49.新たな計画
リーテアとアシュトンが出て行った扉を見てから、ライアスが物言いたげな視線を向けて来た。
ディランは書類を広げながら苦笑する。
「ライアス、俺の顔に穴を開けるつもりか?」
「……いえ。リーテアさまとの空気が変わられたな、と思いまして」
「そう?ああ、敬語が抜けたからかな」
婚約者になるのだからと、少しからかう意味も込めて敬称と敬語なしを提案したディランだったが、先ほどはリーテアに完敗してしまった。
あんなにすんなりと対応されるとは、思わなかったのだ。
予想外の呼び捨てに、ディランはつい顔を赤くしてしまい、内心は穏やかではない。
(……あんな風に触れてくるなんて…意図的じゃなかったら恐ろしいな)
自分がしょっちゅうリーテアの髪に触れていることは棚に上げ、参ったなと髪を掻き上げた。
そんなディランの様子を横目で見ていたライアスが、口元を緩ませる。
「……やはりあの人は、只者ではありませんね」
「ん?ああ…それはとっくに分かってただろ。他の魔女と一緒なら、こんなに気にかけたりしなかったよ」
「その他の魔女への態度も、ずいぶんと柔らかくなったようですが」
「そうか?」
眉をひそめながらも、ディランは思い当たることがあった。
リーテアの婚約発表をする前に、《風の魔女》たちを集めた。リーテアを魔女の矛先から護るためだ。
ディランが自分から魔女に関わりにいったことは、リーテアに出会うまで一度も無かった。
「……魔女という存在を、認めることは一生ないと思ってたんだけどな」
ポツリと呟けば、ライアスが書類に目を通しながら頷く。
「俺もですよ。まだ認めたくない魔女はたくさんいますがね」
「ああ、お前の方が俺よりも厳しそうだ」
そうですか?と言うライアスに笑っていると、扉が叩かれる。アシュトンが戻ってきたようだ。
部屋に入るなり、アシュトンが机の上に並べられた書類を一瞥してからディランを見る。
「あー…、作業中に悪いけど、ちょっといいかディラン」
「アシュトン、敬語を使え」
「別に構わないよ。ライアス、お前も楽にしていいから。……それで、どうした?」
ディランが作業の手を止めると、アシュトンは少し言いにくそうに口を開く。
「その……リーテアさまから、過去のことをディランに話したと聞いた。それで、俺とライアスにも知っておいてほしいと…」
「ああ、リーテアの許可が出たなら話すよ。噂よりだいぶ真実は胸くそ悪いけどな」
つい苦い顔になりながら、ディランはリーテアの過去の話をライアスとアシュトンに話して聞かせた。
ライアスでさえ不愉快そうに話を聞いており、アシュトンに至っては今から殴り込みに行きそうな勢いで憤慨していた。
「じゃあ、なんだ?その王子は自分からリーテアさまに言い寄ったくせに、拒絶された腹いせに罪をでっちあげ、故郷を追い出したってことか?」
「そういうことだな」
「さらに、それが王子の美談となって噂が広まってると?」
「そういうことだな。あの魔女もその噂を嗅ぎつけたんだろ」
あの魔女、というのは婚約発表の場を引っ掻き回してくれた甲高い声の魔女だ。
最後はリーテアの言葉に胸を打たれたのか大人しく謝っていたが、リーテアを傷付けたことは事実であり、ディランとしては許すつもりはない。
アシュトンは盛大にため息を漏らした。
「……リーテアさまは、なんというか…損する人柄だな」
「お人好しなだけだろう。それでいて無自覚に他人の心を掴んでいるから、たちが悪い」
ライアスが舌打ちをしそうな勢いでそう言いながら、手元は丁寧に動かしている。
さすが側近の鑑、と思いながらディランも手を動かす。
「……まぁ、それがリーテアの魅力だろ。この先同じようなことがあったとしても、彼女に惹かれ、味方になる者は必ずいる。……俺たちのように」
穏やかな微笑みを浮かべるディランを、ライアスとアシュトンは苦笑しながら見ていた。
「お前が言う通り、歴史が変わってるのかもな、アシュトン」
「だろ?ディランが女性に、しかも魔女に対してこんなに優しく笑う姿なんて初めて見たもんな」
「……俺、そんなに気が抜けた顔してるか?」
ディランは自分の顔をペタペタと触る。アシュトンが笑いながらディランの肩を小突いた。
「今までが気を張りすぎてたんだよ。それをリーテアさまがほぐしてくれたんだろ?良いことだな」
「そうか…」
