、食べてから話をしよう」
「そうそう、早く食べないと冷めちゃうよ!」
テーブルに座り、スプーンを手に取った。そのとき、ユアが突然テーブル越しに身を乗り出して、俺の右手をじっと見つめてきた。
「ちょっと待って! その手、どうしたの?」
しまった! 彼女のことを考えていたら、すっかり忘れていた。
俺は急いでスプーンを置き、右手を隠した。
「いやいや、大したことない……ちょっとした怪我さ」
俺は焦って言い訳をした。彼女にケンカで負った傷だとは知られたくなかった。
「嘘が下手すぎるよ。さあ、その手をあたし見せて」
「……」
俺は迷って、手を差し出さなかった。
「もし見せないなら、このカレーを取り上げて、あんたを家から追い出すからね」
彼女が大声で言い放ったので、俺はびっくりしてしまった。
本当に追い出すのか? ここは俺のうちだぞ。
もうどうしようもないので、夕食を失いたくないし、ましてやホームレスのように外で寝るなんて嫌だから、俺は右手を彼女に見せることにした。
「分かった、見せるよ」
ユアは、俺の包帯で巻かれた右手をじっくりと見つめ、そっと包帯を外して傷を確認した。そして、彼女は真剣な表情で俺を見つめながら言った。
「この切り傷、どういうこと? 誰かとトラブルを起こしたの?」
「実は帰り道で、学校の同級生が三人の変態さんに絡まれていたから、助けてあげたんだ」
俺は嘘をつけないので、本当のことを話した。
「そしたら、そのうちの一人がナイフで俺を刺そうとしてきたから、とっさに右手で防いで……」
バシッ!
俺が話し終える前に、ユアが突然立ち上がり、テーブルを揺らし、水の入ったコップが倒れた。
あいつは俺のところに駆け寄り、突然、俺の頬を平手打ちした。
驚いて何も言えなかったけれど、ユアの目には涙が溢れていた。
「馬鹿かあんたは?! どれだけ危険なことをしたのか、分かってるの? もし何かあったら、あたし、どうすればいいのよ? 自分の命をもっと大事にしなさいよ、この馬鹿!」
あいつの激しい言葉に、俺は彼女がどれほど俺のことを心配してくれているのかをようやく理解した。
彼女が俺を叩いたのは、俺が自分の命を軽視して、愚かな行動を取ったからだった。
実際、ユアの両親は海外で働いていて、彼女が日本で頼れる人は俺しかいない。
彼女が怒って俺を叩くことはこれまでもあったけれど、俺のために涙を流す彼女を見るのは初めてで、本当に驚いた。
まったく、また彼女に迷惑をかけてしまった。
俺は本当に馬鹿だ。
床にポロポロと落ちる彼女の涙を見て、俺は慌てて手でそれを拭ってあげた。
「こんなに心配かけて、すまないな」
「次は、もうこんなバカなことしないでよね?」
「うん、もう二度とお前を泣かせないんだ。約束よ」
俺は決意を込めて彼女に伝えた。
「とにかく、まずは消毒しないと。ちょっと待ってて」
彼女は急いで消毒液を取りに行き、優しく俺の手の傷に薬を塗り、包帯で丁寧に巻いてくれた。
その後、俺たちは一緒に夕食を楽しんだ。スプーンを取って一口目を口に運ぶ。
と──
瞬時に、このカレーの「特別な味」が何なのか、俺には分かった。
そういうことか。
どうしてだろう、目に涙が浮かんでくる。
「この味……母さんと同じだ」
思わず、俺は口に出してしまった。
香り豊かで、スパイシーさが口いっぱいに広がり、止まらなくなる味。
間違いない、これは昔、母さんがよく作ってくれたカレーだ。
懐かしさと温かさが、俺の心を揺さぶる。
「どう? 美味しかった? 実は、あんたのお母さんのレシピを見つけて、このカレーを作ってみたんだ」
だから、あんなに懐かしかったんだ。
昔、母さんはこのカレーを俺とユアのためによく作ってくれていた。その独特の味を、俺は決して忘れることができなかった。
これこそが、俺がその日食べた中で最高のカレーだった。
母さんが亡くなってから、もうこの味を味わえないと思っていたけど、まさか──
「ユア、お前が母さんのカレーをこんなに完璧に再現できるなんて思わなかった」
「ふふん。天才だからね、あたし」
彼女は誇らしげに腰に手を当てた。
「うん、想像以上だよ。ありがとう、ユア」
「えへへ、どういたしまして。あんたが喜んでくれたら、それでいいの」
きっと、彼女は俺を驚かせたくて、わざわざこのカレーを作って待っていてくれたんだろう。
それなのに、俺はゲームに夢中になっていて、何も気づかず、さらには彼女を心配させてしまった
俺は本当にひどい友達だ。
これからは、もっとユアの気持ちに気を配らないといけないな。
そうして、俺たちは穏やかな夕食を共に過ごした。