36.お忍びデート①
小鳥の囀りが響く。
ボサボサの頭で扉を開けたリーテアは、降り注ぐ太陽の日差しが眩しく、一度瞼を閉じた。
再度ゆっくりと目を開けると、玄関口に立っていた人物が目に入り、眠気が吹き飛ぶ。
「おはよう、リーテア」
「―――っ、ディラン殿下!?」
早朝から爽やかな笑みを浮かべ、ディランが家を訪れてきている。
少し離れたところにアシュトンがいたが、何故か顔を背けていた。その理由は、すぐにディランに指摘され分かることになる。
「君は、いつもその格好で寝てるのかな?少し無防備すぎない?」
「………あ、」
リーテアの寝間着は、着古してくたくたになったワンピースだ。
元は上質な生地で出来ているので寝心地が良く、なかなか手放せないでいる。
丈は短く脚が出ていて、胸元は生地が伸びて開いているため、とても人前に出る格好ではない。
ところがリーテアは、早朝の急な訪問に、自身の服装まで気が回らなかった。寝癖もひどいものだ。
「じ、じろじろ見ないでくださいっ!すぐに着替えて準備しますのでっ!」
「中で待たせてもらっても?」
「ど、どうぞ!」
昨日のうちに掃除をしておいてよかったと、リーテアは心底思った。
ディランは家に入るなり、きょろきょろと部屋の中を見渡している。そのあとから遠慮がちにアシュトンが入って来た。
「……おはようございます、リーテアさま」
「おはようアシュトン。ごめんね、ちょっと待ってて」
リーテアはバタバタと寝室に戻り、慌てて着替え始めた。すぐに戻ろうとして、ハッと気付き髪をとかす。
そのとき、小さなベッドの上に寝ていたロゼが起き上がった。
「……ん〜…、なに、リーテア…朝からドタバタと…」
「起こしちゃってごめんねロゼ、殿下が来たのよ」
「………は?こんな早朝に?」
寝起きのロゼは、とても機嫌が悪い。ディランの訪問を知り、さらに声が低くなった。
「なにそれ、一言文句言ってやる」
「ちょっ、ロゼ…!」
ロゼの体が一瞬光る。魔女以外にも姿が見えるようにしたのだ。
リーテアが止める間もなく、ロゼはするりと扉を抜けて行ってしまった。
リーテアはクローゼットから適当に鞄を選び、必要な物を詰め込んでから寝室を出る。
「……それで?こんな朝っぱらから何?」
「リーテアの使い魔か。久しぶりだな」
「呑気に挨拶してる場合じゃないんだけど?」
ディランに対し、ロゼが敵対心剥き出しで話し掛けている。リーテアは慌てて駆け寄った。
「もう、ロゼ!今日は殿下と出掛けるって話したでしょ!……こんな早朝からとは思わなかったけど…」
そう。今日は、“魔女と護衛騎士の宝探しレース”の褒賞である、ディランと一日過ごす権利を使用する日なのだ。
事前に出掛けるとだけ聞いていたが、早朝だとは聞いていなかった。
「早朝に突然女性の部屋を訪ねるなんて、王子としてどうなの?ねぇリーテア?」
「えっ…」
ロゼに突然話を振られ、リーテアは返答に困る。ここで同調すれば、確実に不敬だ。
眉を下げてディランを見ると、あろうことか本人は笑っている。
「ふはっ、リーテアにはずいぶんと可愛い騎士がいるんだな」
「可愛い…?……………ケンカ売ってる?」
「殿下、ロゼをいじめないでください!自分が子猫なことを気にしてるんです!」
「……リーテアはどっちの味方なわけ」
「えっ!?」
ロゼに睨まれ、慌てるリーテアの様子を見ながら、まだディランは笑っている。
「時間が早すぎた自覚はあるし、ライアスにも口うるさく言われた。ただ、俺としては今日を有意義に過ごしたくてね」
「どこか…遠出の予定ですか?」
訊ねながら、リーテアは改めてディランの服装を見た。
いつもの豪華な装飾の服ではなく、とてもシンプルな服装だった。
フード付きの外套を羽織っているので、身分を隠して平民として出掛けるつもりなのだろう。
リーテアへの服装の指定も、平民に溶け込む服装、というものだった。
「いや、今日は君に、このオーガスト国の魅力を存分に伝えようと思って」
「オーガスト国の…?」
「そう。名付けて、“リーテアにオーガスト国の魅力をお届け!王子の案内付きツアー”」
「待って、何そのダサ…」
「そ、それはとっても楽しみです!!」
ロゼの口元を押さえ抱きかかえると、リーテアは笑顔で何度も頷く。
