48.君が、それを望むなら
心臓の高鳴りが止まらない。
耳まで真っ赤になっている自信があったリーテアは、パッとディランから顔を逸してしまった。
ところが、ディランがそれを許してはくれない。
「リーテア」
くいっと顎を持ち上げられ、半ば無理やり視線を合わせられる。
「俺の言った意味、分かる?」
整った顔の色気にくらりとしながらも、リーテアは喉を鳴らして頷いた。
「ディラン殿下が、私に愛を教えてくれるんですか?」
「……それを、君が望むなら」
この婚約に、恋愛感情は必要ないのだと頭では分かっていた。
ディランはリーテアを《愛の魔女》としか見ていない。だから、好きになれば辛いだけだと。
けれどリーテアは、自分でも気付かないうちに、ディランに惹かれていたのだ。
ディランはリーテアの返事を、じっと見つめて待っている。
そんなに見ないでほしいと思いながらも、リーテアはその綺麗な新緑の瞳から視線を逸らせなかった。
「望んで……います」
正直にそう答えれば、ディランは目を瞬かせる。
「……そんなに素直に言われるとは思わなかった」
「ど、どうしてですか」
「少なくとも俺は、君に良く思われていないと思ってたしな」
「そ、それは…!……すみません、王族だという理由で関わりたくないと思っていました」
「ふはっ、素直だな」
ディランは可笑しそうに笑うと、「でも」と続ける。
「俺も、魔女だからという理由で君を嫌悪していたから…お互い様だな」
「……そうですね」
「じゃあ、ここから仕切り直しだ」
ニヤリと笑みを浮かべ、ディランはリーテアの髪を耳にかけた。そして、そのまま耳元に口を寄せて囁く。
「俺が、君を愛してみせよう」
「………っ!」
背中がぞくりと粟立ち、リーテアは慌てて耳元を押さえる。
くすくすと悪戯に笑うディランは、途中で何かに気付いたように「あ」と声を出す。
「……と言っても、俺も愛は良く分からないんだよな」
「……そう、なんですか?」
少なくとも、リーテアより両親に愛された記憶はあると思うのだが、その両親を嫌っているディランにそれは言えなかった。
んー、と唸るような声を出しているディランに、リーテアは意を決して口を開く。
「で、では、私が殿下を愛してみる、というのはどうでしょう」
ドキドキしながら返事を待っていると、ディランは少し驚いたような顔をして、すぐに笑った。
「なるほど。じゃあ楽しみにしていようかな」
「が、頑張ります」
「ふはっ、《愛の魔女》が誰かを愛することを“頑張る”、か」
それも面白いな、と言ってディランがリーテアの頭をポンと叩く。
「じゃあまずは、敬称と敬語なしから始めないと」
「………え」
「言っておくけど、このあとすぐ他国に婚約の発表とパーティーの招待状を送るから。時間は少ないよ」
にっこりと微笑んだディランが、顔を近付けてくる。リーテアは固まった。
「さ、どうぞ。俺の名前を呼んでみて」
「…………………」
どうしてだろか。ニールやアシュトン、ライアスはすんなりと呼び捨てにできるのに、ディランにはそれができなかった。
王子だから、という理由ではない。
目の前のディランは、明らかにリーテアの反応を面白がっていた。
それが女性の扱いに慣れているように思えてしまい、リーテアの中で不満が芽生える。
(……私ばっかり狼狽えて、ずるい)
負けず嫌いな部分が恥じらいを上回り始め、リーテアはディランの銀髪に触れた。
いつも髪に触られているので、仕返しのつもりだ。
そして、できるだけ余裕そうに見える微笑みを浮かべてみせた。
「―――これからよろしくね、ディラン」
リーテアは、自分を褒めたくなるほどの演技ができたと思った。
得意気に胸を張り、「どうでしたか?」と言い出そうとして躊躇ったのは、ディランの反応が予想外だったからだ。
「………で、殿下?」
今まで見たことのないくらい、ディランが顔を赤くしていた。それが照れているのだと分かると、リーテアは嬉しくてつい口元が緩んでしまう。
ディランは片手で顔を覆い、すいっと逸らす。
「ディランでん…じゃなかった、ディラン、ディラン?」
「〜ああもう、俺が悪かった。悪かったから、その顔はやめてくれ」
