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56.婚約披露パーティー③


(さて、どうしましょうか―――…)



 リーテアは引き攣った笑みを浮かべたまま、ザッと周囲に視線を走らせた。

 今のシンディの発言を聞いたのは、声が聞こえる範囲の招待客たちだ。


 さすがに国の要人たちというだけあって、シンディの言葉をすぐに信じてはいないようだったが、疑うような視線がリーテアに向けられているのが分かる。



「………」



 目を細めたアシュトンが、ヒヤリと冷たい空気を纏う。

 剣の鍔にかけている手がピクリと動いたのを見たリーテアは、その手を止めた。



「……失礼ですけど、私はまだ、あなたに名乗られた覚えがないのですが…よろしければ、お名前を伺っても?」



 にこりと微笑んでみせれば、シンディは瞬きを繰り返す。それから小さく首を傾げた。



「あれ?そうでしたっけ…?私はシンディです。ノルベルト殿下の婚約者です」


「そうですか。それで、シンディさまは…私があなたの婚約者であるノルベルト殿下を、利用して捨てたと仰るんですね?」



 リーテアはできるだけ感情を殺した声で、シンディにそう問い掛ける。

 シンディはそこで声を上げて笑った。



「あはっ!まさか事実ではないって否定するんですか?ラデュイ国では有名な話なのに」


「……ノルベルト殿下が、それが事実だとあなたに話されたのですか?」


「え?だって、事実だからあなたは国を追い出されて、今度はこの国でディラン殿下に狙いを変えたんでしょう?」



 リーテアは頭にカッと血が上った。けれど、この場で事を荒立てることはできない。

 シンディは、それが分かってリーテアを挑発しているのだろうか。



「無理もないですよね。ディラン殿下もこの国も、とーっても魅力的ですし…」



 うっとりとした顔で頬を染めたシンディは、不意に射抜くような眼差しをリーテアへ向ける。



「《愛の魔女》さまは、ノルベルト殿下と同じ手を使ってディラン殿下を誘惑したんですか?それとも、魔女だからって理由だけで婚約者に選ばれたんですか?」


「―――お言葉ですが」



 恐ろしく冷たい声を出し、アシュトンがシンディを睨むように見ている。



「あなたの言葉の中に真実は何一つありません。リーテアさまを侮辱するのは、止めてただきたいのですが」


「……ふぅん…こんなに素敵な護衛騎士まで、手懐けているんですか。さすが《愛の魔女》さまですね」



 くすくすと笑うシンディは、何が言いたいのだろうか。

 言い返したくてたまらないリーテアだったが、ぐっと堪えてなんとか微笑む。

 ここで相手のペースに飲まれてはダメだ。



(……ノルベルト殿下は、この婚約者を放ってどこにいるのよ…!)



