50.恋愛相談
ディランとリーテアの、婚約披露パーティーの日取りが決まった。
その情報は瞬く間に国中に広がり、《愛の魔女》リーテアに対する国民の関心が高まっている。
「ねぇ、《愛の魔女》さまってどんな方かしら?あなた見たことある?」
「ないわ。城で働いてる友達から聞いたんだけど、とても綺麗な赤い髪と、金の瞳を持った方らしいわよ」
「まぁ…!きっととても美しい方なのね…!」
「おい、《愛の魔女》さまってどんな力を持ってるんだ?」
「聞いたことはないけど…ディラン殿下が選んだお方だぞ?すごい力を持っているに違いない」
「それもそうだな。早くお姿をこの目で見てみたい…!」
「……だ、そうだけど。美しくすごい力を持つ《愛の魔女》さま?」
「もうロゼ、茶化さないで」
リーテアは帽子を目深に被り直しながら、足早に城下街を歩いていた。
街中に溢れるリーテアの話題を聞き、肩の上のロゼが楽しそうに笑っている。
「こんな噂なら、僕は大歓迎だと思うけどね」
おそらくロゼは、以前住んでいたラデュイ国で流れた酷い噂と比較しているのだろう。
オーガスト国でのリーテアの噂は、今のところ悪い噂は一つもない。
けれど、やたらと熱い魔女信仰のおかげで、リーテアの人物像が美化されているのだ。
「……いつか国民の前に出たら、みんなガッカリするんじゃないかしら…」
「大丈夫でしょ。ガッカリさせないために、リーテアは毎日頑張ってるんだし」
礼儀作法の基本から、オーガスト国の情勢、そして親交のある他国の勉強。
ディランの婚約者となったリーテアは現在、とても時間に追われている。
頭に情報が詰め込まれすぎて、ついにパンクしそうになった頃、見かねたライアスが「長めに休憩を取りますか」と言ってくれたのだ。
それならば、とリーテアは城下街で《愛の魔女》として仕事をしたいと提案した。
最近は力を使えていなかったからだ。
「それにしても、せっかくの一時間なんだから…だらだら休めばいいのに。そうしないところがリーテアだよね」
「たぶん、今だらけたら詰め込んだ内容が抜けていくわ」
「……それは嫌だね」
ロゼがくすりと笑う。今日はなんだかご機嫌のようだ。
「昼間からロゼと街中を二人で歩くなんて、久しぶりよね」
魔女登録を終えてから、リーテアは毎日のように魔女依頼受付室で夕方まで働いていた。
たまに城下街に出ることがあっても、常にアシュトンが護衛としてそばにいたのだ。
今日はアシュトンに見習い護衛騎士の指導があり、他の護衛騎士をつけるというライアスの言葉を、全力で断って逃げるように出て来てしまっていた。
あとで絶対に怒られる。もしくは今、誰かがリーテアを探し回っているかもしれない。
(……殿下の婚約者として、護衛を連れずに外に出るのは非常識だって分かってる。でも…)
ちら、と視線を動かせば、並んで歩く男女が数組目に入る。この中にまだ恋人同士じゃない男女がいれば、リーテアの出番だ。
けれど今は、恋人同士にも目を向けようとリーテアは思っていた。
あの日、ディランがリーテアを愛してみせると言ってくれた。そして、リーテアもディランを愛してみると言った。
つまり、将来的に愛し合う男女を目指すということだ。
そのためにリーテアは、街中で恋人同士の勉強をしたかった。
「………」
「リーテア、じろじろ見すぎ。怪しいよ」
ロゼに指摘され、リーテアは慌てて前を向く。恋人同士を少しだけ観察して分かったのは、やたらとベタベタくっついているということだった。
(あんなに密着して…ドキドキしすぎて心臓が破裂しないの?)
