64.王妃シャナ
「行きます」
「ダメだ」
「行きます」
「ダメだ」
「……ねぇ、いつまで同じやり取り繰り返してんの?」
呆れた声でロゼがそう言うと、アシュトンがキッと眉をつり上げる。
「ロゼさま!ロゼさまも俺が一緒にいた方がいいと思いますよね!?」
「いや、僕はどっちでもいい」
「ロゼさま!?」
ショックを受けた顔をするアシュトンに向かって、ディランは腰に手を当ててため息を吐いた。
「いきなりぞろぞろと連れ立って訪ねても、警戒されるだろ?行くのは俺とリーテアとロゼ。アシュトンとライアスはここで留守番だ」
リーテアたちが今いるのは、国境付近の小さな村……の近くの森の中だ。
ここまでは馬で来たが、全員で馬も連れて村に入れば悪目立ちしてしまう。
なので、王妃を訪ねるのは少人数にしようと話していたのだが、アシュトンが駄々をこねている。
「俺だって、シャナさまにお会いして、真実を知りたいんです!なぁライアス!?」
「……確かに知りたいとは思うが、殿下の言っていることはもっともだ。俺たちは待機の方がいい」
ライアスの冷静な言葉に、アシュトンはまだ納得しきれないようにリーテアを見る。
一緒に行こうと言われることを期待している眼差しだ。
少し考えたリーテアは、パン、と両手を合わせる。
「分かったわ、こうしましょ。最初に私とロゼだけで行く。同性の方が警戒されないと思うし、王妃さまの使い魔が近くにいれば、私にはすぐに見えるわ。少し話をして、どこまで記憶があるか確認をしてから、みんなを呼ぶのはどう?」
「………それなら…はい、分かりました」
リーテアの提案に、アシュトンは頷いてくれた。一方ディランは、険しい顔をしている。
この中で一番王妃の姿を見たいのは、間違いなくディランだろう。
「……ディラン、これじゃダメ?」
「いや……分かった。俺もここで待ってる。その代わり、その上目遣いで首を傾げるのは今後禁止だ」
「へ??」
変な部分を禁止され、リーテアは間抜けな声が出た。
「うわ、面倒くさい王子。行こリーテア」
「え?な、なにが起きたの?ロゼ待っ…、行ってきます!」
スタスタと歩き出すロゼを、リーテアは慌てて追いかける。
森を抜ければすぐに村が見え、簡素な作りの門があった。見張りのような、武装をした男性が一人立っている。
男性はリーテアに気付くと、鋭い目をじろりと向けて来た。
「……失礼ですが、この村に何の用事が?見たところ、旅の者ではないようですが…」
「ええと…ナナさんの以前の知り合いです。こちらに移住したと聞いて、会いに来たのですが」
リーテアは緊張しながらそう答えた。
ディランと話した結果、身分を明かすのは問題が起きるまでやめようということになっていた。
ちなみにナナというのは、王妃のこの村での偽名だ。出発の直前、グレアムがこっそりと教えに来てくれていた。
ナナという名前を聞いた男性は、すぐにその顔を明るくさせる。
「ああ!ナナさんのお知り合いですか!どうぞどうぞ、何もない村ですが…ナナさんなら、自宅にいらっしゃると思いますよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ!村人の顔見知りは、大切なお客さまですので!ナナさんの家は、この先を真っ直ぐ進んで、川の近くにあります」
笑顔の男性に頭を下げ、リーテアは教えてもらった方向へ歩き出す。
途中何人も村人とすれ違ったが、みんな笑顔で挨拶をしてくれた。
「……とても良い村ね。王妃さまが住む場所をここへ決めたのも分かるわ」
「そうだね。空気が澄んでて綺麗だ。……あ、リーテア、あそこじゃない?」
ゆったりと流れる川の近くに、小さな家が建っていた。
近付くにつれ、リーテアの心臓がドキドキと音を立てる。
(……一度もお会いしたことのない、ディランのお母さま。ああどうしよう、緊張してきたわ)
扉の前で深呼吸を繰り返し、意を決して扉を叩く。すると、すぐにパタパタと走る音が聞こえ、扉が開いた。
「はーい、どなた?……あら、初めましてのお顔ね」
リーテアは思わず息を飲んだ。とても美しい女性が、目の前に現れたのだ。
ディランの銀髪は、国王譲りなのだろう。王妃の髪は深い海のような藍色だった。綺麗な艶のある髪を後頭部で束ねている。
ディランと同じ新緑の瞳が、リーテアを見ながらパチパチと瞬きを繰り返す。
「あ……の、わた、私は……リーテアと申します!」
「……リーテアさん?私に何の用かしら?」
「そのっ…、私は、《愛の魔女》ですっ!」
あまりの動揺に、リーテアは自分が魔女であると自己紹介をしていた。ロゼが「あー…」と声を漏らしている。
王妃は目を見張ったあと、すぐに微笑んだ。
「……どうぞ、リーテアさん。お茶をお出しするわ」
「は、はい…」
家の中に招き入れられ、リーテアの頭の中は真っ白になっていた。会ったら何を言うか、何を聞くかと考えていたはずなのに、一瞬にして思い出せなくなっている。
