4.殿下と護衛
ああ。この人は、あの眼鏡の側近と同じだ。リーテアはそう思った。
その瞳から、纏う空気から、魔女という存在を拒絶していることが分かる。
リーテアはペコリと頭を下げてから、視線を落として黙々と書類を拾い始めた。
目の前にいる王子であるディランの存在を無視するような振る舞いは、不敬罪だと問われるかもしれない。
それでも、自分に敵意を示している相手に、にこにこと愛想を振りまけるほど、リーテアの心は広くなかった。
(それに、ディラン殿下の婚約者候補になりたいわけでもないわ。……あれ?そういえばこの件はどうなったんだっけ?)
「………」
リーテアが考え事をしながら書類を集めていると、驚いたことにディランもその手を動かし始めた。
てっきり怒られるか、この場から立ち去るかだと思っていたので、リーテアは気まずい思いからなかなか顔を上げられない。
「………」
「………」
お互い無言で書類を拾い集めるという、なんとも居心地の悪い状況になってしまった。
どうしてディランは、側近や護衛を連れていないのだろうか。
見えるところにはいないが、こっそり隠れているのかもしれない。でも、あとから現れるのがライアスだったら嫌だな、とリーテアは思わず眉を寄せていた。
(衛兵や使用人が通りかかれば、声を掛けてその人に手伝ってもらえるんだけど―――…)
リーテアはふと視線を上げて、周囲に人がいないか探ろうとした。
けれど、じっとこちらを見る瞳に捉えられ、動きが止まってしまう。
「………………なんでしょう?」
「ふはっ、……おっと、ごめんね」
何故か笑われてしまった。その笑顔は本物に見えたが、ディランのツボがよく分からない。
リーテアは変な顔をしたつもりも、変なことを言った覚えもなかった。
ディランは手元の書類を綺麗に揃え、リーテアに差し出す。
「どうぞ」
「………ありがとう、ございます」
「別に敬語はいらないよ?偉大な魔女さまだし、俺の婚約者候補なんだから」
リーテアは書類を受け取りながら、その言葉の真意を考えた。
婚約者候補の資格はいらないと、本登録のときに言ってしまった嫌がらせなのか、それとも、ただの善意か…。
そこまで考え、善意なわけがないと否定する。ディランの目は笑っていなかったからだ。
「……いえ。私はまだこの国へ来たばかりですし、魔女だから優遇されて当然だという態度は取れません。……魔女の仕事も、まだ無いですし」
最後の言葉は、本当に小さい声で付け足した。
それでも、目の前のディランには聞こえてしまっているだろう。
ディランは何も言わずに立ち上がると、しゃがみ込んだままのリーテアに向かって微笑んだ。
普通の女性なら、くらりとくる眩い微笑みだ。あいにく、リーテアは自分が良く思われていないことが分かったので騙されない。
その嘘くさい笑顔をじっと見つめ返した。
「君に会えて良かったよ、リーテア」
「………そうですか」
「またね」
ひらひらと手を振りながら、ディランは立ち去っていく。
書類を抱えて立ち上がりながら、リーテアはその後ろ姿を眉をひそめて見送った。
(……結局、何だったんだろう。やっぱりどこの国でも、王子というのは面倒くさい生き物なのかもしれないわ)
リーテアはため息ひとつ吐き出すと、雑用を再開するために足を動かした。
◆◆◆
「いやぁ、とっても助かりました、リーテアさま!」
「……どう…いたし…まし、て」
にこやかなニールにお礼を言われ、リーテアは息も絶え絶えに返事をする。
なんと信じられないことに、あのあと書類を他部署へ届ける仕事を、何往復もさせられたのだ。
日頃の運動不足が祟り、すでに足腰が悲鳴を上げている。明日動けるのかとても心配だった。
けれど、それよりもリーテアには気になることがあった。
「ニールさん。……私、もしかしてずっと雑用だったりするの?」
「えっ」
わかりやすく肩を跳ねさせたニールは、ううん、と唸りながら頬を掻く。