「ふふっ」
この先、リーテアの越えるべき壁はまだまだたくさんあるだろう。
《愛の魔女》としてやるべきこともある。
それでも、ディランの隣にいれば大丈夫だと、根拠のない自信がリーテアの胸の中心にあった。
コンコン、と扉を叩く音が聞こえ、ディランが悔しそうな顔で立ち上がる。
「ライアスか?」
「はい。アシュトンもいます」
「分かった。入ってくれ」
扉が開き、疲れた様子のライアスとアシュトンが入って来た。
思えば、魔女たちへの婚約発表のあと、その場を任せてきてしまっていたのだ。
「ご苦労だったな、二人とも。問題無かったろ?」
「……何を問題と捉えるかによりますが…目的は達成しましたよ」
ライアスとアシュトンが、それぞれ書類の束を持ち上げた。
そこには、ディランとリーテアの婚約を承認したと示す、魔女のサインが書かれている。
これはディランの提案で、婚約による暴動を抑制するためと、この国に登録されている魔女全員が、婚約発表の場にいたか確認するためのものだった。
「よし。このあと早速ニールから預かった魔女の一覧と照らし合わせるぞ。今日いなかった魔女がいれば、キースの共犯者かもしれない」
「そうね。もしくはあの場で静観していたか…そもそもの目的が良く分からないけど」
ディランがアシュトンから書類を受け取り、リーテアも手伝おうと手を伸ばした。
ところが、ひょいと書類を持ち上げられる。
「リーテア。君は今日から新しい城内の部屋を拠点とすること。アシュトンに案内させるから、そこでゆっくり休んでほしい」
「どうして?私も手伝いたいわ」
「却下。明日からも…しばらくずっと忙しくなるんだから」
「ずっと忙しいのは、ディランも同じでしょ」
食い下がるリーテアに、ディランは強硬手段に出た。
「アシュトン、リーテアを頼んだ」
「……分かりました。リーテアさま、こちらへ」
アシュトンにニコリと微笑まれ、リーテアは唇を尖らせながらも従った。これ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思ったからだ。
「リーテア、また明日」
「………無理しないでね」
リーテアはそう言ってから部屋を出た。
アシュトンが物凄く何か言いたそうな顔をしている。
「……なに?アシュトン」
「いえ、随分と殿下と親しげになっていたので」
「そうね。覚悟を決めて…話したのよ、私の過去を」
歩き出したリーテアの隣にアシュトンが並ぶ。その横顔を見上げながら、先ほどの婚約発表のことを思い出す。
「……ありがとね、アシュトン。私のことを信じてくれて」
「はは、リーテアさまとずっと一緒に行動していたじゃないですか。信じてもらえないと思われていたなら、それは心外です」
「うん…本当に嬉しかった。私の過去は、ディランから聞いてくれる?」
「……俺が聞いてもいいんですか?」
「そうね。ディランと共に歩むと決めたから、アシュトンとライアスにも隠し事はしたくないの」
リーテアの言葉に、アシュトンが嬉しそうに笑った。
リーテアの新しい部屋は、ディランの部屋のすぐ近くに用意されており、あっという間に扉の前に辿り着く。
荷物はまだ何も運び込んではいない。部屋の中にはすでに入ったことがあるが、普通に生活できるだけのものは揃えらえている。
「では、リーテアさま。部屋を出る際は必ず近くの衛兵に伝え、俺が来るのを待ってください」
「………分かったわ」
「今の間が気になりますが、よろしくお願いしますね」
アシュトンの遠ざかる背中を見送り、リーテアは部屋に入る。
クリーム色の壁に、薄い緑色のカーテン。ほどよく飾られた絵画や花瓶に、主張の強くない家具。
リーテア好みのシンプルで落ち着く色合いの部屋は、きっとディランが用意してくれたのだろう。
鍵を掛け、吸い込まれるように大きなベッドに飛び込んだ。ふかふかの感触に包まれ、リーテアは一気に眠気に誘われる。
(……この国に来て、また王族と関わるなんて思ってもいなかったわ…。それも、婚約者だなんて…でも私は、ディランのこと……)
ディランの微笑む顔を頭に思い描きながら、リーテアはゆっくりと深い眠りに落ちていった。




