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58.伝えたい事実


 婚約披露パーティーが終わり、翌日からはいつもの日常が戻って来る。

 ……といっても、ディランを追い立てるのはその後の事務処理だった。



「ライアス、苦情の手紙は無いか?」


「はい。今のところは」


「そうか、良かった」



 ディランはホッと息を吐く。正直なところ、あの場を丸く収められた自信はあったが、そのあとに苦情が来ることを覚悟していたのだ。



「ラデュイ国の王子殿下が、きちんと非を認めた発言をしたことが大きかったと思います。あちらの国の評判はガタ落ちでしょうが…」


「そうだな。……今後の行動次第では、何かあったときは俺が庇ってやってもいいかな」



 そう言いながら書類を捲れば、ライアスの視線が突き刺さる。



「……なんだよ」


「いえ。丸くなったなぁと思いまして」


「……リーテアの生まれ故郷だしな。彼女にとって、その場所が辛い思い出の場所であってほしくない」


「その考えは立派ですが、他国の王子殿下にいきなり掴みかかるのはやめてください」



 ライアスにじとっと睨むような視線を向けられ、ディランは苦笑する。


 ノルベルトの婚約者がリーテアに近付いていることが分かったディランは、慌ててノルベルトを探し始めた。

 その姿を見つけたとき、思わず感情のままに口を開いてしまったのだ。

 それを背後で見ていたライアスは、身の縮むような思いだったに違いない。



「……あれは、悪かったよ。あとで謝ったし、彼も怒ってないって言ってたし…良かった良かった」


「全く…反省していませんね?後始末するのは全部俺なんですからね」


「分かってる。ライアスがいるからつい、好きに動いちゃうんだよな」


「それが褒め言葉だと思っているなら、大間違いですよ」



 呆れたようなため息だったが、どこか嬉しさが滲んでいることに、ディランは気付いている。

 ライアスは昔から、ディランのためだけに努力してきてくれていた。



「……このあとは、リーテアさまと外出でしょう。ここまでは片付けてもらいますからね」


「思ったよりあるな。……さて、本気を出そうか。愛しの婚約者のために」



 ディランはイスに座り直すと、書類の上にペンを走らせた。






◆◆◆


 前回はお忍びデートだったが、今回は違う。

 いつも通りの服装で、ディランはリーテアの部屋を訪れた。



「リーテア」


「はーい、ちょっと待ってね…」



 パタパタと扉越しにリーテアが駆け寄ってくる音が聞こえる。

 開かれた扉の奥から、綺麗に着飾ったリーテアが現れた。



 ほどよい露出のある、柔らかい素材の紺色のドレスだ。落ち着いた色味がリーテアによく似合う。

 このドレスを選んだ使用人は、なかなか見る目があるな、とディランは思った。



「おはよう、ディラン」



 ふわりと笑ったリーテアに、ディランの心臓が小さく音を立てる。

 最近リーテアに対してそうなることが多いのだが、ディランはその原因を分かっていない。


 おはよう、と挨拶を返したディランは、同じように微笑んで手を差し出した。

 当たり前のように手を握り返してくれることを、嬉しく思う。



「今日はどこに行くの?」


「ああ、場所はもう決めてある」



 迷わず歩き出したディランとリーテアの背後から、慌てたように駆け寄ってくる足音が近付く。



「……ディラン殿下!勝手に行かないでくださいっ!」


「ああ、アシュトン。おはよう」



 ディランはにこりと笑いながら振り返る。アシュトンは乱れた息を整え、隣に並んだ。



「さらっとかわそうとしてもダメですよ。お二人に何かあったら、どうするんですか」


「やれやれ、お堅い騎士だな」


「ふふっ」



 リーテアが楽しそうに笑う。その笑顔にディランは安心した。

 ディランの婚約者となってから、リーテアに休む暇はなかった。


 国王の謁見、魔女への婚約発表、各国への婚約披露パーティー…その合間で、リーテアには婚約者として必要になる知識やマナーの指導があった。

 リーテアは決して弱音は吐かず、ライアスが目を見張るほどの吸収力で、全ての課題をこなしていた。



(婚約披露パーティーでも、リーテアは常に他国との情勢を気にして立ち回ってくれていた。……婚約者として、完璧すぎるほどに)