ネーミングセンスはさておき、オーガスト国を王子視点で案内してくれるのは、とても興味をそそられた。
「昨日、いろいろと計画を練ってたんだけど、早くから動かないと時間が足りないと思って。というわけで、さっそく出掛けようか」
ディランはリーテアのお気に入りのソファから立ち上がると、玄関扉の前に立っていたアシュトンをちらりと見遣る。
「アシュトン。お前はここで留守番でもいいけど?褒賞の一日休暇、今使うか?」
「はは、ご冗談を。護衛対象がお二人とも外出するのに、呑気に休めると思いますか?」
「出たな必殺爽やか笑顔」
「何ですかそれは」
二人のやり取りに、リーテアはくすりと笑う。
ディランと会うのは約十日ぶりで、少し緊張していたが、アシュトンがいれば大丈夫だろうとそう思った。
すると、腕の中のロゼが唐突に口を開く。
「―――アシュトン、リーテアを頼んだからね」
その言葉に、リーテアは目を瞬いた。ロゼがアシュトンにそこまで信頼を置いているとは思わなかったのだ。
頼まれた本人であるアシュトンも、目を丸くしている。
「そ、れは…もちろんですが…」
「僕はリーテアがいない間に、城内でもう一人の犯人を探す役目があるから。いい?頼んだからね。それからリーテア、」
「え?」
「今度こそ、何かあったらすぐ呼んでよ」
琥珀色の瞳が訴えていることが、リーテアにはすぐに分かった。
キースに襲われかけたときに、すぐに呼び出さなかったことをロゼはまだ怒っているのだ。
「……うん、分かった」
「困ったな、俺は信用が無いらしい。何事も起こらず、無事に帰ってきたら信用してもらえるのかな?」
ディランがそう言いながら外へ出ると、リーテアに向かって手を伸ばす。
リーテアは躊躇いがちにその手を取ってから、腕の中のロゼを見た。
ロゼは軽い身のこなしで床に降りると、長い尻尾を揺らす。
「……さぁ。頑張ってみたら?」
「なら、頑張ってみよう。行こうか、リーテア」
「はい。……ロゼ、行ってきます」
「うん。気を付けて」
ロゼに見送られて外に出れば、先ほどは気付かなかったが遠くに馬車が見えた。お忍び用の馬車なのか、とても年季が入った普通の馬車だ。
「リーテア、まずは植物園に向かうつもりだけど、中に入ったことは?」
ディランのエスコートを受けながら、リーテアは馬車に乗り込む。
向かいにディランが座り、その隣にアシュトンが座った。お忍びの為か、アシュトンも同じ馬車に乗るようだ。
「中には…ないです。その近くの雰囲気のある公園で、《愛の魔女》の魔法を使ったことはありますが」
「ああ、あそこか。植物園のあとに寄ってみようか。君の力が必要な人がいるかもしれない」
窓の外を見ながら、なんてことのないようにディランが言った言葉に、リーテアは「え」と声が漏れた。
「……殿下と一緒にいるときに、魔法を使ってもいいんですか?」
「構わないよ。デートなんだから、お互い思いやって行動しないと」
「……………デート?」
窓枠に腕をかけ、頬杖をつきながらディランがにこりと笑う。
窓から差し込む太陽の光を纏い、ディラン自身が輝いているようだった。
「“リーテアにオーガスト国の魅力をお届け!王子の案内付きツアー”、またの名を“お忍びデート”」
「………」
リーテアは言葉を失い、ディランの隣にいるアシュトンを見た。
その顔はおそろしく真面目な顔をしているが、肩が震えているため、おそらく笑いを堪えている。
(……“ツアー”と“デート”は、絶対イコールじゃないわよね)
そう思いながらも、リーテアは諦めに似たため息を漏らす。きっと何を言ったところで、ディランにとって今日はデートのつもりなのだ。
そして、力を使っていいと言われれば、リーテアが拒否できないことも分かっているに違いない。
「……ディラン殿下」
「ん?」
「仮に、デートだとしましょう。それでも私たちの関係はまだ、一国の王子と魔女です」
「……つまり?」
「つまり…過度なスキンシップはダメです!どこで誰に正体がバレるか分かりませんので!」
胸の前で両手を大きく交差させれば、ディランは目を瞬いてからフッと口元を緩ませた。
「分かった」
「………」
未だかつて、こんなに信用できない“分かった”を聞いたことがあっただろうか―――そう思いながら、リーテアは窓の外を遠い目で見つめたのだった。




