39.安心できる居場所
「……あれ…リーテアさまだ。……こんにちは」
ガサガサと葉が揺れる音と共に、ひょこりと顔を出したのは、庭師のダリルだった。
無造作に散らばった焦げ茶の髪に、どこか眠そうな薄い水色の瞳。作業着姿が妙に馴染んでいる。
魔女依頼受付室の職員であるが、イルゼやシェリーと比べると顔を合わせる頻度は低い。
リーテアはまだ、ダリルという人物の人柄を掴めないでいる。
「………ダリル」
名前を呼びながら、リーテアは挨拶を返していいものか悩んだ。
なぜならば、今は呑気に挨拶を交わす状況ではないからだ。
「ちょっと、誰アンタ?」
「今取り込み中なんだけど、分からない?」
思った通り、リーテアの前にいた二人の魔女が、鋭い瞳で突然現れたダリルを睨んだ。
リーテアは少し前、魔女二人に呼び止められたかと思えば、人気のない中庭に連れて来られていた。
そしてチクチクと嫌味を言われている最中に、ダリルが声を掛けてきたのだ。
正直、気をそらしてもらえたのはありがたかった。
魔女たちの嫌味の内容が、リーテアの周りの人物にまで及び始めたので、危うく怒りが爆発するところだったからだ。
「仕事の邪魔をしてごめんね。すぐに移動するわ」
「はぁ?ちょっと、話はまだ終わってないんだけど?」
「そうよ!どうやって殿下たちを誑かしたのか、この耳で聞くまで逃さないわよ!」
どうやらリーテアは、ディランとその側近のライアス、そして護衛騎士のアシュトンを誑かしたことになっているらしい。
そうでなければ、こんな短期間でディランに気に入られるなんて有り得ないと言われてしまった。
(……この様子だと、何を言っても無駄よね。アシュトンがいないときを狙って来るくらいだから、もしかしてキースの共犯者かと思ったけど…うん、それはないわね)
目の前の二人の魔女は、ただ単純に、ディランに近いリーテアの存在が気に入らないのだ。
ダリルに見られていても話を続けようとするあたり、ディランにこのことがバレる可能性は考えていないのだろう。
どうしようか、と考えていると、ダリルがじっと二人の魔女を見ていることに気付く。
そして、とんでもないことを言い放った。
「……仕事の邪魔なのは、あなたたち二人だけですけど…」
ピシ、と空気にヒビが入る音が聞こえた気がした。
リーテアはゆっくりと二人の魔女に視線を移す。予想通り、物凄い形相になっていた。
「は……はぁあ!?なんなのアンタ!」
「あたしたちにそんな口利いていいと思ってるの!?」
この魔女たちは、典型的な自分の権力を振りかざすタイプのようだ。
さすがにティーパーティーのときの《植物の魔女》のように、力を使ってきたりはしないと思うのだが、リーテアは下手に騒ぎを起こしたくはなかった。
「待って、落ち着いて。私は逃げたりしないから…」
「……リーテアさま。こんな人たちと、無駄な時間過ごす必要ないです…」
「ダリル、ちょっと口を閉じようかしら??」
思わず語気を強めながらにこりと微笑むと、ダリルは「?」と疑問符を浮かべたような顔をしている。
そのときだった。
「あっれぇ〜?こんなところに危険物があるわ!どうしよう?」
「うわ、ほんとだ。誰か衛兵を…あっ、あれはアシュトン隊長じゃないか?」
生垣を挟んだ向こう側から、男女の声が聞こえてくる。
(この声は……)
二人の魔女はそれを聞き、大きく舌打ちをした。
「……つ、次こそは洗いざらい話してもらうから!」
「そうよ!覚悟しておきなさいっ!」
捨て台詞を吐きながら、魔女たちはそそくさと声とは反対方向へ逃げていく。
その姿が見えなくなると、先ほどダリルが顔を出した場所から、リーテアのよく知る人物が現れた。
「うふふ、見事に騙されてくれましたねぇ〜」
「あとでアシュトン隊長の名前出したこと謝らないとなぁ」
「シェリー…イルゼ!」
リーテアが驚いて目を見張ると、シェリーががばっと勢い良く抱きついてきた。ふわりと甘い香りが鼻を掠める。
「リーテアさまぁ!あたしたちお役に立てましたかぁ?」
「うん、ありがとう二人とも。……ダリルも、ありがとね」
ダリルが照れくさそうに微笑むと、イルゼががしっと肩を組んだ。
「無駄な時間過ごすことないです、って魔女さん相手によく言い切ったよな!すごいぞダリル!」
「……え…あの人たちって魔女さまだったの?」
「へ?……お前、気付いてなかったのかよ!?」
イルゼの驚いた声がうるさかったのか、耳元を押さえながらダリルが頷く。
「だって…俺の中で魔女さまって、リーテアさまみたいな人だから…」
「……私、みたいな?」
「はい。リーテアさまみたいに…特別な力を、誇りだって言えるような人です」
真顔でダリルにそう言われ、リーテアは思わず照れてしまう。
あのティーパーティーの日の言葉を知っているということは、庭師であるダリルは近くにいたのだろうか。
「なんだぁ。ダリルさんって…私とイルゼさんと同じなんですねぇ。リーテアさま大好き同盟、入ります?」
「………うん、入ろうかな」
