61.今一番、必要なもの
「―――と、まぁ…俺の過去はこんな感じかな」
ディランは静かに話し終えると、隣に立つリーテアを見た。
感情豊かなリーテアは、すぐに何かを言ってくるかと思っていた。けれどそんなことはなく、どこか憂いを帯びた瞳でじっとディランを見つめている。
その金色の瞳が綺麗だと、その赤色の髪に触れたいと、そう思うようになったのはいつからだろうか、とディランは考えた。
ディランの運命を狂わせた、魔女という存在。
いくら王命とはいえ、本当に魔女から婚約者を選ぶなど、あのときの自分は思ってもいなかった。
ましてや、その魔女に自分の口から「愛してみせよう」だなんて言葉が出るなんて、とても信じられることではない。
(でも、俺は……リーテアに出逢えて良かったと、本当にそう思っている)
鬱蒼とした毎日の中でも、リーテアの隣にいるときは心が安らいだ。
リーテアの言動は、ディランの想像をいつも上回ってくれる。それが面白かった。
最初に《愛の魔女》の力を使われたとき、この力は利用できるとディランは思った。
王子として、他国との外交は必要で、それはこの先もずっと変わらない。
リーテアの力を使い、他国の要人に恩を売れるかもしれない。
リーテアの力を使い、外交相手との交渉をやりやすくできるかもしれない。
《愛の魔女》の力が、互いの“想い”を繋ぐものだというのなら、その“想い”を利用できると思った。
その力は、他人の心を掌握することに長けたディランの補佐に役立つと、そう思ったのだ。
ディランは、《愛の魔女》の力がほしい。
リーテアは、《愛の魔女》の力で人々を幸せにしたい。
お互いの利益のために決まった、婚約者という名の同盟は、ディランが気付かないうちに形を変えていた。
(俺が今欲しいのは、《愛の魔女》の力じゃなくて…《愛の魔女》として頑張るリーテア自身だ)
愛なんて、遥か遠いところにあるものだと思っていた。
それが欲しいとも、知りたいとも思わなかった。
けれどディランは、自分の中に芽生えていた感情にようやく気付く。
自分だけを見て欲しい。リーテアに触れたい。ずっと側にいて欲しい。
今まで抱いたことのない感情に名前をつけるならば、これが“恋”で、やがて“愛”に変わるものなのだと気付いたのだ。
「………」
リーテアの顔の横にかかる髪に触れ、その手を頬へと滑らせる。
金色に光る大きな瞳に吸い寄せられるように顔を近づけたところで、その瞳がハッと見開かれる。
「〜ディ、ディラン!」
「……………なに?」
唇が触れる直前で止まったディランは、誰かが自分を褒め称えてくれてもいいと思った。
その間にリーテアが離れようとするのが嫌で、ぐっと腰を抱き寄せる。リーテアが小さく悲鳴を上げた。
「えっ?あれっ?私はディランの過去の話を聞いてたのよね?」
「そうだね」
「ど、どうしてこんな展開になってるの?」
本当に戸惑った表情で慌てているリーテアに、ディランはにこりと笑いかける。
「どうしてだと思う?」
「え……っと…?」
「君が、俺を変えたからだよ」
一瞬の隙をつき、ディランはリーテアにキスをした。
今度は頬ではなく、艶のある唇を狙って。
数秒後、ゆっくりと唇を離すと、リーテアは目を見開いたまま固まっている。
ディランはそれが可笑しくて、ぷはっと噴き出したように笑ってしまう。
「本当に、君は…《愛の魔女》なのに、恋愛下手なんだな」
「………か、からかってる…?」
「まさか。言ったろ?愛してみせる、って」
色づいた唇を親指で優しく撫でれば、途端にリーテアの顔が真っ赤になる。
そんなリーテアを見て、「可愛いな」と素直に感じる自分がいることに、ディランはもう驚かなかった。
「それで、リーテア。俺の昔話に関して、何か言いたいことは?」
「……ちょっと待って…今ので頭からすっ飛んでいったわ…」
リーテアは両手で顔を覆い、なにやらブツブツと文句を言っている。
ディランはそんなリーテアの赤い髪を、指先でくるくると弄んだ。
「……ええと…ディランのお母さま…王妃陛下は、今もどこかで生きているってことよね?」
「そうだな。手紙は途絶えたし、どこにいるかも分からないけど…陛下が何も言ってこないってことは、おそらく」
「陛下も、居場所は知らないのよね…?」
「聞いてないって言ってたから、それ以上追求しなかったけど…さすがに全く見当もつかないってことはないと思うな」
は、と自嘲気味な笑いが零れる。そんなディランを、リーテアは眉を下げて見ていた。
「……ディランは今も、王妃陛下が魔女じゃないって、そう思ってる…?」
「……だって、魔女から男児は産まれないんだろ?」
「確かに、魔女から産まれるのはほとんどの場合が女児だと、そう伝えられているわ。魔女の力は、女児にしか受け継がれない…それでも、男児が絶対に産まれないって根拠は何もないのよ」
それは、ディランにも分かっていた。
