68.《透過の魔女》
不思議なことに、リーテア以外の人物には、《透過の魔女》の姿は見えていないようだった。
「アシュトン、俺はいいから陛下とディランを!」
「……分かった!」
ジェドの言葉に、アシュトンが頷いてから素早くこちらへ向かってくる。その横から飛びかかるように《透過の魔女》が短剣を振り上げた。
「アシュトン!気を付けて!」
リーテアの叫び声に反応したアシュトンは、素早く身を翻す。その際、アシュトンの剣に短剣が当たったのか、キィンと金属音が響く。
「………!?」
「後ろ!後ろにいるわ!」
後ろを振り返り、剣を構えたアシュトンは困惑しているようだった。
「リーテアさま、敵の姿が見えるのですか!?」
「見えるわ!……ねぇ、《透過の魔女》でしょう!?もうやめて…!」
《透過の魔女》はギラリとリーテアを睨む。とても憎しみの込められた瞳だった。
(……今まで動きがなかったのに、どうしてこんな…!)
ぎゅっと拳を握りしめたリーテアを、ディランが庇うように剣を構えて立つ。
「リーテア、下がって」
「でも、ディラン…!ディランにも姿が見えないんでしょ!?」
「見えないけど、気配くらいは感じる。……これが、母さまの言っていた《透過の魔女》の力か…」
アシュトンに短剣を弾かれた《透過の魔女》は、距離を取って立っていた。近くに使い魔の姿は見当たらない。
「……気を付けてリーテア。あそこまで禍々しい気を纏った魔女は初めて見た」
ロゼの言葉に、リーテアはごくりと喉を鳴らす。どうやら、ロゼにも姿が見えるようだ。
《透過の魔女》からは、恨みや憎しみが、嫌と言うほど感じられる。
(……その憎しみは、誰に向けてのもの…?それに、どうして……ずっと、泣いているの?)
ジェドとグレアムが国王の元へ、アシュトンとライアスがリーテアとディランの元へと駆けつける。
皆はリーテアの視線の先を追っていた。ディランが口を開く。
「……今、《透過の魔女》は?」
「部屋の中央で、立ち尽くしてるわ…ずっと、泣いてるの」
「泣いてる…?」
ディランが眉をひそめる。すると、声を張り上げたのは国王だった。
「ルイーズ…ルイーズなんだろう!?」
《透過の魔女》は、ルイーズというらしい。ルイーズはその名前にピクリと反応し、また涙を零した。
揺れる深紅の瞳に、憎しみとは違う感情が揺れているのが分かる。
(……そうなのね。《透過の魔女》は―――…、陛下のことがきっと、好きだったんだわ)
リーテアの推測でしかないが、ルイーズの反応を見てそう感じていた。
ならば、国王とシャナが二人とも憎いのか、二人の間に産まれたディランが憎いのか…いずれにせよ、このまま放置できる問題ではない。
「……ルイーズさん!お願いだから…」
「―――うるさいっ!!」
リーテアの声を遮るように、ルイーズが叫んだ。空気がピリピリと震えるほどの大声だった。
姿はまだ見えないようだが、声は聞こえるらしいことが、顔をしかめたライアスとアシュトンの反応で分かる。
「あんたみたいな魔女に、あたしの気持ちが分かるもんか…!」
「……それは…」
「ずっと隠れるようにして生きてきた、あたしの気持ちがっ…、恋に敗れ、親友を陥れた…あたしの、孤独がっ……!!」
全身から聞こえる叫び声に、リーテアは体が動かなかった。
苦しい、寂しい、辛い、憎い…負の感情が、まるで怨念のようにルイーズの周りを渦巻いている。
(どうして私は…今まで、この魔女の存在に気付かなかったの…?)
