35.三人の魔女
「ねぇちょっと、それじゃ見づらいでしょう。こっちの方が効率が良いわ」
「そう?こう並べて、分かりやすく印でも付ければ…」
「……それだと、逆にこっちがややこしくなるかも…」
三人の魔女が、身を寄せ合って何かを言い合っている。
その光景を見たリーテアは、一度部屋を出て扉の看板を確認してしまった。
そこには確かに、“魔女依頼受付室”と書かれている。
再度部屋に入ったリーテアは、奥の机から大きく手を振っている人物に気付いた。室長のニールだ。
紺の長髪を振り乱し、その顔は笑顔だったが、とても疲れた笑顔に見える。
「ええと……みんな、何してるの?」
とりあえず魔女三人に声を掛ければ、それぞれが一斉にリーテアを振り返った。
「あなた、ずいぶんと来るのが遅くない?」
「ねぇリーテア、本当にここって人がいないわね」
「……リーテアさま、おはよう」
《風の魔女》エイダ、《雪の魔女》ブランカ、《虚偽の魔女》レジーナが、それぞれ話し掛けて来る。
リーテアの質問に対しての答えはなかった。
「エイダ、今日は理由があって少し遅くなったの。ブランカ、その通り人手不足よ。レジーナ、おはよう。……それでもう一度訊くけど、何してるの?」
腰に手を当てて再度問い掛ければ、三人は顔を見合わせる。それから代表したようにエイダが口を開いた。
「私たちは、あなたに会いに来たのよ。確実に会えるのはここだと思ったから。それであなたが来るまで、このひどい書類棚を整えていたの」
ひどい書類棚というのは、この部屋で一番大きく、魔女が仕事を行った際の記録や報告書がまとめて保管されている書類棚だ。
整理整頓はされておらず、見るからにごちゃごちゃとしているのだが、そこに手を付ける余裕は今までなかった。
「……手伝ってくれてたの?」
リーテアは驚いて、思わずそう言葉が零れる。
いつも魔女は皆、この部屋に来ても依頼の受付と報告だけしてさっさと立ち去って行くのだ。
「職員の人、あと三人しかいない上に兼任なんでしょ?それでリーテアが雑用を押し付けられてるの?」
「私は、自分から仕事が欲しいってお願いしたから…押し付けられたわけじゃないわ」
「ふぅん…リーテアらしいわね」
「……さすがリーテアさま…」
半ば呆れたような目をしたブランカと、やたらと尊敬するような眼差しのレジーナが揃ってリーテアを見る。
そこでリーテアは、先ほどのエイダの話に触れることにした。
「それで、私に話って…?」
「そんなの、この間の話に決まっているでしょう」
「この間…キースの、話?」
リーテアはブランカの様子を伺うようにそう口にした。
あの日から二日が経っているが、さすがに気持ちを切り替えるにしては少なすぎる時間だ。
けれど、ブランカは真剣な顔でリーテアに頭を下げる。
「……本当に、私の護衛が迷惑をかけたわ。エイダも、私が作ったもので傷を負わせてごめんなさい」
「ブランカ…」
「私はさっきも謝られたけど、あなたのせいじゃないし、もう謝る必要はないわよ?」
エイダが腕を組んで髪を掻き上げる。あなたもそう思うでしょ?と言うような視線を向けられ、リーテアは苦笑した。
「エイダの言う通りよ。……というか、原因は聞いたでしょ?元はと言えば、私のせいなの」
リーテアの護衛を外されたキースはアシュトンを恨み、ティーパーティーのときの言動でリーテアに憧れを抱いた。
それを拗らせた結果が、今回の騒動を招いたのだ。
「エイダのケガも、完全に私のとばっちりだし…」
「それについては、未だに隠れている共犯者のせいよね。見つけたら、容赦なく攻撃してあげようと思っているわ」
「うん、私も。理由はどうあれ、キースのしたことは許されないけど、それでも…私だけは、キースの味方でいたいと思うから。だから、早く共犯者を見つけたい」
力強い眼差しでそう言ったブランカを、リーテアは凄いなと素直に思った。
