70.リーテアとロゼ
《愛の魔女》は、人と人の想いを繋ぐ存在。
そしてその真の力は、《愛の魔女》が愛した人間に対して、治癒を施すことができること。
使い魔のロゼは、《愛の魔女》と契約を交わしてからしばらくは、その真の力について魔女が成人するたびに毎回説明をしていた。
ある魔女は役に立たない力だと笑い、ある魔女は恋人のためになると喜んだ。
そしてある時代で、《愛の魔女》の真の力に目を付ける男が現れた。
その男は、不治の病を患っていたのだ。
真の力は、魔女自身が愛する対象者にしか使えない。
男は魔女が恋人のケガを治す場面に出くわしていた。
それを知ると、男は魔女を無理やり自分のものにした。監禁のような生活を強いられ、魔女の心は弱っていく。
ロゼは励ましの言葉を掛けることしかできなかった。
そんな生活の中で、魔女が男に対して愛情を抱くわけがない。
いつまでも力を使えない魔女に暴力を加え、山奥へ捨てた。その山の近くの村で、魔女は男との間に身籠った子を出産し、そのまま亡くなった。
その子どもに、無情にも《愛の魔女》の力は受け継がれる。
ロゼは悲惨な光景を繰り返さないよう、真の力について、本当にその力が必要になるまで黙っていることに決めたのだ。
そして、使い魔の証である白い体は、真の力を黙っている代償なのか、徐々に黒ずんでいった。
―――それは、リーテアが初めて聞いた《愛の魔女》とロゼの話だった。
「……それから、真の力を必要とする機会はやってこなかった。ついさっきまでね」
あはは、と乾いた笑いを漏らすロゼを、リーテアはぎゅっと抱きしめた。
「ロゼはずっと…私たち《愛の魔女》を、護ってくれていたのね」
「……違うよ。僕は何もできない。ただ悲劇を繰り返したくなかったから、勝手に真の力を隠していたんだ」
「何も違わないわ。少なくとも私は、ロゼがずっと護ってくれていたんだって、そう思ったから」
リーテアが優しく微笑んでそう言えば、ロゼは腕の中で丸くなる。
「……リーテアは歴代の《愛の魔女》の中で、一番の変わり者なんだよ」
「え、それは悪口?」
「それで、一番《愛の魔女》に相応しい魔女。僕が一番、幸せになってほしいと思った魔女」
ロゼの青い瞳が、じっとリーテアに向けられた。
「……僕は、ずっと怖かった。リーテアが愛をほしがっていることが分かってから…いずれその愛を見つけることが。その愛する相手に不幸が起きれば…僕はきっとリーテアのために、真の力を解放する」
「………」
「そうすれば、僕の姿もリーテアの姿も変わってしまう。周囲に《愛の魔女》の真の力がバレてしまう…」
「……誰かが私を利用しようとするんじゃないかって、悲劇が繰り返されるんじゃないかって…そう思ったのね?」
リーテアが問い掛けると、ロゼは悲しそうに頷いた。
「リーテアと王子が惹かれ合っていく様子を見て、僕はずっと今日みたいな日が来るのを恐れていたんだ。黙っていたくせに、未来を怖がって…リーテアに、心配をかけたよね」
「……それで最近ずっと、様子がおかしかったのね…」
ロゼはずっと、秘密を抱えていた。そしてずっと、リーテアの未来を心配してくれていたのだ。
(いつだってロゼは、私の味方でいてくれた。ラデュイ国を出たときも、ロゼがいるから大丈夫だって思えた。私にとって、ロゼは…)
「―――ロゼは、私の大切な家族だわ」
頭を撫でながらそう言えば、リーテアを見上げるその瞳から、ポロッと涙が落ちた。
「〜〜〜ううっ…だから、嫌なんだ…!」
「ロ、ロゼ?」
「どんなに僕がリーテアと離れたくなくても、リーテアはそのうち僕が見えなくなるし、話もできなくなっちゃう…!」
ポロポロと綺麗な涙を零しながら、ロゼが言う。その言葉は、いずれリーテアが子どもを産み、魔女の力が受け継がれたときのことを言っているのだ。
リーテアはロゼの涙を指で拭いながら、ふふっと笑う。
「ねぇロゼ、私は前に、ディランに言われたことがあるの。“子孫を残そうとするのは魔女の本能なのに、君にはそんな本能が全くなさそうだけど”って、そんな感じのことを」
「………っ、そうなの?」
「そう。私は《愛の魔女》であることが誇りだし、この素晴らしい魔法は受け継がなきゃいけないと思う。それでもずっと気分が乗らなかったのは…」
そこで言葉を区切ると、リーテアはロゼを見て微笑んだ。
「……ロゼと、離れたくなかったからよ。私も、ロゼが見えなくなって話せなくなることが、どうしようもなく嫌なの」
「リーテア…」
ロゼはまた涙を零す。それから、今度は自分の小さな手で乱暴に涙を拭った。
「……リーテアが同じ気持ちでいてくれただけで、僕はじゅうぶんだよ。……約束する。僕はリーテアの力を受け継いだ子どもを、今度はしっかり護るって」
「ロゼ……ありがとう。でもまだ気が早いわ」
「何言ってんの。あの王子絶対に手が早いよ」
「ちょ、ちょっと…」
思わず顔が赤くなってしまうリーテアを、ロゼがいつもの呆れたような表情で見た。
「リーテア、王子のこと愛してるんでしょ?」
「そ………そうね」