「ちょっとシェリー、変な同盟作って勧誘するのはやめなさい。……それより、シェリーとイルゼはどうしてここに?たまたまなの?」
リーテアは片手で顔をパタパタと仰ぎながら問い掛けると、イルゼが指を鳴らす。
「そうだったそうだった。ニールさんに言われて、リーテアさんとダリルを探してたんですよ」
「使用人に聞いて回ってたら、リーテアさまが連行されたって聞いて…あたしたち急いで駆け付けて来たんですよぉ」
「ニールが?私とダリルを?」
「なんか、重要な話があるとかなんとか…」
オレたちもよく分かんないんすけどねー、と軽い調子でイルゼが言う。
リーテアには一つだけ思い当たることがあった。ディランとの、婚約の件だ。
ディランの婚約者となれば、立場が変わる。今まで通り雑用はできないと、あの“お忍びデート”の日の帰り道に言われていた。
「とにかく、行きましょ。魔女依頼受付室のみんなが、揃っていて欲しいってことよね」
リーテアを先頭に、イルゼ、シェリー、ダリルが続いて城内へ入る。
魔女依頼受付室へ向かうまでの間、通りすがりの使用人や衛兵たちにちらちらと見られていた。
「……?私、どこか変?それともおかしな噂が広まってたりする?」
思わず振り返って三人に聞けば、一斉に首を横に振る。息がピッタリだ。
「リーテアさまは綺麗ですよぉ!最近はますます綺麗になったと、使用人の間でも評判です!」
嬉しそうに微笑むシェリーの言葉を聞いて、リーテアは恥ずかしさから前を向いた。
あまり自身を着飾ることに興味のなかったリーテアだったが、あのデートの日以来、エイダやブランカに暇さえあれば着せ替え人形のようにされていたのだ。
次のお忍びじゃないデートは完璧に仕上げないと許さないわよ、とエイダに笑顔で言われ、リーテアは毎日化粧やコーディネートの練習をしていた。
(……ディラン殿下の婚約者になったら、恥ずかしくないように着飾るのも必要だわ。今のままの私じゃ、絶対にバカにされるもの)
魔女依頼受付室の扉を開けると、一人ポツンと座っていたニールが顔を輝かせて立ち上がった。
「リーテアさま!……ダリルくんも!良かった、無事に合流できたのですね!」
「お待たせニール。それで…重要な話っていうのは、その…あのことかしら?」
リーテアは言葉を濁しながら訊ねる。
もうディランの婚約者になることは決定事項ではあるが、まだ周知する日取りは決まっていなかった。
ニールはふふっと笑った。
「はい、そうです。リーテアさま、ご自身できちんと決められたんですよね」
「……そうよ。無理やりじゃないから、安心して」
エイダを攻撃した犯人をあぶり出すため、リーテアを囮にする話が持ち上がったとき、断っていいと言ってくれたのはニールだった。
思えば出会ったときから、ニールだけはリーテアに最初から友好的に接してくれていた。
たとえその理由が、魔女という存在に興味があるからだけだとしても、あの頃のリーテアにはとても嬉しかったのだ。
そしてそんなニールが室長である、この魔女依頼受付室は、リーテアにとって安心できる居場所になっていた。
ニールは表情を和らげながら、何の話か分からず首を傾げている三人の職員を順に見る。
「今から私が口にすることは、正式に発表されるまでは他言無用の極秘事項です。……分かったね?特に、シェリー」
「……わ、分かったわよぉ」
名指しで指摘されたシェリーは、心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。
ニールはリーテアを見て軽く頷いてから、ゆっくりと口を開く。
「―――リーテアさまが、ディラン殿下の婚約者に選ばれました」
一瞬の沈黙。そのあとすぐ、シェリーが奇声に近い歓声を上げた。
「ひぃやあぁぁぁ!!本当ですかリーテアさま!?お、おめでとうございますぅぅぅ!!
!」
「……あ、ありがとう?」
笑顔のシェリーに両手をぎゅうっと握りしめられ、リーテアは戸惑いながらも笑い返す。
イルゼは驚きからかポカンと口を開け、ダリルは真顔で拍手を繰り返していた。
「いいかい、何度も言うけど、他言無用だからね。そして殿下の婚約者になるということは、もうここでは働けないということになる」
「………えっ、マジですか」
そう言って、イルゼが髪をぐしゃりと撫でた。シェリーは潤んだ瞳でリーテアを見上げ、「そんなぁ…」と嘆いている。
リーテアはしょんぼりと肩を落とすダリルと、眉を下げて困ったように笑うニールに順に目を向けた。
(………うん。決めたわ)
「リーテアさまがこの部屋からいなくなってしまうのは、とても寂しいけど…城内で全く会えないわけじゃないから。なんとか新たに職員を勧誘して…」
「ニール」
名前を呼ばれたニールが、反射的に「はい?」と返事をする。
リーテアは得意気に笑い、ピッと人差し指を立てた。
「私が、ここの室長になるのはどう?」
リーテアの提案に、ニール、イルゼ、シェリー、ダリルの四人は、揃って「え?」と首を傾げていた。