 だからこそ、ディランは心配だった。

 リーテアは負担を抱えすぎているのではないかと。そして、リーテアが素直に負担だと口に出せる性格ではないことを知っている。

 むしろ、誰かのためになるならと喜んで負担を背負っていくだろう。



「……リーテア」


「なに?」


「アシュトンは空気だと思って、二人の時間を過ごそう」



 真面目な顔でディランがそう言えば、リーテアは可笑しそうに笑う。

 その笑顔を護りたいと思いながら、ディランは目的の場所へと向かった。






「……ここは…」



 辿り着いたのは、前回のお忍びデートのときにも訪れた洞窟だった。

 小さい頃から、誰にも邪魔されたくないときに来ていた場所だ。


 馬車から降りると、リーテアは金色の瞳をディランに向ける。



「ここに来たかったの?」


「そう。せっかく綺麗な格好をしてくれたのに、見せびらかせない場所で悪いけど」


「え!?……そ、それは別にいいんだけど…」



 未だに褒め言葉に慣れず頬を赤く染めるリーテアが、素直に可愛いとディランは思う。

 口元に笑みを浮かべてから、ちらっとアシュトンを見た。



「アシュトン、ここで待っていて欲しい」


「はい!?だからそれはっ…」


「頼むよ」



 アシュトンは口をパクパクと動かしたあと、やがて不本意そうに頷いた。

 ライアスと同じで、アシュトンも最終的にはディランに甘いのだ。



「ありがとな。すぐ戻るよ」



 ディランは笑いながらリーテアの手を取り、洞窟へと進む。


 何度も何度も通った洞窟の中には、真新しい景色は何もない。それでも、洞窟を抜けた先の景色には、何度でも目を奪われるのだ。

 オーガスト国は美しいのだと、ディランは生まれながらにして知っている。



「……何度見ても、素敵な景色ね」



 リーテアがそう呟き、赤い髪がそよ風に攫われて揺れる。

 その横顔をじっと見つめていると、不意にリーテアの大きい瞳にディランが映った。



「パーティーのあと…ゆっくり話す時間がなかったから今改めて言うけど、ありがとう」


「……お礼を言われるようなことは、何も。婚約者を護るのは当然だしね」


「ディランが来てくれたとき、どれだけ私がホッとしたか知らないんでしょ?」


「ああ、俺の腕に抱きついてくれたときか。あれは可愛かったな」


「あ、あれはっ…!」



 リーテアは顔を赤くしたあと、ぷいっと顔を背けた。



「……そ、それより、ノルベルト殿下に言ってくれたことも、ありがとう」


「………ん?」


「でも、他国の王子殿下に掴みかかったらダメよ。それを聞いたとき、びっくりしたけど…嬉しかった」



 だんだん小さくなるリーテアの言葉を聞きながら、ディランは片手で顔を覆っていた。

 まさか、ノルベルトにバラされるとは思っていなかったのだ。

 やはりいつか泣きつかれても手を貸すのはやめよう、とディランが思っていると、目の前に人の気配を感じる。


 リーテアがディランの顔を覗き込むようにして近付いていた。



「ディラン?」


「………あんまり近いと困る」


「ええ?分かった、離れるけど…ディラン、何か大事な話があるんでしょ?」



 素直に少しだけ距離を取ったリーテアに、安心すると同時に残念な気持ちにもなる。

 ディランはそんな複雑な自分の感情を不思議に思いながらも、大きく息を吐き出した。



「……そう。わざわざここに来てもらったのは、俺が君に話しておかなきゃいけないことがあるからだ」



 それは、アシュトンがいてもできる話だった。けれどディランは、リーテアと二人きりで、この国の景色を眺めながら話したいと思ったのだ。


 あの日、二人きりのときに、リーテアが自分の過去を話してくれたように。



「まず最初に…陛下とその側近たち、俺とライアス、アシュトンしか知らないことを伝えたい」



 リーテアは真剣な眼差しで、小さく頷いた。

 これが婚約する前ならば、教えてもらわなくて大丈夫です、と断られていただろうなとディランは想像する。

 少しだけ緩んだ唇から、次の言葉を口にした。



「―――この国の王妃は…俺の母親は、まだ生きているんだ」



 ザァ、と音を立て、風に煽られた木々が揺れた。

 リーテアの目が大きく見開かれたのが分かる。



「生き、て…?」


「表向きは亡くなったことになってるし、城の人間も国民も、それで納得してるけどな」


「どうして、そんな…」



 リーテアが戸惑うのも、当然の反応だった。

 ディランも、この事実を誰かに伝えることが来るとは、全く思っていなかった。



「……今度は、俺の昔話を聞いてくれるかな」



 遥か遠くを見つめながら、ディランは過去を思い出していた。



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