66.《守護の魔女》
「……なんだか嫌な予感がするから、重要なことだけ先に話すことにするわね」
そう言ってから、シャナが真剣な顔で続ける。
「私は《守護の魔女》としてこの国で産まれ、ヴィクトルに出逢った。そして王妃という地位に立ち、日々を過ごす中で、私が魔女であることは隠すことになったの」
「それは…力を狙って誘拐される可能性があるからだと、陛下が言っていましたね」
ディランの言葉に、シャナは苦笑した。
「そんなに大した力じゃないのよ?……《守護の魔女》は、その名の通り対象に守護を与えることが出来るの。でも、残念ながら人には効果がないし、目に見える範囲の物しか対象にならないわ」
「では、オーガスト城にも守護が?」
「いいえ。大きすぎるものには無理だし、もし守護を与えられたとしても、外側に守護はかかるけど、内側…つまり各部屋や家具なんかには効果はないわ」
思ったより不便でしょ?とシャナが肩を竦める。
「それでも、守護の効果はいろいろ与えられるの。例えば、玉座の間の扉に攻撃の効かない守護をかけたり、敵意のある人間を弾くような守護をかけたり…」
そこでリーテアは、ピンと思いつくことがありロゼを見た。ロゼも同じことに気付いていたようで、腑に落ちたような顔をしている。
「……ディランの部屋の周辺に、使い魔が近付けないような守護をかけたのは、シャナさまなんですね?」
リーテアの問いに、シャナは思い出したのか照れたように笑った。
「そうなのよ。ディランが産まれてすぐ、部屋の扉や近くの家具に、手当たり次第に守護を与えたわ。魔女の使い魔は、ディランには見えないでしょ?見えないものから護るのは私にしか出来ないわって気合いを入れちゃったのよね…」
他にも、ディランの部屋の扉には様々な守護を重ねがけしているらしい。
その話を聞いたディランは、感謝の眼差しでシャナを見ていた。
「……とにかく、ヴィクトルが私の力を過大評価しすぎていたのよね。それで私が魔女だということは隠し通すことになって…それが少しだけ窮屈だと感じていたときに、一人の魔女に出会ったの。それが、《透過の魔女》よ」
《透過の魔女》という存在を初めて耳にしたディランたちは、それぞれ怪訝そうな顔をする。ライアスが口を開いた。
「何度も国に登録された魔女の記録を確認しましたが、そのような魔女の登録はありませんでした。……既に登録を解除しているということでしょうか」
「いいえ。おそらく…彼女は最初から登録していないわ。本人に聞いたわけではないけど、私はそう思う」
シャナはそう答えながら、昔を思い出すように一度瞼を落とした。
「彼女は…《透過の魔女》は、常に自分に力を使い、その存在自体を透明に近い状態にしていたの」
「透明に近い…?完全に透明な存在、というわけではないのですか?」
「ええ。そうね…他人に認識されない程度まで気配を消せる、と言った方が分かりやすいかしら」
「気配を……」
ディランが考え込むように顎に手を添えた。リーテアは発言の前にピッと手を挙げる。
「あの、それでその《透過の魔女》は、シャナさまの記憶に干渉できたということですか?」
「そうね…これは私の憶測でしかないけれど、自分に関わった記憶を消すことができるような力があると思うわ。今の私は、リーテアさんのおかげで思い出せているけどね」
「《透過の魔女》に関わった記憶…でもシャナさまは、ご自身が魔女であることや、その力の使い方も忘れてしまったんですよね…?」
リーテアの問い掛けに、シャナは困ったように笑った。
「そうね。多分だけれど…それは別問題ね。《透過の魔女》に関わった記憶を何度も消されて、不安になって…心を閉ざしてしまった結果なのかもしれないわ」
「……俺の、せいですね…」
苦しそうな声でディランが言った。シャナが魔女であると疑ってしまい、結果的に身投げするまで追い詰めてしまったことを後悔しているのだろう。
そんなディランに、シャナは首を横に振る。
「ディランのせいだなんて思ったことは、一度もないわ。私の心が弱かったせいよ…きっと、そこに付け込まれてしまったの」
「……関わった記憶を消せるということは…キースは…」
そうポツリと零したのはアシュトンだった。その推測は当たっているだろうと、リーテアは言葉を繋げる。
「……キースは、その《透過の魔女》に協力を頼んだのね。それか、《透過の魔女》から話を持ちかけたか…」
「キース?誰の話?」
シャナが首を傾げ、ディランがキースの件を一通り説明した。すると、シャナの表情が話の途中でどんどんと曇っていく。
「そう…そんなことが…。初めて話したときは、少し臆病だったけど、笑顔の素敵な優しい人だったのに…」
「……《透過の魔女》と会ったのは、俺が産まれる前ですよね?」
「そうよ。力を使って存在を消している彼女に、私が気付いたのがきっかけだったの。それからヴィクトルに紹介して、三人でお茶をしたり…でも、彼女が私の記憶を消したのは…ディランの妊娠を報告してからな気がするわ」
《透過の魔女》がシャナの中の自分の記憶を消した理由は、リーテアには到底分からない。