リーテアはディランに腕を絡める自分を想像した。
それだけで顔が熱を持つが、想像の中でもディランは余裕な顔をしていて、それがとても悔しかった。
「リーテア、おーい、リーテアー」
ロゼに尻尾でパシパシと頬を叩かれ、リーテアは我に返る。
「え、あ、ごめんね。どうしたの?」
「あそこ、こっちに向かってくるのって《風の魔女》じゃない?」
「え?」
そんなわけないと思いながら、ロゼの視線の先を見ると、確かにそこにはエイダがいた。
眉をつり上げ、大股で近付いてくる様子は、美人がゆえにとても迫力がある。
周囲の人々は足早に通り過ぎるエイダを、振り返ってよく見ようとしていた。
エイダはリーテアの目の前で立ち止まると、ずいっと顔を寄せてくる。
「……あなた、何やってるの?」
「えっと……休憩?」
「緊急で私が捜索に駆り出されることを、休憩中とは言わないのよ」
鼻先をつままれ、リーテアはパチパチと目を瞬く。
“緊急”、“捜索”。なんとも不穏な単語が聞こえたきた。
「……それって、私を…?」
「あなた以外に誰がいるのよ。全く…いいわ、ちょっと座りましょう」
リーテアはエイダに手を引かれ、近くのベンチに並んで腰掛ける。
エイダは小さな便箋を取り出すと、綺麗な字でサラサラと何かを綴って使い魔に渡す。
「じゃあ、これを届けてきてちょうだい」
「分かったー」
「リーテア無事、伝えるー」
使い魔の小鳥たちはパタパタと飛んで行った。その小さな姿を見ながら、リーテアは肩を落とす。
「……迷惑かけてごめんね、エイダ。私を探すように頼んだのって、ライアスでしょ?」
「そうよ。物凄く不機嫌そうな顔で、私に頼みに来たのよ」
その表情が容易に想像でき、リーテアはさらに申し訳なくなった。
ゆっくりとベンチから立ち上がる。
「すぐに戻るわ…」
「あら、戻らなくて大丈夫よ。見つけたら連絡をくれれば、そのまま時間までは自由にしていいって言われたから」
「えっ?」
予想外の言葉に、リーテアは目を丸くしてエイダを見る。
「“迷惑をかけますが、ディラン殿下にとって必要不可欠なお方なのでお願いします”って…頭まで下げられたんだから」
「………」
「ま、私に頼んだのは正解ね。風の力で空からすぐにあなたを見つけたし、何かあっても私ならあなたを護れるしね」
そう言って金髪を掻き上げ、口元に笑みを浮かべるエイダはとても綺麗だった。
こういう自信に満ち溢れた魔女がディランの婚約者なら、きっと誰も文句を言わないのに…とそう考えてしまったところで、リーテアはぶんぶんと頭を横に振る。
「卑屈になっちゃだめ、とても参考になるお手本が、目の前にいるってことよ」
「……なにを言っているの?」
「そうだわ…エイダ、お願いがあるの!」
リーテアはエイダの両手をがしっと掴むように握る。エイダの口元が引きつった。
「お願い、どうやったら両想いになれるのか教えて…!」
真剣な眼差しでエイダを見つめるリーテアの耳に、「………は?」と間の抜けた返事が届いた。
「……つまり、あなたと殿下の間には、まだ恋愛感情はないってこと?」
呆れたようにため息を吐くエイダに、リーテアはこくりと頷く。
こうなっては仕方ないと、リーテアはラデュイ国でのノルベルトの一件と、この国に来てディランの婚約者になるまでの経緯を全て話したのだ。
「全くその感情がないようには、思えなかったけど…」
エイダの灰色の瞳が、不思議そうにリーテアを見る。リーテアはうーんと唸った。
「私は正直、その、殿下に惹かれてきてると思うんだけど…ハッキリと恋愛感情と言えるのかは分からなくて…」
「なに?尊敬の情だとでも言うの?」
エイダは足を組み直してから続ける。
「あのね、恋だの愛だのは、頭で考えたら負けよ。本能で感じなさい」
「ほ、本能?」
「そうよ。そうね…会いたいとか、体に触れたいとか、抱きしめたいとか…キスしたいとか。とにかく、そういうふとした瞬間の衝動よ」
リーテアはエイダの言葉を頭の中で反芻する。まだそこまでの感情は覚えがないが、ディランのことを何度も思い浮かべることはあった。
「……なんというか…定義が難しいわね」
「あなた、《愛の魔女》でしょう?」
心底呆れたような視線を向けられ、リーテアは苦笑した。
「私は、他人に愛を与える魔女なの。自分の愛はよく分からないのよ」
「とことん自己犠牲な力なのね。他人を優先しがちなあなたにはお似合いだわ…でも、恋愛に関しては他人に譲ったりしちゃダメよ」
そう言われ、リーテアは頷いた。
ディランの婚約者の立場を、誰かに譲るつもりはない。
「……ディラン殿下が、私を愛してみせるって約束してくれたの。だから私も、同じくらいの愛を返せるようになりたい」
「分かったわ。これは単なる惚気ね?」
エイダが眉を下げてクスクスと笑い、ふと空を見上げた。
「やっぱりすごいわね、リーテアは。私も少し本気出してみようかしら」
「えっ……殿下に?」
思わずそう声を出したリーテアに視線を移し、エイダが笑う。
「やだ、なんて顔してるのよ。殿下じゃないわよ」
「そっ……か」
リーテアはあからさまにホッとしてしまった。ディランじゃないとすれば、エイダの想い人は誰なのだろう。
「私の知ってる人?協力なら、いくらでもできるわよ」
「ふふ、まだ内緒にしておくわ。最初は自分で頑張りたいから」
人差し指を唇に当てて微笑むエイダは、とても綺麗だった。
誰かが誰かを想う瞬間の、この表情を見ることがリーテアは好きなのだ。
「私も…頑張る。ありがとうエイダ、なんだかとても勉強になったわ」
「そう?それは良かったわ。でもあなたはもう少し、周囲に迷惑を掛けない行動をとりなさいよね」
「……おっしゃる通りです…」
顔を見合わせ、リーテアとエイダは笑う。
リーテアの膝の上に丸まっていたロゼが、少し寂しそうな視線を向けていたことに、リーテアは気付いていなかった。




