54.婚約披露パーティー①
大広間に出た瞬間、大きな拍手で迎えられる。
あまりの人の数に、リーテアは一瞬歩みを止めそうになった。
けれどそんな動揺を表に出すことなく、柔らかい微笑みを浮かべてみせる。
(あそこにいるのが、隣国の王子殿下。それから、こっちを睨みつけるように見ているのが大国の王女殿下。それから…あ、エイダたちがいるわ)
あまり視線が動かないようにしながらも、リーテアは集まった招待客の顔と名前を一致させていた。
見知った魔女や護衛騎士の姿も見え、少し安心する。
ディランに手を引かれ、ステージの中央に立つ。
それが合図となったかのように、大広間のざわめきが一瞬にして消えた。
「……本日は、遠路はるばる我が国オーガストへお越しいただき、誠にありがとうございます」
ディランのよく通る声が響く。各国の王女を始め、招かれた多くの女性がディランに見惚れているのが分かった。
今日のディランの姿を見て、それは無理もないなとリーテアは思ったが、少しだけ面白くないとも感じてしまう。
「私、ディラン・オーガストは、《愛の魔女》であるリーテア・リーヴと婚約したことを、この場で発表させていただきます」
そう言って、ディランがリーテアに微笑みかける。
拍手が響き、リーテアも同じように微笑み返した。それから、招待客に向かって正式な礼をとる。
顔を上げたとき、精一杯のよそ行きの笑顔を浮かべていたリーテアは、その姿を見つけてしまった。
(―――ノルベルト殿下…)
リーテアが生まれ育った、ラデュイ国の王子。
そして、もう二度と故郷に戻れない原因となった王子。
心臓がドクンと音を立てたが、すかさず耳元でロゼの声が聞こえた。
「……落ち着いて、リーテア。集中して」
その優しい声音に、リーテアはすぐに気持ちを切り替えることができた。
素早くノルベルトから視線を逸らし、別の方向を見ながらなんとか微笑みを浮かべる。
「ほんのささやかな気持ちではありますが、私と彼女から、集まって下さった皆さまに楽しんでいただけるよう、食事や飲み物を用意いたしました。最後までどうぞごゆっくりお寛ぎください」
ディランが笑顔でそう言い切り、リーテアをちらりと見る。
二人でタイミングを合わせて礼をすると、ライアスに続いて控室へと一旦戻った。
このあと大広間の正面から中へ入り、挨拶回りをする予定である。
「……リーテア。もしかして、もう見つけた?」
控室に入るなり、ディランがそう問い掛けてくる。リーテアは目を丸くした。
「どうして、分かったの?」
「一瞬、体が強張ってたから。俺も大広間に入ってすぐ見つけてたよ。あいつがリーテアを傷付けたやつか、って」
「そう…顔に出てたかしら?」
「大丈夫。さすがだった」
ディランに優しく背中を叩かれる。手のひらから伝わる温もりに、リーテアはホッと息を吐いた。
ライアスは両腕を組み、何かを考えるように眉間にシワを寄せている。その様子にアシュトンが気付いた。
「ライアス、顔が怖いぞ」
「……このあと起こり得る可能性を考えてるんだ、邪魔するな」
「起こり得る可能性?」
リーテアが首を傾げると、ライアスは眼鏡の奥から鋭い瞳を向けてくる。
「その王子殿下が、あなたに接触してくる可能性ですよ」
「………」
ノルベルトが、リーテアに接触してくる可能性。それは、絶対にないとは言い切れなかった。
むしろこの婚約披露パーティーに出席していることが、その可能性を示唆しているとも言える。
(ノルベルト殿下が私に近付いてきたのは、最初は純粋な好意だったと思う。それを私が拒否したことで、殿下は自分の評判を下げないように、私を悪者に仕立て上げた…正直、もう私の顔を見たくもないものだと思ってたけど)
先ほどの大広間で見たノルベルトの表情は、嫌いな人物を見るようなものではなかった。
リーテアはすぐに目を逸らしてしまったが、それだけは分かったのだ。
「隣に女性がいただろ。招待状の返信には、婚約者と共に出席すると書かれていたから」
「婚約者…?」
ディランの言葉に、リーテアは目を瞬かせた。
ノルベルトに婚約者ができたことは初耳だった。大広間でも隣の女性に気付かなかった。
もっとも、故郷の情報は意図的に調べないようにしていたので、リーテアが知らないのも無理はなかった。
「へえ、婚約者ね。さぞ自分に都合よく動く女を選んだんだろうね」
ロゼが皮肉たっぷりにそう言って鼻を鳴らす。
思わず苦笑してしまったリーテアに、ディランが不思議そうな顔をした。
「どうした?」
「いえ、ロゼの発言が可笑しくて」
「ロゼ?……なんだ、姿を見せてはくれないのか」
そういえばロゼがいることは伝えていなかったな、とリーテアは気付く。
肩の上のロゼに視線を向ければ、ふるふると首を横に振っている。
「……このままがいいみたい。誰にでも姿が見えるようにするのは、使い魔にとって結構な力を使うから」
「そうか。なら無理強いはできないな」