リーテアには、ハッキリとルイーズの姿が見える。その理由が何故なのか分からないが、城内で見かけていたら、すぐに怪しいと気付けたはずだ。
(彼女が、隠れていたから?それとも、今この瞬間、見えるようになったの?どうして…)
考えても答えなど出ないと分かっているが、それでもリーテアは考えることをやめなかった。
リーテアにルイーズの姿が見える理由が、重要な何かに繋がっていると、そう感じたからだ。
「リーテアさま…このまま俺に、指示をいただくことはできますか?」
アシュトンが小さくそう問い掛けてくる。ルイーズと戦うつもりのようだ。
「……ダメよ、アシュトン」
「ですが、このままでは…」
「……大丈夫、私が行く」
前に立つディランの横を、リーテアはするりと抜けるように歩き出す。
ところが、焦ったような顔のディランに腕を掴まれた。
「リーテア!何をっ…」
「放して、ディラン。同じ魔女で姿が見える私なら、彼女を…助けてあげられるかもしれないの」
「助ける……?」
不可解そうに眉を寄せたディランに、リーテアは微笑んだ。
「そうよ。私は《愛の魔女》だから」
「……分かった。なら、俺も一緒に」
「殿下、やめてください」
ライアスが険しい顔でディランを止めるが、ディランは首を横に振る。
「やめない。いいか、魔女を刺激しないためにも、お前たちはここで待機だ。何か動きがあれば、陛下を頼む」
「………」
ライアスもアシュトンも、納得のいかない表情をしている。
リーテアはルイーズを見た。荒い呼吸を繰り返し、ずっと睨むような視線を向けていた。
正直、このまま近付いて何をされるか分からない。
「……やっぱり、ディランもここにいて」
「リーテア」
「私にはロゼがいるから。……ね?」
ロゼの背中を撫でながら、懇願するようにディランを見る。しばらく葛藤していたディランは、ぐっと唇を噛んだ。
「……近付いて大丈夫だと判断したら、すぐに合図を」
「分かった。ライアス、アシュトン…ディランをよろしくね」
二人が頷いてくれたのを見てから、リーテアはルイーズに向かって歩き出した。
ロゼがあからさまにため息を吐き出す。
「あーあ…あんなに呪われそうな雰囲気出してるのに、リーテアってば本気?」
「ふふ、呪う力はさすがにないでしょ?」
ルイーズはリーテアを睨んだまま、絞り出すように声を出す。
「……何をする気だっ…」
「何もしないわ。ただ、あなたと話がしたくて」
「あんたと話すことなんて、何も無いっ…!」
ルイーズが声を荒げ短剣を振り回す。振り乱れた茶色の髪が、涙に濡れた頬に張り付いた。
「……私にはあるわ。どうしてこんなことをしているのか…あなたの本当の気持ちは、どこにあるのか…それが、知りたいの」
「あははっ、それを知ってどうする?あたしはもう、取り返しのつかないことをしたんだ。あんたたちがシャナに会いに行くと知って…もう、全てが終わると思ったんだ…!」
不気味な笑い声が、部屋に響いた。
リーテアは、目の前の《透過の魔女》のことを何も知らない。生い立ちも、シャナと過ごした時間が彼女にとって、どのようなものだったのかも。
キースと共謀して、エイダを狙った理由も。全てに絶望したかのように、今短剣を振り回している理由も。……それでも。
「……どうして私に、あなたの姿が見えるのか分かったわ」
ポツリと呟いたリーテアの言葉に、ルイーズの肩がピクリと反応する。
燃えるような深紅の瞳を見据えながら、リーテアは再度口を開いた。
「あなたは―――“愛”が、ほしいのね」
ルイーズの目がカッと見開かれ、大きく手が振り上げられた。その先に握られた短剣が、照明を反射して光る。
「リーテア!!」
ロゼの声が響き、その体が光る。庇ってくれようとしているのだと分かり、リーテアは両手でロゼの体を包みこんだ。
そのまま床にしゃがみ込み、体に痛みが走ることを覚悟したリーテアは、自分の体がふわりと抱きしめられたことが信じられなかった。
「―――え…」
見慣れた銀髪が、サラリとリーテアの顔にかかる。
優しく微笑んだディランは、リーテアの頭を撫でると、そのままゆっくりと床に倒れていった。
「………え…?」
「ディラン!!」
「ディラン殿下!!」
皆の声がディランを呼び、バタバタと駆けつけてくる足音が聞こえる。
リーテアはディランの背中に刺さる一本の短剣から、目が逸らせなかった。
「……ディ、ラン…?」
震える声で名前を呼んでも、いつものように返事は返ってこない。代わりに浅い呼吸を繰り返すディランの顔は、とても苦しそうだった。
「……っ、あはははは!“愛”の力なんてあったって、誰も護れないじゃないか!!」
「―――貴様!!」
高笑いをしたルイーズに、アシュトンの剣が振り下ろされる。その切っ先はルイーズの髪を斬り落とし、深紅の瞳が見開かれた。
「……あ、あたしの髪が…!!」
「………!」
動揺したことでルイーズの力が解けたのか、アシュトンが素早くルイーズを拘束した。
手を後ろで締め上げ、体を床に倒すと、その背に片足を乗せて押さえつける。
「親父!早く拘束具を!」
「すぐ行く!」
逃げ出そうと暴れるルイーズから、リーテアは倒れて動かないディランへ視線を戻す。
ライアスが絶えずディランの名前を呼んでいた。
「ディラン殿下っ…、ディラン!しっかりしろ!」
ディランの背中が赤く染まっていく。リーテアは何も考えられなかった。
ルイーズの言う通り、《愛の魔女》であるリーテアは、こんなときに何の役にも立てない。
ディランの手を握り、カタカタと震えることしかできなかった。
「……リーテア」
ロゼに名前を呼ばれ、リーテアは滲む視界でその姿を捉える。真剣な表情のロゼは、再び口を開いた。
「リーテア。……君は、この王子のことが好き?愛してる?」
突然の質問の意味は分からない。けれど、リーテアは震える唇で素直に答える。
「………好きよ。私はディランを、愛してる」
リーテアの答えに、ロゼは満足そうに笑った。ディランの近くに降り立つと、ロゼの体がどんどんと輝きを増す。
黒から、白へ。変化していくロゼの体の色を、リーテアは呆然と見つめていた。
「僕のこと…嫌いにならないでね、リーテア」
そう言って悲しそうに笑ったロゼは、純白の輝きを放っていた。




