7.三人の関係性
アシュトン・ブレーズは、物心がつく頃からその手に剣を握っていた。
父親は現在の国王の護衛に就いており、アシュトンは王子のディランと遊ぶことが多かった。
お互いに剣の稽古をしたり、幼なじみのライアスと三人で一緒に城内を探検して、秘密基地を作ったりして遊んでいた。
その関係性は、世間で大人と言われる年齢になっても変わらなかった。
アシュトンはディランの護衛となり、頭の良いライアスは側近となった。
三人の間には、隠し事など一つもない―――はずだったのだ。
「アシュトン、今日はどうだった?」
天気を訊ねるような調子で、執務中のディランが問い掛けてきた。
アシュトンは扉を背に立ちながら、両腕を組んだまま口を開く。
「……別に、いつも通りですよ。雑用をしている様子を後ろから眺めて終わりました」
「へぇ。何か進展あったんだ」
「な……」
アシュトンはいつも通り答えたつもりだった。それでも、ディランの瞳にはいつも通りに映らなかったらしい。
パッと視線をずらして本棚の前にいたライアスを見れば、肩を竦めていた。
「誤魔化すときの癖が出てる」
「ど、どんな…」
「それを教えたらこっちが気付けないだろう。ですよね、殿下?」
ライアスの問いに、ディランはニヤリと笑ってアシュトンを見た。
「そういうこと。で?何があった?」
「……大したことではありませんが…」
アシュトンは観念して、つい先程の出来事を話した。
《愛の魔女》リーテアとの、ちょっとした会話を。
「……逃げ出すつもりはない、って…彼女は自分が嫌がらせを受けていると思ってるのか?」
不可解そうな顔で、ディランが首を傾げる。アシュトンは少し考えながら口を開いた。
「ライアスに役立たずと言われ、魔女依頼受付室の雑用をやらされ…殿下の護衛である俺が監視役のように付けば、そう思うのも仕方なさそうですが」
「んん?……確かにそう言われると、意地悪してる気分になるな」
「馬鹿言わないでください。篩にかけるには当然の行為です。他の魔女より役立たずなのは本当なんですから」
ライアスがフンと鼻を鳴らす。この中で一番魔女に嫌悪感を抱いているのは、間違いなくライアスだ。
「とにかく殿下、アシュトンが絆されそうになっていることは分かりましたね。それがあの魔女の力かもしれませんよ」
「なっ…、俺は別に、絆されそうになんてなってない」
「そうか?お前の顔を見る限り、そうとは思えないが」
眼鏡の奥から鋭い瞳を向けられ、アシュトンは助けを求めるようにディランを見た。
ディランは頬杖をつき、片手でペンをくるくると回している。
「女嫌いのアシュトンが、数日で絆されそうになる魔女、か…。やっぱりいろいろと興味をそそられるなぁ、《愛の魔女》」
「だから、絆されてないって!俺をいじって遊ぶのはやめてくれディラン、ライアス!」
「おいアシュトン、敬語。どこで誰が聞いているか…」
「うっさい堅物眼鏡!」
「………ほう?うるさいのはそっちだろう、ヘタレ護衛騎士」
「ふはっ!おい、笑わせないでくれ、サインを書く手が震える」
楽しそうにディランが笑い、睨み合っていたアシュトンとライアスも、少ししてからお互いに笑い出す。
幼なじみである三人だけの空間が、ここにあった。
「……とにかく、お前が無理だと思うまで、俺と彼女の護衛は兼任してほしいんだ、アシュトン」
「……分かった。やめるときは俺の判断でいいんだな?」
「ああ、任せるよ。リーテアが他の魔女と同じなら、お前はすぐにでも彼女の護衛をやめるだろ?」
「そうだな…」
そう返しながら、アシュトンはリーテアの姿を思い出していた。
今まで見てきた数多くの魔女と同じ、見目麗しい女性。けれど服装はいつも控えめで、他の人間に対する態度も横柄だとは感じない。
大抵の魔女は、その美貌と特殊な力を持つ自身が、特別な存在だと思い込んでいるのに。
「……そうだディラン、《風の魔女》が明日時間を確保しろってニールさんに命令してたぞ」
ふと思い出してそう言ったアシュトンの言葉に、ディランがあからさまに嫌そうに眉を寄せた。
「《風の魔女》か。この間も時間を取ったばかりなんだけどな」
「殿下に会わせろと一番口うるさい魔女ですね。……ただ、国への貢献度も魔女の中では一番高いから邪険にし辛いんですよね」
チッとライアスが舌打ちする。
このオーガスト国に魔女の優遇制度が存在する以上、力のある魔女にはどんどん逆らえなくなってしまうのだ。
そしてそんな魔女の中から、ディランはたった一人の婚約者を選ばなければならない。
魔女たちは自分が選ばれようと、派手に着飾って城へやってくる。
「ニールには負担をかけているからな…仕方ない、時間を作るか。三日後とかどうだ?ライアス」
「出来ないことはありませんが…《風の魔女》と会えば、他の魔女たちも押しかけて来ますよ」
「それでいいよ。面倒だから、まとめて会う。場所は中庭にして、日時を記載して明日にでもホールに掲示しておけばいい」
そう言うなり、ディランは近くの用紙にサラサラと綺麗な字を綴り、ライアスに手渡した。
ライアスはそれを確認すると、大きなため息を吐く。
「……面倒事が起きる予感しかしないんですがね」
「面倒事が起きたとしても、そのときの言動も一度に見れていいじゃないか。あ、アシュトンは俺の護衛をしてほしいから、そのときリーテアも一緒に連れてきてほしい」
「えっ。……了解、です…」
一抹の不安を感じながらも、アシュトンはディランの言葉に頷いたのだった。
◆◆◆
翌日、城内はいつもより騒がしかった。
掲示を見た魔女たちが、浮足立っていたのだ。
「ディラン殿下、ついに本腰入れて決め始めるのかしら…!」
「ふん、あんたなんか選ばれないわよ。大した力もないくせに」
「はあ?あんたの方が有り得ないでしょ」
玄関ホールのど真ん中で睨み合う魔女たちの横を通り過ぎながら、アシュトンは少し緊張していた。
リーテアはもうこの掲示を見ただろうか。半ば強制的にディランに会うことになると告げたら、どんな反応をするだろうかと、そのことばかりが頭を占める。
魔女依頼受付室の扉を開けると、すぐに赤い髪が目に入った。
リーテアは椅子に腰掛け、慣れた手つきで書類を仕分けている。ニールと他の職員はまだ来ていないようだ。
「……おはようございます、リーテアさま」
「おはよう、アシュトン」
仕分けの手を止めたリーテアの瞳を見ながら、アシュトンは早速本題に入った。
「ホールの掲示、見ましたか?」
「掲示?……ああ、魔女たちが群がっていたやつね。ちらっと遠目に見たわ」
その返答で、リーテアがディランと会える機会に興味がないことが分かった。そんな魔女が本当にいるのかと、アシュトンは少し驚く。
けれど、リーテアをその日に連れて行くことは、アシュトンにとっては主君からの命令なのだ。
「そのティーパーティーに、リーテアさまも参加していただくことになりますので」
「………嘘でしょ?」
「嘘でも冗談でもありませんので。そのつもりでいてくださいね」
目を見開き、呆然としているリーテアに対して、アシュトンは心の中で謝った。
(いくらあなたがディランを避けても、ディランに興味を持たれているうちは…どうあがいても逃げられない)
そのあとすぐ、ニールが意気揚々と部屋に入って挨拶をしたが、リーテアの耳には全く届いていないようだった。