「……《愛の魔女》さまが扱える仕事を見つけるというのが、なかなか大変でして…」
「やっぱりそうよね…それは分かるんだけど…ただ雑用をしているだけで、他の魔女と同じ優遇制度が適用されるのは心苦しいのよね」
「リーテアさま…」
ニールが眉を下げた。それから、とても言いづらそうに口を開く。
「……あのですね、ついさっきライアスくんが来たのですが…」
「えっ。あの眼鏡の側近が?」
「我が国で登録をした魔女さまが、ディラン殿下の婚約者候補から外れるという例外は、認められないそうです」
リーテアは唇をぎゅっと結ぶ。本音は嫌だけど、出来ないなら仕方ない。
極力ディランとの接触を避けて、婚約者に選ばれなければいい話だ。さきほどは不運にも遭遇してしまったが、リーテアの印象は良くないはずだと考える。
「……分かったわ。あとは何か言ってた?」
「その…《愛の魔女》に頼む仕事が来ない限り、全身全霊で雑用に挑んでください…だそうです」
「…………そう」
思わずピクピクとこめかみが動いていた。ライアスには全力で嫌われたようだ。
でも、別に構わないとリーテアは思う。いずれライアスに想い人が出来たとき、「お願いしますリーテアさま、仲を取り持ってください!」と言われるような実績を積んでやる、と気合いを入れる。
拳を握って闘志を燃やすリーテアを見て、ニールは何故か笑みを零した。
「……良かったです。登録を解除したいと言われなくて」
「私から解除するつもりはないわ。……この国で、一から頑張っていくと決めたから」
そう言いながら、リーテアの頭の中に過去の嫌な思い出が蘇ってきてしまう。
リーテアはそれを追い払うように頭を振ると、胸元を押さえて深呼吸をした。
(……いけないいけない、早く忘れたいのよ、私は)
「……じゃあ、明日から私は毎日ここへ来ればいいの?」
「本当に…雑用を手伝ってくださるのですか?」
「もちろんよ。よく考えたら、この城の中でも私の魔法を必要としている人がいるかもしれないし…いい機会だわ」
リーテアが笑えば、ニールも嬉しそうに笑い返す。
「では、よろしくお願いしますね、リーテアさま。そうだ、私のことはニールと呼び捨ててください。魔女さまが敬称を付けて呼ぶのは、殿下や陛下だけで大丈夫ですよ」
「……この国では、そういうものなの?」
「そうですね。魔女さまに支えられている国ですから当然です。……あ、それとですね、リーテアさまの護衛騎士が決まりましたよ」
護衛?とリーテアは首を傾げ、すぐに思い当たった。この国の魔女の優遇制度に、仕事中は護衛がつくというものがあるのだ。
雑用の仕事に護衛が必要かどうかは疑問だが、制度だから仕方がないのだろう。
「さきほど呼びつけておきましたので、顔合わせができると思います。護衛としての経験は浅いですが、実力はじゅうぶんで…」
ニールの言葉の途中で、扉がノックされる。「あ、ちょうど来たかもしれないですね」と笑いながら、ニールは入室許可の返事をした。
中へ入ってきたのは、クリーム色の髪を持つ男性だった。前髪はアシンメトリーで左に流れており、朱色の瞳が目を引く。
紺色の制服を着ており、胸元に金色の胸章が光っていた。腰には長剣が下がっている。
纏う雰囲気が随分と洗練されており、リーテアは護衛の経験が浅い人物だとはとても思えなかった。
すると、ニールが驚いたように声を上げる。
「アシュトンくん?どうして…」
「こんにちは、ニールさん。突然の変更で申し訳ないのですが、《愛の魔女》の護衛は俺が務めることになりました」
にこりと笑ったアシュトンが、朱色の瞳をリーテアへ向ける。どこか探るような視線に、背筋がぞわりと粟立った。
説明を求めるようにニールを振り返ると、その口から信じられない言葉が飛び出してくる。
「……リーテアさま。彼は…アシュトンくんは、ディラン殿下の護衛騎士です」
立て続けに起こる“まさか”な状況に、リーテアは自分の運命を心の中で嘆いたのだった。