確かにずっと、ディランは常に気を張って、肩に力を入れた状態で過ごしていた自覚がある。
それが抜ける瞬間は、いつもリーテアがそばにいるときだった。
「……なら俺は、どこかのバカな王子に感謝しないとな。そのおかげで俺はリーテアに会えたんだから」
「あー、そういうことになるか…。いやでも、俺はやっぱりそいつを許せない」
「俺も許す気なんてないけどな。リーテアの不名誉な噂も、できるなら消して………よし、こうしよう」
ふっと頭に落ちてきた考えに、ディランはパチンと指を鳴らす。
すぐさま反応して、嫌な顔をしたのはライアスだ。
「待て、嫌な予感しかしない」
「ひどいなライアス、俺はまだ何も言ってないけど」
「お前の唐突な提案を実行して、何事もなく終わった覚えがないからな」
「そうだったか?」
ディランはニヤリと笑う。そういうライアスも、結局はディランの提案を聞き入れてくれるということを、もう知っているからだ。
アシュトンもそれが分かっているからか、「それで?」と先を促してくる。
「婚約披露パーティーに、そのバカな王子も招待しよう」
サラッとディランが口にすれば、二人は同時に目を丸くした。
そのあとでライアスは長く深いため息を吐き、アシュトンは頭を抱えている。
「ディラン、お前…それはリーテアさまに対する嫌がらせだぞ」
「俺も、こればかりはアシュトンの意見に同意する。考え直した方が良い」
ちくちくと軽蔑したような視線を向けられ、ディランは首を傾げた。
「俺は綺麗に着飾ったリーテアを見せびらかして、“お前がちっぽけなプライドで手放したリーテアを、婚約者にできた俺が羨ましいだろ?”って言いたいだけなんだけど」
「………それもそれでどうなんだ?」
「こっちを見るなアシュトン。……はぁ、どうせ俺たちにディランは止められない。止められるとしたら、リーテアさまだけだな」
額に手を当てたライアスは、ちらりと机の上の書類に視線を落とした。
「……署名のない魔女が三名。とりあえずこの三名の調査を行って、各国の要人へ紹介状の送付…城内の衛兵の配置、食材の手配…やることは山積みなんだが」
「そうだな、魔女たちもそのパーティーに参加させることにしよう」
「おい、俺の話を聞いていたか?」
ディランの突然の提案の追加に、ライアスのこめかみがピクピクと動く。眼鏡の奥の瞳が「いい加減にしろ」と言っていた。
「他国も、魔女の力に興味はあるだろ?交流の場を作ることで、他国との縁が生まれる可能性は高い。そうすれば、魔女の利用価値はさらに上がる」
「まぁ、確かに…今オーガスト国は、世界中の魔女を集めて、他国に攻め込もうとでもしているのか…とか穏やかじゃない憶測が飛び交ってるもんな」
アシュトンが真剣な顔付きでそう言った。
もちろん、他国を攻め入るつもりなど毛頭ないのだが、勘違いから起きてしまう戦争もある。
余計な心配は早めに取り払っておきたいのだ。
ライアスはこれでもかと眉を寄せたあと、何度目か分からないため息と共に肩を落とした。
「……分かった。魔女の参加と、どこかのバカ王子を招待客リストに追加、だな。ただ、リーテアさまにちゃんと説明しておいてくれ」
「ああ、それは俺の役割だ。いつもありがとな、ライアス」
ディランはライアスに笑いかけたあと、アシュトンに視線を移した。
「アシュトン、お前の役目は引き続きリーテアの護衛だ。表立った動きがないからといって、油断はするなよ」
「もちろんだ」
今、最も気を付けなければいけないのは、キースの共犯者の存在だ。
あれから不審な動きをする者はいないが、得体のしれない不穏分子が城内に潜んでいるというのは、どうにも気分が悪い。
他国の人物を招く大規模なパーティーで、さすがに大事は起きないと思いたいが、共犯者が何を目的としているのか分からない以上は、常に警戒をするしかないのだ。
(……絶対に、リーテアに手出しはさせない)
愛が欲しいと言った、《愛の魔女》。
そんな《愛の魔女》リーテアに、ディランは愛してみせると言い切った。
それは、ディランの中に少なからず芽生えている気持ちがあるからだ。
「じゃあ、一つずつ計画を練っていこうか」
「「了解」」
ライアスとアシュトンの声が重なる。
ディランにとって、決して裏切らないと信じられる存在の、二人の幼なじみ。
そこにリーテアの存在が加わるのだと思うと、ディランは自然と笑みが零れるのだった。