「リーテアさんは…私のことを、知っている人なのね?」
突然そう問い掛けられ、リーテアは驚いて王妃を見た。困ったように微笑みかけられ、リーテアは正直に頷く。
「はい。……オーガスト国王妃陛下、シャナさま」
「ふふ、その名前で呼ばれるのは久しぶりね。どうかそのまま、シャナと呼んでくれるかしら」
シャナは少しだけ嬉しそうにそう言うと、手際良く注いだ紅茶のカップをリーテアの前に置く。
「私はもう…国民に忘れ去られた存在なのだと思っていたのだけど。今日はどうしてここへ?」
「………私は、シャナさまが魔女だということを確かめるため、ここへ来ました」
「魔女だと?……ああ…」
手元で自身のカップの中を見つめながら、シャナがくすりと笑う。
「そうね。私は魔女だったと―――そうだと思っていたと、そんな不確かな答えしか、今の私には出せないの」
「記憶は…今の記憶は、どこまであるんですか…?」
躊躇いがちにリーテアが問い掛けると、シャナが意外そうな顔をしてじっと見つめてきた。
美人の王妃に見つめられ、リーテアはそわそわとしてしまう。
「驚いたわ。リーテアさん、そこまで知っているのね。……と、いうことは…まさかヴィクトルの後妻なのかしら?」
「え!?ち、違いますっ!私はディランの―――…」
国王の妻だと勘違いされ、リーテアは慌てて否定の言葉を口にした。その途中で、シャナの動きが分かりやすく止まる。
(……え?もしかして、ディランの名前に反応した…?)
リーテアの推測は当たっていたようだ。じわじわとシャナの瞳に涙がたまり、両手で顔を覆って泣き出してしまった。
「………っ、そうなのね…!あなたが、ディランの…!」
「……シャナさま…」
思わず貰い泣きをしそうになりながら、リーテアは鼻をズッと啜る。
シャナは、ディランを忘れてなんかいなかった。それが分かっただけで、今日ここへ来た意味があったと思える。
「……ねぇ、リーテア」
「ん…?なに、ロゼ…」
「あそこ、窓の外」
ロゼの尻尾が指し示す先に、白いフクロウがいた。嘴で必死に窓を開けようとしている。
リーテアは勢いよくイスから立ち上がり、窓に駆け寄った。鍵を開けると、フクロウが嬉しそうに体を滑り込ませて来る。
「ふいぃ〜、ありがとう人間さん!……ん?僕の姿が見えるってことは……もしかして魔女!?」
「……っ、そうよ!あなたは、使い魔でしょ!?」
小さなフクロウは、部屋の中をくるくると旋回しながら、シャナの肩の上に優しく降りた。
「そうだよ〜!僕は使い魔!《守護の魔女》シャナの使い魔、シルマだよ!」
「……《守護の魔女》…」
ドクン、と心臓が高鳴る。
《守護の魔女》、使い魔。シルマは間違いなくそう言った。
それはつまり、シャナは嘘を吐いておらず、本物の魔女だということになる。
リーテアが感動で震えていると、シャナが不思議そうに眉を寄せている。
「使い魔…?《守護の魔女》?……リーテアさん、誰と話しているの?」
「……っ、シャナさまの使い魔、シルマです!シャナさまはやっぱり、魔女なんですよ…!」
シャナの両手を取り、リーテアはそう言った。それでも、シャナの表情はどこか曇っている。
「でも…魔女なら使い魔が見えるでしょ?私には見えないし、シルマという名前を聞いても思い出せないのよ…」
「……シルマ、どういうことなの?」
リーテアが訊ねると、シルマは悲しそうに項垂れる。
「これは全部…あの魔女のせいなんだよ」
「あの魔女って?」
「《透過の魔女》。あの魔女が原因で、シャナは自分が魔女だということを忘れてしまったんだ」
―――《透過の魔女》。
新たな魔女の存在に、リーテアはごくりと喉を鳴らした。
ロゼを見れば、何かを考えるように机を見つめている。
「透過…透過。聞いたことあるかも。自分を透明にできるとか、そんな感じの力だったと思う」
「透明?そんなことができる魔女がいるの?」
一気に流れ込む情報に、リーテアはこのまま一人で話をしない方がいいと気付く。
これは、オーガスト国全体に関わる重要な話だ。
「……シャナさま、お願いがあります。私は森に、シャナさまを知る三人の人物を待たせているのですが、呼んできてもいいですか?」
「私を知る…?じゃあ、私も覚えている人かしら…」
「はい、間違いなく。これから先の話は…とても重要な内容になるはずです。……いいですか?」
リーテアが微笑みながら問い掛ければ、シャナは新緑の瞳でじっとリーテアを見つめたあと、静かに頷いた。
「分かったわ。あなたを信じましょう」
「じゃあリーテア、僕が呼んでくるよ。待ってて」
ロゼがそう言って、先ほどシルマが入ってきた窓からするりと出て行った。
(……真実が明らかになるまで…きっと、あと少しだわ)
窓の外に視線を向けながら、リーテアは速まる鼓動を感じていた。




