51.秘密の日記
他国の要人を招いた、婚約披露パーティーの開催を三日後に控えた今日。
リーテアは一人、書庫に閉じ込められていた。
「……扉が、開かない」
何度扉を押そうとしても、何かに塞がれているのか、びくともしない。
原因はなんとなく想像がついた。つい先ほど、大きな物音がしたのだ。おそらく、扉近くの棚が倒れでもしたのだろう。
リーテアはため息と共に床にしゃがみこんだ。
「はあ…」
他国の勉強の合間に、数冊の本を戻しに来ていただけだった。運悪くアシュトンは一緒にいない。
それでも、勉強を教えてくれていたライアスはリーテアの居場所を知っている。戻るのが遅ければ、そのうち様子を見に来てくれるだろう。
壁に背を預け、膝を抱える。
パーティーが近付くにつれ、リーテアは胃がキリキリと痛んでいた。
(―――ノルベルト殿下が、来る…)
リーテアが生まれ育ったラデュイ国の王子、ノルベルト。
ディランから招待状を送ろうと思う、と提案されたとき、リーテアは手に持っていたカップを危うく落としそうになった。
どうして、と問い掛けそうになったリーテアは、ディランの瞳を見て、反論せずにその場で頷いていた。
きっとディランのことだから、何か考えがあるのだろうと思ったのだ。
(正直、参加を断ってくると思ったのに…意外だわ)
また、「その魔女に騙されている、婚約はやめたほうがいい」とでも言われるのだろうか。
リーテアは顔を合わせるときのことを想像しては、ため息が零れた。
そしてもう一つ、リーテアには気がかりなことがある。
ロゼの様子が、おかしいのだ。
最初はどこか調子が悪いのかと思っていたが、そうではないようだった。
リーテアに対してどこかよそよそしく、話し掛けても生返事のときが多い。そんなことは初めてだった。
「………」
今だって、契約の腕輪を通してロゼを呼べば、すぐにでも誰かを呼びに行ってくれるだろう。
けれどそれを躊躇ってしまうくらい、最近のロゼはいつもと違う。
(さすがのロゼも、私に愛想が尽きたとか…?それとも、ディラン殿下との婚約に反対とか…?)
思い当たる部分が多すぎて、リーテアは頭を抱えた。
そのとき、書庫に並ぶたくさん本のうち、一冊の本に目が惹かれた。何故かその本だけ、纏う空気が違うように思えたのだ。
リーテアは立ち上がると、その本に吸い寄せられるように近付いた。
手にとって開いてみると、すぐに他の本とは違うことに気付く。
「これは……」
綴られていたのは、綺麗な手書きの文字だ。
最初のページの一番上に、数十年前の年号と日付が書かれている。
その下に続いている文字を、リーテアは思わず声に出して読んだ。
「―――“長い長い妊娠生活が、今日で終わった。産まれてきてくれたのは、とても可愛い男の子。私たちの宝物、ディラン。どうか、この子がこの先、幸せな人生を歩むことができますように”―――……」
ディラン。出てきた名前から、この本が何なのかすぐに推測できた。
これは―――ディランの母親である王妃の日記だ。
どうして、かつての王妃の日記が書庫にあるのか。疑問に思いながら、リーテアは次のページを捲る。
すると、今度は別の筆跡で文字が綴られていた。
「―――“今日は、ディランが私の指を握ってくれた。小さな小さな宝物を、私たちの大きな手で護ってやろう。産んでくれてありがとう、シャナ”―――…シャナ。ディランのお母さま…王妃さまの名前…?」
リーテアの手の中にあるのは、ただの日記ではなかった。国王と王妃の、交換日記だ。
(ここは書庫だけど、誰でも入れるわけじゃない。王族と、その関係者だけが使用できる書庫だわ。この場所で、日記を…?)
