24.次の手
《風の魔女》エイダが仕事中に負傷した事件から、早くも五日が過ぎた。
現場には何の手掛かりも残っておらず、真相は不明のままだった。
片手で頬杖をつき、もう片手で調書を睨みつけるように見ていたディランは、大きくため息を吐き出す。
「……お手上げだな」
バサリと調書を執務机の上に投げ、天井を仰ぐ。すると、その様子を見ていたライアスが眉を寄せた。
「弱音ですか。珍しいですね」
「弱音じゃない。……ただ、現状で打てる手が何も無いのは事実だろ」
エイダの肩の傷の様子から、先の尖った鋭利なもので傷付けられたことは分かったが、それだけだった。
大時計付近や、その周辺の広い範囲も人員を割いてくまなく探したが、凶器となり得たものは見つかっていない。
そして、エイダ自身も、そばにいたリーテアも、傷付けたものが何だったのか見てはいないのだ。
「……《風の魔女》を狙って起きた事件なのか、それとも偶然に起きた事故なのか。事件だとしたら、誰が何のために…と、考えることは山ほどありますね」
「そうだな…力を入れたいのは別の案件なのにな」
ハッと自嘲気味に笑ったディランは、最後に見たリーテアの顔を思い出す。
本人はしきりに大丈夫だと繰り返していたが、相当な高さから落下したのだ。外傷は無くても、心まで無事かは分からない。
(……俺にはきっと、本音を話してくれないだろうな)
日中の護衛でずっとそばにいるアシュトンには、少しでも弱音を吐き出しているんだろうか。そう考えた途端、ディランは顔をしかめる。
「……殿下?どうされました?」
「いや…、リーテアにはいつ会える?」
「まだ無理ですね。予定がいっぱいです」
「そこを何とかするのが、お前の仕事だろ?」
「無理です。要件があるなら、俺から伝えておきますが」
ライアスにバッサリと切り捨てられ、ディランは渋々と執務仕事に戻った。
リーテアがこの国へ来て、止まっていた時間が少しずつ動き始めたと思っていた。
けれど、今回の《風の魔女》の一件は、それが原因で起きたことだと、ディランは考えている。
(事故じゃなく、事件だ。そして《風の魔女》を狙ったのは、同じ魔女のはず)
トントンと指で机を叩きながら、考えを整理する。
エイダは魔女の中でも、仕事をこなす件数が格段に多い。性格が性格なだけに、他の魔女との衝突も多い方だ。
もし、エイダに恨みを持つ魔女が、婚約者候補から叩き落とそうと考えたのだとしたら。
(……でも、命を狙うほどの恨みとは何だ?それに、上空にいた彼女を狙うとなると、犯人もそれなりに高い位置にいないと無理だ)
「……今回の件ですが」
不意にライアスがそう切り出し、ディランは顔を上げる。紫の瞳がじっと向けられていた。
「周辺の捜索に関わった者たちには口止めをしていますが、そう効果はないでしょう。噂が変に広まれば、魔女たちがそれぞれに動き出すかもしれません」
「………」
「間違いなく、《愛の魔女》も巻き込まれますよ。……あまり悠長には、構えていられません」
リーテアに出した最初の課題は、他の魔女に存在を認めさせることだ。
それはリーテア自身のためでもあり、リーテアを婚約者に決めたディランのためでもある。
その課題は難航していると聞いていたが、《風の魔女》エイダとの関係は、実際目の当たりにしたところ、良好であると思った。
アシュトンによれば、魔女付きの護衛騎士からの反応も良いらしい。
(でも…まだまだ足りない。見えないところで火種が燻ったままでは、やがてこの国の損失に繋がる)
「また、ティーパーティーでも開いてみようか?」
「やめてください。地獄が見えます」
心底嫌そうにライアスが顔を歪め、ディランは噴き出した。
穏やかに終わる光景が思い描けないあたり、前回のティーパーティーの印象が強烈なのだ。
けれど、リーテアを多くの魔女に認めさせるには、パーティーのような盛大な場を設けるやり方の方が合っている気がする。
「……ライアス」
「……何ですか?嫌な予感しかしませんが」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔が言っています」
「ふはっ、失礼だな」
笑いながら、ディランはさすが幼なじみだな、と感心していた。
