6.魔女依頼受付室
リーテアが魔女依頼受付室で雑用を始めてから、早くも三日が過ぎた。
その三日間で、嫌というほど分かったことがある。
「ほんっとうに…人手が足りてないわね??」
ふらふらとしながら扉を開けたリーテアは、開口一番にそう言った。
ニールが困ったように笑う。彼もまた、長い髪がボサボサになっていた。
「そうですね…仕事量が多いのに、ここで働くのは私とあと三人ですしね」
「その三人も、今はいないわよね?」
「はい。他部署と兼任ですから…むしろ三人とも、そっちが本職です」
はは、と乾いた笑いを漏らすニールは、そのうち倒れてしまうのではないかと思うほど顔色が悪い。
ここ数年は国に登録する魔女の数が増え、それに伴って仕事依頼もとても増えているらしかった。
「どうして人を増やさないの?あなた、嫌がらせされているわけじゃないでしょ?」
リーテアが椅子に腰掛けながら訊くと、ニールが目を丸くした。
「そんなわけ………ないですよ?」
「もう、自信ないの?……どうなの、アシュトン」
ちらり、とリーテアが背後に視線を向ければ、リーテアのすぐ後ろに立って控えていたアシュトンがにこりと笑う。
「はは、俺に聞かれても困りますね」
「殿下の護衛なら、何か知ってるんじゃないの?」
「あくまで俺は、護衛ですから」
アシュトンのハッキリとした線引は、初めて会ったときから変わらなかった。
自分は護衛。それ以上でも、以下でもない。
リーテアが雑用を始めて二日目に、あまりにも忙しかったため手伝いを求めたら、さらりと断られたのだ。
その時リーテアはムッとしたが、文句の言葉は飲み込んだ。
変に事を荒立てたくはないし、アシュトンがそれ以上踏み込んでくる気がないのなら、リーテアも放っておくことにした。
よって、リーテアにとってアシュトンの認識は、“ずっと背後にいる、ただの護衛”だ。
そしてリーテアの勘だが、アシュトンも魔女を良く思っていない気がしていた。
(これでもかってくらいの優遇制度で魔女を集めて、婚約者候補にさせている張本人の殿下と、その側近と護衛が魔女を嫌いって…どういうことなの?)
腑に落ちない点は多いが、リーテアはディランの婚約者になりたいわけでも、その周囲の人間と仲良しこよしになりたいわけでもない。
《愛の魔女》として、自身の役割を全うしたいから、このオルガート国へ来た。だからもう、あまり気にしないようにしている。
「……とにかく、私に仕事の依頼が来るまでは、ちゃんとここを手伝うわ。だから頑張りましょう、ニール」
「はい、リーテアさま…!」
瞳を潤ませるニールの机の上にあるケースに、魔女への仕事依頼の書類を分けながら入れていく。
間もなく魔女が仕事依頼の確認にやってくる時間のため、急がなくてはならない。
(……枯れた庭園の調査…《植物の魔女》、水不足の農村…《水の魔女》…)
他の魔女の存在は、リーテアの祖母に聞いてよく知っていた。
様々な力を持つ魔女に、いつか会って話をしてみたいと、憧れを抱いていたこともある。
リーテアが生まれてからずっと住んでいた小国には、他の魔女は誰もいなかったのだ。
“高所に逃げた飼い猫の捕獲”という依頼の書類を《風の魔女》の仕事へ分類していたとき、扉がバァンと音を立てて開いた。
カツカツとヒールを鳴らして部屋へ入って来た姿を見て、リーテアは思わず眉を寄せる。
《風の魔女》エイダ・ガーリア。
金髪の長い髪は綺麗なウェーブを描き、歩くたびにドレスと一緒にふわりと揺れる。
つり上がった灰色の瞳は、真っ直ぐにニールへ向けられていた。
「今日の仕事、早くもらえるかしら?」
「こんにちはエイダさま。本日の新規依頼はこちらの五件で…」
「そんな件数、今日中に終わるわ」
エイダはニールから書類を奪うようにして取ると、ペラペラと捲る。と、艷やかな赤い唇からため息が零れた。
「はぁ…驚くほど簡単ね。そうだあなた、明日は殿下との時間を確保しておいてちょうだいね」
「え?エイダさ…」
「よろしくね」