「大丈夫。僕の見立てだと、王子もリーテアのことをちゃんと好きだよ。っていうか、リーテアを大事にしないやつにはリーテアを任せられないし」
一回確認しとく?とロゼに問われ、リーテアは慌てて首を横に振る。
「ディランの気持ちは、私が直接確認するわ。その…私の気持ちも、ちゃんと伝えないといけないし」
「うん。……頑張って、リーテア。僕はリーテアの味方だよ。この先何があっても…ずっと」
ロゼの優しい言葉に、リーテアはじわりと涙腺が緩む。《愛の魔女》の使い魔がロゼでよかったと、もう何度思ったことだろう。
「ありがとう、ロゼ。私もずっと、ロゼの味方よ」
◆◆◆
ロゼと話し終えたリーテアは、ディランとの約束通り部屋の外にいる衛兵に声を掛けた。
それから程なくして、ディランと国王たち…リーテアの《愛の魔女》の真の力を見た者たちが集まった。
ロゼが真の力の説明を終えると、国王が最初に口を開く。
「そうか…分かった。話してくれてありがとう。そして改めて、君たちに深く礼を言わせてくれ」
「……俺からも、本当にありがとう」
ディランに優しい瞳を向けられ、リーテアはドクンと心臓が高鳴る。
ディランへの気持ちを口に出してから、どんどん想いが募っていく感覚が不思議でしょうがなかった。
思わずパッと視線を逸らし、リーテアは国王の方を見る。
「私は、自分の魔法でディランを助けられて、本当に嬉しいです。……その上で、国王陛下にご相談があります」
「うん?何だろうか」
「私のこの真の力は、このまま隠しておく方が賢明でしょうか?」
リーテアの問いに、その場にいた誰もが難しい顔をしたことが分かる。
特に国王とディランは、シャナが《守護の魔女》であることを隠していた事実を思い返しているのだろう。
「……君の身を案じるならば、この場に留めておく方が安全だとは思うが…。私は一度、それで失敗をしているからな…ディラン、お前はどう思う?」
「そこで俺に投げますか?」
「す、すまない。今度こそ失敗したくないんだ…ディランとリーテアには、幸せになってもらいたいと思っているから」
国王に幸せを願ってもらえることが、リーテアは素直に嬉しかった。
「……俺は、公表していいと思います」
手を挙げてそう発言したのは、ライアスだった。皆の視線が一斉に向いても、ライアスは動じることなく言葉を続ける。
「リーテアさまが《愛の魔女》として、ディラン殿下の命を救ったことは紛れもない事実です。この事実をこの場所で消すことは、俺はしたくありません」
「……俺も、ライアスに賛成です。リーテアさまはもっと、その力を認められるべき魔女です」
「ライアス…アシュトン…」
リーテアの胸に、じわり感謝の気持ちが湧いた。
その場にいたグレアムとジェドが、感慨深そうにそれぞれの家族を見ている。
「……驚いた。ライアスは俺が思っていたよりずっと、リーテアさまを大切に思っているらしい」
「俺もびっくりだ。女嫌いなアシュトンが、ここまで女性に肩入れするなんてなぁ。いやぁ、殿下の婚約者じゃなければ…」
「おいジェド、その先を続けたらさすがに俺でも怒るぞ?」
ディランが冷ややかな視線を向けると、ジェドは悪びれもなくニヤリと笑う。
「これは申し訳ない。ですが、これだけは言えますな。リーテアさまは我々が護るべき、大切な存在だと」
「……そんなこと、俺はとっくに知っていたよ」
口元に笑みを浮かべながら肩を竦めたディランは、穏やかな表情でこのやり取りを見守っていた国王に視線を移す。
「陛下、俺は国民に…この国集まる魔女たちに、今日起きたことの全てを話したいです。もちろん…リーテアが良いと言ってくれるなら」
皆の視線が、今度は一斉にリーテアに向く。助けを求めるようにロゼを見れば、机の上で丸くなって欠伸をしている。
「ふわぁ…リーテアの好きにしていいよ。僕は王子たちがリーテアを護ってくれるって、信じることにする」
「ロゼ……そうね、私も信じる」
リーテアは膝の上でぐっと拳を握ると、ぐるりと皆の顔を見渡した。
「正直、私自身が《愛の魔女》としてこの国でやるべきことは、何も変わらないと思っています。みんなの“想い”を受け取って、繋ぐ。それが私の誇りで、喜びです。だから…真の力を公表したことで、周囲の反応が変わっても、私自身は何も変わらないと…そう約束します」
「……リーテアらしい言葉だな」
そう言って、ディランが優しく笑う。
「陛下、今日はもう遅いですし、明日改めて話を詰めましょう。そのあと、なるべく日を開けずに公表の場を設けた方が良いと思います」
「ああ、そうしよう。……リーテア、繰り返しで申し訳ないが、本当にありがとう。君が《愛の魔女》で良かったと、心からそう思う」
「……勿体ないお言葉、ありがとうございます」
リーテアは笑顔を返しながら、自分自身もそう思えていたことに気付いた。
(……《愛の魔女》として産まれてきて、本当によかった。いつの間にかこんなにも、たくさんの愛に触れることができたんだから…)
隣に座るディランの手を、リーテアはそっと握りしめていた。