「楽しそうな案を考えた。これなら、《風の魔女》を狙った犯人も炙り出せるかもしれない」
「……それは……」
何かを言いかけたライアスは、一度口をつぐむ。そして、再びゆっくりと言葉を続けた。
「………それは、魔女たちの存在を囮にして、という意味ですね?」
ディランは満足そうに笑みを浮かべる。
非道と言われようが、どうでも良かった。
ディランが目指すのは、オーガスト国の発展であり、魔女に支配されることではない。
魔女という不思議な存在に求める役割は、主役ではなく脇役なのだ。
(……陛下は、魔女という存在を信じすぎた。その結果が、これだ)
自分でも分かるほどの冷ややかな笑みに、ライアスが悲しそうな顔をしたのが分かった。
「そんな顔をするなよ、ライアス。囮にはなってもらうが、傷付けようとは思ってない」
「……《愛の魔女》も、囮ですか?」
その問いに、ディランは一瞬動きが止まる。
けれどすぐに、肯定するように微笑んだ。
リーテアを婚約者に望んでいるし、《愛の魔女》としての協力が必要だ。
ただ、信頼しきれているわけじゃない。リーテアが、王子という存在を良く思っていないことを知っている。
「国のためになら、俺は婚約者でも迷わず使うよ。もちろん、お前とアシュトンもな」
「分かっています。……ただ…」
「ただ?」
「……俺は、あなたにも傷付いてほしくはないんですよ、殿下」
思ってもいなかったライアスの言葉に、ディランは目を瞬かせた。
(……俺は今、傷付いた顔をしていたんだろうか。だとしたら…何に対して?)
答えを出そうと逡巡しているうちに、ライアスが「すみません」と言ってため息を吐いた。
「余計なお世話でした。その“楽しそうな案”とやらを、お聞かせ願えますか」
「……お前の言葉を余計なお世話と思ったことは、一度もないけどな」
「ありがとうございます。……それなら、もう少し俺の言うことを聞いてくれてもいいんですけどね」
「聞くかどうかは、内容による」
「ですよね」
「もちろん」
ディランとライアスは顔を見合わせ、お互いにニヤリと笑う。
そのとき、扉がノックされた。叩き方からすぐにアシュトンだと分かったディランは、中へ入るように促す。
「失礼します……って、何二人してニヤついてるんですか」
部屋へ入るなり、アシュトンは怪訝そうな顔をして立ち止まった。
ディランは「気にしないでくれ」と笑いながら両腕を組む。
「問題はなさそうか?」
「……今のところは。リーテアさまもいつも通りです」
「良かった。……アシュトン、先に言っておく。お前にも迷惑を掛ける行事を思いついた」
「ああ…構いません。で、どんな行事なんだ?」
少し楽しそうに訊いてくるアシュトンを、ライアスがじろりと睨む。その顔には「敬語を使え」と書いてあるようだった。
ディランは特に気にもせず、つい先ほど思いついた内容を話した。
真剣に聞いていたライアスとアシュトンは、ディランが話し終えると肩の力を抜く。
「なるほど。いいんじゃないか?」
「そうだな。……お前は別にいいとして、他の護衛騎士たちが万一のとき、ちゃんと動いてくれるかが問題だがな」
「俺は、大丈夫だと思う。護衛騎士の意識はいいように変わっていると、そう信じたい」
二人はディランに視線を向けると、揃って頷いた。協力してくれるという合図だ。
「よし。合間を縫って案を詰めよう。それから陛下に報告だ」
きっと報告したところで、首を縦に振るだけだろう。魔女に関することは、ディランに一任されている。
それでも毎回報告するのは、義務にみせかけた嫌がらせのようなものだった。
あなたのせいで、魔女の存在が嫌いになった。
あなたのせいで、魔女を婚約者に選ばなければならない。
言葉にせずとも、表情や視線で、ディランは毎回国王に訴えている。
(……俺の気持ちに、気付いてるわけがないけどな)
実の親より、ディランの気持ちを分かってくれるのはライアスとアシュトンだ。
幼なじみの二人がいるから、ディランは自分を見失わないでいられる。
そしてそこへ、いずれ《愛の魔女》であるリーテアが加わるのだ。
例えそれが、愛のない婚約者だとしても。
(―――まだまだ、動き出したばかりだ)
ディランは深呼吸を繰り返すと、窓の外に目を向ける。
いつもより速く流れていく雲を、しばらく眺めていた。