有無を言わさず立ち去ったエイダの美しい後ろ姿を、ニールはポカンと口を開けて見送っていた。
相変わらず嵐のような魔女だな、とリーテアは思う。
この三日、エイダは毎日訪れては、一方的に文句や要望を口にして去っていくのだ。
リーテアや他の人間には目もくれずなので、未だに認識されているか怪しい。
そして、エイダはリーテアに「みすぼらしい」と言った魔女だった。
「……ディラン殿下との時間…確保できるかなぁ、アシュトンくん…?」
「はは、俺よりライアスに聞いてください」
「そうだよね…」
ニールは遠い目をしている。いくら魔女に興味があるからといって、このままではその魔女に関する心労で倒れてしまいそうだ。
それくらい、さきほどのエイダを筆頭に、他の魔女の態度は悪かった。
リーテアはこの部屋に来る数人の魔女を見たが、皆派手に着飾り、自尊心が高く、ニールには常に上から目線で話していた。
「………」
リーテアはじっと手元の書類を見た。魔女の手助けを必要としている人たちが、こんなにもいる。けれど、その中にリーテアの魔法が必要な依頼は無い。
(……分かってる。私の魔法は特殊だし、依頼にするようなものでもないわ。だからこそ…もどかしい)
目を閉じて深呼吸をしてから、リーテアは別の手付かずの書類の山に視線を向ける。
焦っても、良いことは何も無い。それを知っているリーテアは、まず自分にできる目の前の仕事に集中することにした。
「ふう…今日も、お疲れさまでしたー…」
くたびれた顔で伸びをしながら、ニールがそう言った。
リーテアもひと息つきながら窓の外を見ると、もうすっかりと薄暗くなっている。
「ありがとうございました、リーテアさま。アシュトンくんもお疲れさま」
「お疲れさまでした。俺は何もしてないですけどね」
アシュトンが爽やかな笑顔でそう言うので、リーテアは内心「本当よね」とため息をついた。
実際、アシュトンはずっとリーテアの後ろに立っていただけだ。たまに長剣を磨いていたが、随分といい仕事だなぁと思う。
「……じゃあ、私はこれで。また明日ね、ニール、アシュトン」
「はい、明日もお願いします〜…」
机に倒れながらひらひらと手を振るニールに笑いかけ、リーテアは部屋の外へ出た。
すると、すぐ後ろに気配を感じて振り返る。
「……アシュトン?」
口元に微笑みを浮かべたアシュトンは、扉を閉めてからスッと朱色の瞳を細めた。
「リーテアさま、あなたは呆れるほど俺に何も言ってきませんが、どう思っているんですか?」
「え?」
リーテアは目を瞬く。真正面からそんな質問をされるとは思っていなかった。
「どうって…」
アシュトンがどんな答えを望んでいるのか、リーテアには分からない。
ディランの護衛であるアシュトンが、リーテアの護衛として選ばれたのは、何かしらの意図があるはずだと思ってはいるのだが。
悩んだ末、リーテアは少しだけ踏み込んでみることにした。
「……私ね、人の幸せそうな顔を見るのが好きなの」
「………はい?」
「だから、人を幸せにできる《愛の魔女》であることを誇りに思っているわ」
その言葉を、アシュトンは眉をひそめて聞いている。リーテアは苦笑した。
「アシュトン。あなたが魔女を…私を嫌っていたとしても、私はここから逃げ出すつもりはないの」
「………」
「だから、あなたが私の護衛でいてくれるのなら、もう少しだけ仲良くなれたら嬉しいわ」
アシュトンはなんとも言えない顔でリーテアを見ていた。
返事のないことが答えなのだと悟ったリーテアは、少し眉を下げてから背を向けて歩き出す。
「………リーテアさま!」
名前を呼ばれ、リーテアは足を止めて振り返った。
「俺は、別に…あなたのこと、嫌いなわけじゃありませんので…っ、」
言葉の最後で、アシュトンは口元を片手でパッと押さえた。
困惑したような顔に、「俺は何を言っているんだろう」と書いてあるように見える。
初めて見たアシュトンの表情に、リーテアは思わず笑みが零れた。
「良かった。また明日ね、アシュトン」
少し軽くなった足取りで、リーテアはロゼの待つ家へと帰っていった。