そして、なぜキースに協力し、リーテアを狙おうとしたのかも。
(《透過の魔女》が気配を消せるなら、あの時計台の仕事のとき、きっと近くにいたんだわ。でも、狙ったのは私じゃなくてエイダだった…)
考えれば考えるほど、《透過の魔女》に対する疑問が募る。
あれから表立った事件はないが、それが逆に不気味に思えてしまう。
それぞれが考えを巡らせ、部屋の中が静かになった。
未だに嬉しそうに飛び回るシルマの羽音だけが、パタパタと小さく響く。
「……もう、日も暮れて来たわね…」
窓の外を見たシャナが、そう口を開いた。
「ひとまず、あなたたちは城へ戻りなさい。それでディラン、お願いがあるの」
「はい」
「これからヴィクトルに手紙を書くわ。……それを、渡してくれるかしら?」
シャナの眼差しを受け、ディランは一瞬の沈黙ののち、静かに頷く。
嬉しそうに微笑んだシャナは、すぐに便箋とペンを取り出し、手紙を綴り始めた。
封筒に入れられた手紙を受け取り、ディランは躊躇いがちにシャナへ視線を向ける。
「……母さま。訊ねても、いいでしょうか」
「ええ、もちろん」
「俺のことを忘れたわけではないのなら、どうして……手紙を送ってくれなくなったのですか?」
ディランの瞳は、切なげに揺れている。リーテアは以前のくたびれた封筒を思い出した。
あのときは分からなかったが、今なら分かる。くたびれていたのは、ディランが何度も何度も封筒を開き、中の手紙を読んでいたからだ。
「それはね…ディラン。私はあなたに覚えていて欲しかったけれど、あなたが私を忘れたいかもしれないと、そう思ってしまったからよ」
「そんなこと……!……いえ、俺の態度が、そう思わせてしまったんですね」
「でも、今なら分かるわ。それは全部、私の思い込みだったということが」
シャナは手を伸ばし、ディランの頭を撫でる。母親の顔で、とても嬉しそうに笑っていた。
「ディラン。私とヴィクトルの、大切な宝物。……今日は会いに来てくれて、ありがとう。私は、生きていて良かったわ」
ディランはぐっと唇を噛み、シャナに深く頭を下げた。「もう、真面目ね」と笑いながら、シャナがリーテアを見る。
「リーテアさんも、私の記憶を取り戻してくれてありがとう」
「いえ。……王妃さまとディランの間の“愛”が、《透過の魔女》の力を打ち消したのだと、私はそう思います」
「ふふ。リーテアさん…どうか、ディランをよろしくね」
シャナはそう言ってからリーテアに近付き、耳元でこっそりと呟いた。
「……ディランは、あなたのことが大好きなようだから」
「………!?」
片目をパチンと瞑ったシャナは、リーテアたちを家の外へ出るように促す。
「さあ、国を支える重要な立場のあなたたちが、いつまでもここで立ち止まっていてはダメよ。……近い内に必ず、私から会いに行くわ」
「……本当ですか?」
「ええ、ディラン。私はもう、自分から逃げないわ。だからあなたも…ヴィクトルと、向き合ってあげて」
切実な願いの込められた声音に、ディランは穏やかな顔で微笑む。その瞳が、リーテアへ向けられた。
「分かりました。リーテアがいてくれれば、俺は大丈夫です」
「………っ」
つい先ほどのシャナの言葉を思い出し、リーテアは顔が熱くなる。
そんなリーテアを見て笑いながら、ディランはシャナを振り返った。
「それでは、母さま…いえ、王妃陛下。あなたとまた城で会えることを、楽しみにお待ちしております」
「……私もよ、ディラン」
ディランとシャナの間には、もう最初のようなぎこちなさはない。ただ互いを大切に想う気持ちが溢れていることが、リーテアには嬉しいほどに感じられた。
森の入口に繋いでいた馬に乗り込み、リーテアたちは城への道を駆ける。
行きはアシュトンの後ろに乗せてもらっていたのだが、帰りはディランが自分の馬に乗せると言い張った。
てっきりライアスが拒否するものかと思ったリーテアだったが、驚くことにすんなりと許可が出る。
ディランに抱きしめられるような形で、前に乗せてもらったリーテアは、ずっと心臓がうるさかった。
「……リーテア」
蹄の音に掻き消されそうな声の大きさで、ディランがリーテアを呼ぶ。
「なんだかずっと…情けない姿しか見せてない気がするけど、俺に呆れてる?」
「……そんなまさか。ディランはいつだって格好いいわよ」
くすりと笑いながら、リーテアは素直にそう答えた。
「シャナさまと、想いが通じ合えて本当によかったわね。きっと…国王陛下にも、ちゃんと想いを伝えられるわ」
背中越しに、ディランの緊張が伝わる。その緊張が少しでも和らぐようにと、リーテアは手綱を握るディランの手をそっと包んだ。
「大丈夫よ、ディラン。私が…《愛の魔女》がいるんだから」
「……リーテア、俺は―――…」
そこで言葉を区切り、ディランがフッと笑いを零した。
「……いや、この続きはまた今度にしよう」
「え、どうして?そう言われると気になるんだけど」
「それはいいな。リーテアがずっと俺のことを考えてくれる」
「………もうっ」
リーテアはすっかり暗くなった空を見上げながら、すでにディランのことで頭はいっぱいだと、心の中でそう答えた。




