47.リーテアの過去③
リーテアが騎士に連れられ、城へと向かう間ずっと、国民の視線がリーテアに突き刺さっていた。
ヒソヒソと何かを囁きあう声が聞こえるが、何を話しているのかまでは聞き取る気力がなかった。
「リーテア。僕が全員ぶっ倒そうか?」
肩の上でロゼがずっと怒気を纏っていた。リーテアは小さく首を横に振る。
あの日、ノルベルトを突き飛ばしてしまったことに対する罪ならば、傷害の容疑となるだろう。
けれどリーテアの容疑は、ノルベルトを脅迫した容疑だという。
それがどのような意味を持つのか、リーテアは玉座の間で突きつけられることとなった。
「……《愛の魔女》よ。君はノルベルトを誘惑し、高価な品を寄越せと言ったらしいな?」
眉を寄せた国王の言葉に、リーテアは一瞬何を言われているのか分からなかった。
ロゼに名前を呼ばれ、ハッと我に返る。
「……ご、誤解です!どうしてそのようなっ…」
「お黙り!あなたを信用した私たちが愚かだったわ!それとも、ノルベルトが嘘をついているとでも言うの!?」
声を荒げる王妃の横で、ノルベルトが感情のない目をして立っていた。
どうやらノルベルトは、全てをリーテアのせいにするつもりのようだ。
「さらには、もうやめてくれと訴えたノルベルトを、突き飛ばしたそうじゃないか!それでも飽き足らず、もっと金品を寄越せと脅迫したんだろう!?」
「全く、魔女というのはとんでもない女のことを指すのね!とても不愉快だわ!」
そのあとも、国王と王妃にでっちあげの罪と暴言を投げつけられ、リーテアは反論することすらできなかった。
ロゼが睨むように二人を見ていたが、突然襲いかかるようなことはしなかった。
最初からずっと床を見て他人事のようにしていたノルベルトが、ふとリーテアに視線を向けた。
「………俺は」
ノルベルトが口を開いたことで、国王と王妃が静かになる。
僅かな希望を抱いてリーテアはノルベルトを見たが、いとも簡単に希望は砕かれた。
「《愛の魔女》に誘惑され、ときに脅迫された。彼女は…魔女は、とてもおぞましい存在だとよく分かった」
「………」
その紺の瞳に、もう熱は帯びていなかった。代わりに揺らめいているのは、紛れもない悪意だ。
玉座の間の無駄に煌びやかな装飾が、ノルベルトの金髪に反射する。
魔女の話をノルベルトとしていた時間を、リーテアは少なくとも楽しいと思っていた。
けれどもう、それは儚い過去の思い出へと変わってしまったのだ。
「さて、君の罪状だが。投獄に値すると私たちは思ったのだが、ノルベルトが情けをかけてくれた。すぐ罪を認め、荷物をまとめてこの国から出ていくなら、投獄はしないことにする」
ノルベルトに感謝するんだな、と吐き捨てるように言われ、リーテアは呆然とするしかなかった。
してもいない罪を認め、生まれ育った国をすぐに出ていけと。それを感謝しろと言われたのだ。
「……リーテア、僕もう我慢できないんだけど」
「―――分かりました」
「リーテア…!」
ロゼの咎める声が耳元で響く。
けれどもうリーテアは、たとえ声を荒げたところで、王族の前では意味がないのだと諦めていた。
投獄され、《愛の魔女》として二度とその力で人々の幸せそうな顔が見られないくらいならば、全てを捨て、新たな土地で静かに暮らしていきたいと…リーテアはそう思ってしまった。
「すぐに荷物をまとめ、今夜にでもこの国を出ていきます。もう二度と…この国には戻らないと、そう誓います」
そう言いながら、リーテアの唇は震えていた。
二度と戻らない―――つまり、二度と祖母の墓前に花を供えることはできない。思い出の詰まった家に、戻ることはできないのだ。
「ふん、よかろう。最後にノルベルトに誠心誠意の謝罪をしてくれ。そうすればこの場から立ち去ることを許すぞ」
国王は鼻を鳴らし、王妃と共にリーテアを睨む。
リーテアはノルベルトを見た。こんな仕打ちをされながらも、不思議と憎いとは思えなかった。
ノルベルトの瞳が、一瞬揺らいだことに気付いたからかもしれない。
「ノルベルト殿下……ご迷惑をお掛けして、あの日…突き飛ばしてしまい、申し訳ございませんでした」
「………」
「私は、この国には戻りません。どうか…お元気で」
リーテアは最後の意地で、ふわりと優しく微笑んで見せた。
それは、その場にいた国王や王妃、衛兵たちが見惚れてしまうほどの綺麗な笑みだった。
ノルベルトは目を見開いてリーテアを見つめたまま、その口を開くことはなかった。
素早く礼をしたリーテアは、躊躇うことなく背中を向け、玉座の間から立ち去った。
「……リーテア…」
「いいのよ、ロゼ。大丈夫…私にはまだ、ロゼがいてくれるから」
徐々に滲んでいく視界に誰も入らないように、リーテアは足早に家へ戻り荷物をまとめ始めた。