魔女について熱心に調べてくれたライアスにもそう言われたし、魔女に詳しいニールにも聞いてみたら、同じ答えが返ってきた。
絶対ない、とは言い切れない。
だからといって、自分がそんな稀な確率で産まれた存在だとも思えなかった。
「……そうだ、使い魔はどう?使い魔の姿を見たいって言ったことは?」
「ああ、もちろんあるけど…見せてはくれなかったな。城にいた他の魔女に聞いても、王妃が使い魔といるところは見たことがないってさ。こんなんじゃ、魔女だなんて信じられるはずないだろ?」
「………」
リーテアは何やら真剣に考え込んでいるようだ。ディランはリーテアの頭をポンと叩く。
「……いいんだ、リーテア。真実を知るのはもうとっくに諦めた。俺は君と一緒に、この先のオーガスト国を豊かに発展させられればそれでいい」
視線をずらせば、そこには広大な景色が広がっている。
オーガスト国と、そこに住む国民を護ることが、王子であるディランに課せられた使命なのだ。
「陛下は…魔女に魅せられすぎた。俺の婚約者を魔女にしろと言われた瞬間、もう国の未来をあまり考えてないとしか思えなかった」
「え…、どうして?」
「俺と魔女がいずれ夫婦となっても、産まれてくる子は女児だけだろ?女性が国王になるのは不可能じゃないが、酷だ。だとすれば、俺の次の国王は、他国から婿として迎える形になる…」
王族であるオーガスト家の血が、全く流れていない者がオーガスト国の国王になる。
やがて訪れるであろうこの国の未来に、ディランは不安しか覚えなかった。
だから、魔女を婚約者に選んでも、いずれ理由をつけて離縁して、魔女以外の女性と婚姻を結ぼうとまで考えていた。
けれどもうディランには、リーテアと離れるという選択肢はない。
「……待てよ。本当に男児が産まれる可能性がゼロじゃないなら、男児が産まれるまでリーテアと…」
「ちょ、ちょっと待って。話が飛躍しすぎだわ」
リーテアが顔を真っ赤にして、ディランの胸元をぐいぐいと押す。
「とにかく、私は今すぐ城へ戻りたいの」
「……どうして?俺と二人きりが嫌?」
「そうじゃなくてっ…」
リーテアの両手が、ディランの胸元でぎゅうっと握りしめられた。その表情は、とても苦しそうだ。
「……ディランが…両陛下からの愛を疑ったままなのが、嫌なのよ」
「リーテア…いいんだ、もう。俺は…」
「よくないのっ!」
声を張り上げたリーテアが、ディランの両頬をパチンと叩く。驚いたディランは瞬きを繰り返した。
すると、タイミングがいいのか悪いのか、洞窟からアシュトンが現れる。
「殿下、リーテアさま!すみません、さすがに遅いので心配になって…」
「ちょうどいいわアシュトン、ディランを引きずってでも連れてきてちょうだい。すぐに帰るわよ!」
「はい!?」
突然の命令を下されたアシュトンは、目を白黒させている。
ディランはため息を吐いてから両手を挙げた。
「……その必要はない。ちゃんと自分の足で帰るよ」
満足そうにディランを見るリーテアに、ちらりと視線を向けながら、ディランは理由もわからず城へと戻ることになったのだった。
城へ戻り、ライアスと合流すると、リーテアに連れて行かれたのは書庫だった。
以前棚が倒れ、リーテアが閉じ込められた書庫だ。
「……リーテア?俺はもう、魔女の歴史とかそういう本は…」
「いいから、待ってて」
リーテアはコツコツとヒールを鳴らしながら、一直線に書棚へと向かう。
「予定よりだいぶ早く戻って来たと思ったら…何事ですか?」
「いや、俺にもよく…」
怪訝そうに眉をひそめるライアスに対して、ディランも首を傾げる。
すると、早くもリーテアが一冊の本を手に取り戻って来た。
「ディラン、これはあなたが今…一番読むべきものよ」
真剣なリーテアの眼差しを受け、ディランはその本を受け取ると最初のページを捲った。
すぐに目に飛び込んできた、見覚えのある文字に驚く。何度も何度も読み返した、あの手紙の文字が、そこでも言葉を綴っていた。
「―――…」
国王と王妃の…両親の、交換日記。
そこに繰り返し登場する自分の名前を見て、ディランは唇を噛み締めた。
(やめてくれ、こんなの…)
パラパラとページを飛ばし、文章が途切れてしまっている最後のページに目を通す。
―――“最近ディランが、私が魔女であることを疑っているのが分かる。仕方ないわよね、だって、私ですら自分が魔女であることを忘れかけているんだもの…どうしてかしら?ねぇヴィクトル、私はこれ以上忘れたくないわ。大切な私たちの宝物、ディラン。これからもずっと側で、見守ってあげたいのに―――…”
そこで終わっている言葉は、ところどころの文字が滲んで掠れていた。
リーテアの手がそっと触れ、本を持つ手が震えていたことにディランは気付いた。
優しくふわりと微笑んだリーテアが、徐々に歪んでいく。
「……ね、ディラン。ちゃんと“愛”はあるでしょ?」
ディランの頬を、一筋の涙が静かに滑り落ちていった。