ディランは少しつまらなそうにそう言うと、窓辺に背を預ける。
「……とにかく、もしあの王子がリーテアに接触してきたとして、婚約者がいるなら下手な行動は取らないだろ。ましてや、他国だしな」
「そうね…さすがに自分の立場を悪くする行動は取らない方だと思うけど…」
口元に手を添えて俯いたリーテアの目の前で、ディランが突然パン、と音を立てて手を叩く。
「びっ……くりした。どうしたの?」
「いや。他の男のことを考えるのが面白くないなと思って」
眉を寄せながら言われた言葉に、リーテアの頬にサッと赤みが差す。
ディランからの真正面から向けられる言葉に、リーテアはまだ慣れていない。
「……とりあえず、リーテアさまは接触があっても、他の客人と同じように対応してください。俺とアシュトンは、最悪の事態を想定して対応を考えておきますので」
ライアスが眼鏡の位置をくいっと直しながら言う。
最悪の事態、という不穏な言葉が気になったが、リーテアは深く聞かないことにした。
「分かったわ。……もう大広間へ行きましょ。これ以上お待たせするのもよくないし」
「そうだな。基本は俺が対応するから、リーテアは話を振られたときだけ愛想よくよろしく」
「頑張るわ」
再度ディランの手を取り、リーテアたちは大広間の正面扉へと移動した。
少しだけ緊張しながら中へ入れば、あっという間に挨拶の行列ができる。
一番最初に声を掛けて来たのは、隣国の王子だ。オーガスト国に並ぶ大国で、王子はディランより年下だ。
「こんにちは、ディラン殿下。この度はご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「いやぁ、お美しい方ですね。私も早く婚約者に恵まれたいものです」
他愛ない話をしているように思えるが、王子の視線が品定めするように向けられていることに、リーテアは気付いていた。
それでも、ひたすら微笑みを浮かべてディランの横に立っている。
この状態がしばらく続き、リーテアは頬の筋肉が疲れてきてしまった。
たまに話を振られては、当たり障りのない会話をする。
他国の王女からは、「私の方が相応しいのに」「魔女ってだけで婚約者に選ばれるなんてずるい」と遠回しの嫌味を投げられることもあった。
その中でも微笑み続けていられたのは、ロゼが常にそういった王女に文句を言ってくれたし、ディランが必ずリーテアを庇う言葉をくれたからだ。
「本当に、私には勿体ないくらいの女性なんですよ。彼女が隣にいない生活には、もう戻れません」
そう言って、リーテアに優しく微笑みかけるまでがセットだった。
一生分の甘い言葉を浴びせられ、リーテアは途中から、恥ずかしさで体が熱くてたまらなかった。
そのときが来たのは、リーテアとディランに挨拶をしようと並ぶ列が、だいぶ捌けてきた頃だった。
「……お初にお目にかかります、ディラン殿下。ラデュイ国第一王子、ノルベルトと申します」
あの日と変わらない姿が、リーテアの前に現れた。
眩い金髪に、紺の瞳。当時の記憶が一瞬にして蘇る。
少しだけ変わったとすれば、リーテアが国を出てから会わなかったこの二年の間に、顔付きが王子らしくなったことだろうか。
初めて会った五年前のノルベルトは、まだ王子という立場を楽観的に考えているような印象だった。
「初めまして、ノルベルト殿下。お越しいただきありがとうございます」
他の招待客と変わらず、ディランは笑顔浮かべる。けれどその瞳の奥が冷え切っていることに、リーテアは気付いた。
ノルベルトも何か気配を感じ取ったのか、警戒しているような視線をディランに向けている。
ふと、その瞳がリーテアへ向いた。リーテアはライアスに言われたとおり、他の招待客と同じように笑顔で会釈をする。
ノルベルトの表情が僅かに歪んだ。
「………っ、」
「ふふ、本当にお似合いのお二人ですね。ねっ、ノルベルト殿下!」
ノルベルトがリーテアに向かって口を開こうとしたとき、隣から女性がいきなり現れ、ノルベルトの腕に抱きついた。
驚いたリーテアとディランをよそに、その女性はペラペラと喋り続ける。
「ディラン殿下はとても素敵な方だし、婚約者さまは《愛の魔女》でしょう?」
「………シンディ」
「まさか、私たちの国で有名な《愛の魔女》が、他国で―――…」
「シンディ!」
ノルベルトが苛立ったような声を上げ、婚約者であろう女性…シンディは大きな瞳をパチパチと瞬かせる。
「もう、どうしたんですか殿下?」
「……まだお二人に挨拶をしたい人はたくさんいるから。行こう」
「ええ…まだお話したかったのに」
「いいから。ディラン殿下…《愛の魔女》さま。婚約者が突然失礼致しました」
ノルベルトは頭を下げ、まだ文句を言っているシンディを引っ張るように去っていった。
「……どうやら面倒くさいのは、王子じゃなくて婚約者の方みたいだね」
ボソリとロゼが呟いた言葉を聞きながら、リーテアは同じ気持ちでディランと顔を見合わせていた。