 もしかして、二人してリーテアを陥れようとパーティーに参加したのだろうか。

 そんな考えが頭によぎり、ぎゅっと手のひらを握りしめる。


 ロゼが怒りの眼差しをシンディに向けながら、心配そうにリーテアをちらちらと見ていた。



「……つまりあなたは、私がディラン殿下に相応しくない、と仰りたいのですか?」


「!そうですそうです、分かっていただけました?だってあなたの取り柄って、《愛の魔女》ってことだけでしょ?」



 両手をパン、と合わせながら、シンディが笑顔でそう言う。



「あなたが魔女でもなんでもない、ただの平民だったら、ディラン殿下の目に止まるはずないですよね?」


「………」


「そもそも、《愛の魔女》っていうのもよく分からないし…。私の方がよっぽど魅力的ですよね!家柄もしっかりしてるし、男心もよく分かってるしー…」



 つらつらと自分の魅力を語り始めるシンディを、リーテアは呆然と見ていた。

 たった今リーテアは、《愛の魔女》である自分の存在を、丸ごと否定されたのだ。


 シンディの言うことを、真に受ける必要はない。それが分かっていても、リーテアは唇が震えた。



「―――ねぇ、少し訊きたいのですけど…」



 コツ、とヒールを鳴らして、エイダが一歩前に出る。シンディが他国の人間だからか、ちゃんと敬語を使っていた。



「ずっと話を聞いていたけど、あなたはとても魅力的な女性のようですわね」


「え?あ、はい。そうでしょ?」


「ええ、とても。先ほどから男性とばかりお話ししている様子が見えましたし、さぞ男性があなたを放っておかないのでしょうね」



 エイダが妖艶な笑みを浮かべて言った言葉を聞いて、シンディは嬉しそうにしている。



「うふふ、分かります?もう、私にはノルベルト殿下という婚約者がいるのに、男性がたくさん寄ってくるんです」


「まあ!」



 エイダはそれは大変だわと、とでも言うように、大げさに口元に手を当てて驚いた顔をした。

 けれど次の瞬間、灰色の瞳が鋭く細められる。獲物を狙う鷹のようだった。



「でも…私に言わせれば、あなたもノルベルト殿下の婚約者に相応しくないと思いますわよ?」


「……!?なっ…、」


「だって、殿下という婚約者がいるのに、寄ってくる男性と楽しそうにお話ししたり、体に触れたり…あなたの方が、男性を誘惑しているのではないですか?」



 思わぬ反撃を受けたからか、シンディは口をパクパクとさせている。

 リーテアの代わりに、ロゼが「さすが《風の魔女》、かっこいい」と言ってくれた。



「しっ…、失礼ね!いきなりなんなのよあなた!」


「いえ、あなたがあまりにもこの国の王子殿下の婚約者に向かって、罵詈雑言を浴びせていましたので…つい黙っていられなかったのです」


「ば、罵詈雑言なんて…、」


「―――俺の婚約者に、酷いことを言ったのは君?」



 背後から音もなく現れたディランに、シンディはびくっと大げさに肩を震わせていた。

 ディランの登場に、リーテアはホッとして胸元を押さえる。


 シンディは振り返ると、ディランの姿を見るなり何故か顔を輝かせた。



「ディラン殿下…!ああ、違うんです!私はただお話をしていただけなのに、私の方が酷いことを言われてしまって…!」



 あっという間に瞳を潤ませたシンディが、ディランの胸元に飛び込んだ。

 周囲がどよめき、アシュトンが小さく舌打ちをする。けれど、アシュトンが動くより先に、リーテアは体が勝手に動いていた。



「離れて、ください。私の婚約者です」



 ディランの腕をぎゅっと抱き、リーテアはシンディを睨むようにして見据えた。

 それでも、シンディはディランから離れようとしない。



「……イヤですよ。やっぱり、私の方があなたなんかより、ディラン殿下に相応しいと思います」


「何をっ…、あなたには、ノルベルト殿下がいるのでしょう!?」



 リーテアが信じられない思いでそう言えば、ディランの手がスッとシンディを引き離す。

 恨みがましい目をしているシンディに、ディランはにこやかな笑みを向けた。



「―――それで?」



 あまりに低く威圧的な声に、リーテアまでドクンと心臓が音を立てた。

 その声を投げ掛けられたシンディの顔からは、明らかに血の気が引いている。ディランからよろよろと距離を取っていた。



「………そ、それで、って…」


「あなたはどういうつもりか、と聞いているんです」



 そう言いながら、ディランがリーテアの頭を優しく撫でてくれた。

 その温もりに安心したリーテアは、ディランの腕を抱く手に力を込める。



「私たちの婚約披露パーティーで、私の婚約者をお客さまたちの前で辱め、傷つけたのは、一体何故ですか?」


「……そ、それは…」


「我が国オーガストに対して、敵対するつもりだと解釈しても?」



 ざわ、と空気が揺れる。シンディの顔は真っ青だ。

 対してディランは、いつの日か魔女に言及したときのように、楽しそうに冷たく笑っている。



「………っ、そんなつもりはありません…!私はただ、ラデュイ国での《愛の魔女》に関する噂をっ…」


「ああ、その話はもう結構です。事実とは全く異なるということを、私たちは知っているので。……そうですよね、ノルベルト殿下」



 ディランの後ろから、ノルベルトがゆっくりと現れた。

 髪と襟元が乱れ、疲れ切った顔をしたノルベルトが、リーテアを、そしてシンディを見る。

 シンディは助かったと言わんばかりのホッとした表情を浮かべた。



「ノ…ノルベルト殿下!もう、どこへ行ってらしたんですか?助けてください、私…」


「近寄るな」



 駆け寄ろうとしたシンディを、ノルベルトが冷たい声で止める。

 シンディは驚きで目を丸くしていた。伸ばした手が、行き場もなくさまよっている。



「シンディ、君は…婚約のお祝いの言葉を伝えたいからついていくと、そう言っていたな」


「え…あ…、」


「信じた俺がバカだった。思えば、婚約が決まってから、君の行動にはに目に余る点がいくつもあったんだ……信じなければと、見て見ぬふりをした俺の落ち度だ」



 ノルベルトは一度目を伏せ、リーテアに向き直る。



「……不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。お二人の大切なパーティーを台無しにしてしまった責任は、全てこの私に」


「………」


「そして彼女…シンディへの処罰は、この場でさせてください。私との婚約破棄をもって、我が国ラデュイでの爵位を剥奪します」


「そんなっ…!!」



 シンディが金切り声を上げ、口元を両手で覆った。両目からポロポロと涙が零れ落ちているが、リーテアは全く同情する気になれなかった。

 それは周囲も同じようで、シンディを擁護しようとする者は誰もいない。



「ひどい!ひどいわ……!私は、ノルベルト殿下が《愛の魔女》に酷いことをされたから、だからっ…!」


「俺は、何も酷いことなんてされていない」



 ノルベルトは静かにそう言うと、再び口を開く。



「―――酷いことをしたのは、俺の方だ」



 悲しげに揺れる紺の瞳は、真っ直ぐリーテアに向けられていた。



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