微笑みながら見つめていると、橙の瞳が不意にリーテアを捉える。
「私、キースがリーテアに傾倒する気持ち、分かるのよね」
「……えっ?」
「ティーパーティーのときの言葉、忘れられないもの。人の心を揺さぶる言葉を言える人は、人の心を掴むこともできる人だわ」
「そんな、私は…」
「だってほら、ここにもあなたに心を掴まれた人、いるでしょ?」
ブランカが手のひらで示した先にいたのは、レジーナだ。琥珀色の瞳をキラキラと輝かせている。
「……すごい、ブランカさん。やっぱりリーテアさまは特別だって、ブランカさんも思うんだ」
「レ、レジーナ?私は特別じゃ…」
「エイダさんは?エイダさんもそう思うよね?」
どうしてかリーテアに懐いてしまったレジーナは、眩しい純粋な笑顔をエイダに向けている。
エイダはそんなレジーナをまじまじと見ていた。
「……あなたってそんな風に笑えるのね。その笑顔を引き出したリーテアは、確かに人を惹きつける、特別な魅力があるのかもしれないわね」
「もう、エイダまでっ…」
「だって、ディラン殿下も―――あなたに惹かれているんでしょう?」
反論の言葉は、リーテアの口からそれ以上出なかった。エイダの鋭い視線に睨まれたような気がして、体が固まる。
(……あれ、もしかしてこれが本題?みんな、私とディラン殿下の関係を探りに…?)
だらだらと冷や汗を流すリーテアを見つめていたエイダが、とたんに笑い出した。
「……ふふっ、本当に顔に出るわね、あなた。別に、ふざけるな!って怒ってるわけじゃないんだから」
「………っ」
「むしろ、その逆よ。私は、殿下の婚約者にはあなたが相応しいと思ってるの」
予想もしていなかった言葉に、リーテアは目を見張る。ブランカがピシッと手を挙げた。
「はい!私もそう思うわ。リーテアが指輪を見つけたときの殿下の顔、見た?」
「か…顔??」
「驚いた顔をしてから、すごく嬉しそうに笑ってたのよ!あんな顔を見せられたら、“ああ、リーテアには敵わないな”って思っちゃうじゃない?」
茶目っ気たっぷりに笑うと、ブランカがリーテアの背中を優しく叩く。
「だからリーテア、安心して。少なくとも、私たちはあなたの味方だから。……レジーナもかな?」
「……わたしは、殿下のこと信頼はできないけど…リーテアさまは信頼できる。リーテアさまが殿下の婚約者になることを望むなら、全力で応援する」
これは、何なのだろう。リーテアはそう思ったが、確実なのは、三人の魔女がリーテアを認め、味方をしてくれるということだ。
「私……あれ、どうしよう。すごく嬉しいわ」
言いながら、リーテアの瞳から自然と涙が零れ落ちていた。
人前で泣くなんて、と慌てて目元をごしごしと擦ると、エイダに腕を掴まれる。
「もう、あなたはもう少し美容に気を遣いなさい。……そうだわ、褒賞で殿下と過ごす日が決まったら教えてちょうだい。私が磨いてあげるわ」
「それいいわね!私はリーテアの髪をいじりたい!」
「……わたしも、リーテアさまのもっと綺麗な姿が見たい」
どういう風に着飾ろうかとはしゃぐ三人を見て、リーテアは涙が引っ込んだ。
背後に気配がして振り向けば、ニールが嬉しそうに笑っている。
「良かったですねリーテアさま。素敵な味方が増えましたね」
「……そうね。私には勿体ないくらいだわ」
この国に来た当初は、考えられなかった光景だった。
《愛の魔女》としての力をバカにされ、厭われ、避けられてきたリーテアは、他の魔女と笑い合えるこの時間が、とても貴重な宝物に思える。
魔女全員に認められたわけではない。それでも、今のリーテアには十分だった。
(私は《愛の魔女》。私の魔法で人々を幸せにするために…本気で考えないとダメだわ。ディラン殿下の、婚約者になったときの在り方を)
味方でいると言いに来てくれた、優しくも強い三人の魔女たちを見ながら、リーテアはゆっくりと決意を固めていった。