ラデュイ国を出たリーテアは、あてもなく歩いて隣国を目指した。
その道中で、嫌でもノルベルトの噂を何度も耳にすることになった。
「なぁ、知ってるか?ラデュイ国のノルベルト殿下は、魔女に魅了されて金品を要求されていたらしいぞ」
「ああ、知ってる知ってる。国民にもその力を使っていいように動かしてたんだろ?」
「怖いよなぁ。美人だったらしいけど、魔女なんて関わるもんじゃねぇな」
「……でも結局、殿下は自分の力でその魅了を打ち破って、魔女を糾弾したんでしょ?」
「そうそう。脅迫されても屈しないで、立ち向かったらしいじゃない?しかもその寛大なお心で、謝罪一つでその魔女を許したらしいわよ」
「はぁ〜、素晴らしい王子さまだな。それで、その魔女は今どこにいるんだ?」
「それがね…」
後ろのテーブルからそんな会話が聞こえ、リーテアは食事の途中で席を立った。
どうやらノルベルトの評判は、リーテアを踏み台にしてどんどん上がっているようだ。
「……やっぱりあの日、城へ行くのを僕が全力で止めるんだった」
悔しそうにそう言ったロゼの頭を撫でながら、リーテアは逃げるようにまた次の国へと歩き出した。
それから国を転々とし、時には《愛の魔女》として力を使った。人々が笑顔になってくれることが、リーテアの生きがいで、心の支えだった。
ラデュイ国の噂が流れてこないくらい遠くまでやってきたリーテアは、港町でオーガスト国に魔女の優遇制度があることを知った。
「……ねぇロゼ、本当かしら?魔女の優遇制度がある国なんて…」
「どっちにしろ、そこを目指してみようよ。このままいろんな国を旅するのもいいけど、リーテアは一旦腰を落ち着けて休んだほうがいいと思う」
「そうね…できれば、ひっそりと《愛の魔女》として生きていければ、私はそれでじゅうぶんだわ」
こうしてリーテアは、海に沈んでいく夕日を眺めながら、オーガスト国を目指すことに決めたのだった。
◆◆◆
残念ながら、リーテアの“ひっそりと生きる”という願いは叶わなかった。
それでも、オーガスト国に来て良かったと、そう思えることが嬉しかった。
「……というわけで、ディラン殿下がどこまで調べていたかは分かりませんが、私の過去は以上で……殿下?」
ディランはいつの間にか、片手で顔を覆って俯いていた。
呆れられてしまったのかと思い、リーテアは胸を痛める。
「あの……私は、本当に浅はかで…殿下が呆れるのも無理はないと…」
「呆れる?リーテアに?……そんなわけないだろ。俺は今、どこぞのバカ王子に殴り込みに行きたい気分なだけだよ」
「え…?」
はぁ、と大きなため息を吐いたディランは、リーテアの隣に席を移した。
ソファが沈み、肩が触れるか触れないかの距離まで近付いて来たディランに、リーテアの心臓がドクンと跳ねる。
「……俺は以前、リーテアの言葉が引っかかって、ライアスに調査を頼んだ。そしてライアスの部下が……ラデュイ国の噂を掴んだ」
「………っ、はい」
「噂の内容から、その魔女がリーテアのことを指すんだと分かったよ。でも俺は、そんなことを君がするようには思えなかった」
新緑の瞳は、リーテアを真っ直ぐに見ている。ディランの手が自然に伸び、リーテアの頭を優しく撫でた。
「それで、ライアスの部下にラデュイ国に行ってもらったんだ。国民に噂の信憑性を訊ねてみると、皆が口を揃えてこう言ったそうだ」
ディランは口元に艷やかな笑みを浮かべて続ける。
「……“リーテアはそんなことをする子じゃない”、“噂に王族が含まれているから、表立って訂正できない”、“あの子は間違いなく、《愛の魔女》だ”。……大丈夫。君のしたことは何も、間違ってないんだ」
リーテアの目から、大粒の涙が一粒零れ落ちた。
声も出せずに涙を流すリーテアは抱き寄せられ、気付けばディランの胸元に顔を押し付ける体勢になっていた。
(……ディラン殿下の心臓の音が、心地良い。どうして私は、殿下に触れられるのは嫌じゃないんだろう…)
トクントクンと規則的な音が、優しい温もりと共に伝わってくる。
無意識にディランの背に手を回したリーテアは、胸に秘めていた密かな願いを口にした。
「……ディラン殿下。小さい頃からずっと、叶えたい願いがあるんです」
「……ん?」
「私は《愛の魔女》で、誰かに愛を与える存在です。だけど……私も、リーテア・リーヴとして、愛がほしいんです」
愛にも、いろんな形がある。恋愛、友愛、家族愛。
その中でリーテアが求めているものは、恋愛の愛だった。
リーテアの髪を撫でるディランの手が止まる。次いで降ってきたのは、とても優しい声音だった。
「―――分かった」
その言葉に思わず顔を上げたリーテアは、間近で見たディランの笑みに捕らえられてしまうのだった。