どうしてわざわざこんな場所で、と疑問は浮かぶが、リーテアはこの先を読み進めていいものか悩んだ。
おそらく、ディランに関することがずっと書き連ねてあるはずだ。
「……そっか、だから…」
この日記には、国王と王妃の、ディランへの“愛”が綴られている。
だから《愛の魔女》であるリーテアは、この日記に込められた“愛”に知らずに惹き寄せられたのだ。
「―――リーテアさま!いらっしゃいますか!?」
焦ったような声が扉の外から聞こえ、リーテアはビクッと肩を震わせた。
わたわたと慌てながら日記を元の場所に戻し、開かない扉の前に戻る。
「い、いるわライアス!扉が開かないんだけど、どうしてか分かる?」
「……どうしても何も、棚が……くそ、俺じゃ退かせませんね」
扉越しでもライアスの舌打ちが聞こえてきた。
「近くの衛兵を呼んできます。少し待っていてください」
「うん、大丈夫。ありがと」
パタパタと遠ざかっていく足音を聞きながら、リーテアは本棚へ視線を戻す。
(……うん、とりあえずこのままにして、場所は覚えておこう。それで、ディランが陛下と和解したら…)
そこまで考えていたところで、また扉の反対側が騒がしくなっていた。
ライアスが戻ってきたにしては早すぎる気がするが、誰が来たのか声で分かる。
「リーテア。扉から離れて」
「ちょっ、ディラン…殿下。俺が…」
ディランとアシュトンの声が聞こえたかと思えば、ガタン!と大きな音が響く。
次いで、びくともしなかった扉がゆっくりと開き、その奥からディランが現れた。綺麗な銀髪が汗で額に張り付いている。
リーテアはディランに駆け寄った。
「ディラン、大丈夫?すごい汗が…」
「平気だよ。思ったより棚が重かっただけだから」
ふう、と息を吐きながら、ディランが腕で額を拭う。そんな仕草にも色気が伴っており、リーテアはまじまじと観察してしまった。
「……なに?そんなに見つ…」
「リーテアさま、大丈夫でしたか!?」
ディランの言葉の途中で、アシュトンが扉から入って来た。アシュトンも汗でクリーム色の髪が乱れている。
「なんともないわ、アシュトン。まさか二人とも、走って来てくれたの…?ライアスは?」
「いますよ、ここに」
いつも通りのライアスの声が、アシュトンの後ろから聞こえて来た。
倒れた棚を戻しているようで、ガタガタと音がする。
ディランがアシュトンを睨むように見ながら、「とりあえず出よう」とリーテアに声を掛けた。
「俺とリーテアの二人の時間を邪魔したアシュトンは、またこの部屋に閉じ込めておこうか?」
「え」
「もうディラン、そんなこと言わないの」
リーテアは顔を赤くしながら部屋を出た。確かにここ最近は互いに忙しく、二人でゆっくり話す時間は取れていない。
だから逆に、今突然二人きりにさせられたら困ってしまう。
倒れて来た棚を眺めていたライアスが、リーテアに気付くと口を開いた。
「……この棚が、突然倒れてきたんですよね?」
「そうね。私が部屋に入って、本を戻す場所を探していたら大きい音がしたのよね」
「見た限り、細工がされていた形跡は見当たりませんが…突然倒れるものですかね」
まるで、誰かがリーテアを閉じ込めようとしたかのような言い方に眉をひそめてしまう。
それでは、ただの悪質な嫌がらせだ。
「そもそも…書庫もそうだし、書庫につながるこの部屋だって入れる人は限られてるでしょ?私を書庫に閉じ込めてどうす……」
言葉の途中で、リーテアは国王と王妃の日記の存在を思い出した。
(え…もしかして王妃さまの幽霊が、日記を発見してもらいたくて…とかあったりする?)
不自然に言葉を区切ったリーテアを、ディランたちが不思議そうに見ている。
考えをそのまま口にするわけにもいかず、笑って誤魔化した。
「も、もっと勉強しろっていう、誰かの訴えかなって…」
「誰かって?魔女の?」
「え、ええと…幽霊とか…?」
ディランにじっと見つめられ、リーテアは焦って中途半端に答えてしまった。その結果、三人分の憐れみの視線を向けられることになる。
「………リーテア。少し頑張りすぎてるんじゃないか?」
「そうですね。きっとライアスに無理やり詰め込まれてるんでしょう」
「リーテアさまの力量に合わせたつもりでしたが、どうやら思考を逃避させてしまうくらいだったようですね。見直します」
「………」
また下手に言い訳すると事態が悪化する恐れがあると判断したリーテアは、不本意だが三人の意見に便乗することにした。
「……そうね、ちょっと疲れてるのかも。変なこと言ってごめんなさい」
「いや、リーテアはよくやってくれてるよ。パーティーが終わったら、一日休む時間を取ろう」
本気で心配そうな目をしているディランが、リーテアの頭の上に優しくポンと手を乗せる。
リーテアはその優しさが嬉しく、「ありがとう」と微笑んだ。
(本を戻しに来ただけだったのに、少し大事になっちゃったわね…それでも、あの日記を見つけられてよかった)
部屋を出るとき、リーテアはちらりと書庫へ視線を送る。
偶然見つけた日記は、ディランが両親から愛されている証だった。
早くディランと国王の仲が戻りますようにと、その仲を取り持てますようにと、リーテアは強く願った。




