19.オーガスト国
ディランの部屋に入ると、すぐにライアスの小言が飛んだ。
「まったく、どうして大人しく部屋で待っていられないんですか?殿下自ら魔女を出迎えるなんて、衛兵に勘ぐられますよ?」
「いいだろ、いずれ公表する事実なんだし。それにあいつらは信頼できる」
「信頼できるとか、そういう問題では…」
「まぁまぁライアス、殿下の気まぐれな行動はいつものことだろ?」
「……アシュトン。一番近くにいたお前が止めなくてどうする?」
「ははは」
アシュトンの下手くそな誤魔化し笑いを聞きながら、リーテアは肩の力を抜いていた。
この三人のやり取りは、どこか気が抜けてしまう。
ライアスが眉をつり上げ、標的をアシュトンに変えたところで、ディランが静かにリーテアのそばへやって来た。
「やあ、しばらくぶり」
「……そうですか?」
「ふはっ、未来の婚約者さまは素っ気ないな」
くすくすと上品に笑うディランは、おもむろに手を伸ばした。
その手がリーテアの赤髪をさらりと掬ったので、リーテアはぎょっと目を見開いて飛び退く。
ディランは目を瞬いた。
「おっと、すごい動きだったけど大丈夫?どこか痛めてない?」
「……お気遣いありがとうございます。でも殿下、むやみやたらに触れないでくださいっ!」
「どうして?君を口説くのは、言葉だけじゃ足りないだろ?」
「く、くどっ…、」
リーテアは顔が熱くなるのを感じた。この王子は、ストレートに言葉を投げつけてくるので、とても反応に困るのだ。
(落ち着いて、私。殿下に恋はしないと決めたばかりでしょ)
深呼吸をしてから、睨むようにディランを見る。けれど、ディランは楽しそうに唇の端を持ち上げていた。
その表情がとても余裕そうに見え、リーテアは悔しく感じる。
「……と、とにかく。私はここに戯れに来たわけじゃありません。この国を学びに来たんです」
「つれないなぁ。ま、腹を括ってくれただけありがたいよ」
ディランの微笑みは、もはや凶器のようだった。
以前リーテアが感じていた嫌悪感が無い笑顔というだけで、その破壊力が何倍にもなっている。
「早く…早く始めましょう!ライアス、アシュトン!子どものケンカはあとにして!」
ぐちぐちと嫌味を言い合っていた二人は、リーテアの言葉でピタリと口をつぐんだ。
そして同じ勢いでリーテアに視線を向ける。
「子どもの、ケンカ…」
「失礼ですが、あなたは俺たちとそう変わらない歳に見えますけど?」
アシュトンはショックを受けたような顔をして、ライアスはムッと唇を曲げて眉を寄せている。
ディランが肩を揺らしながら、面白そうにリーテアを見ていた。
「そうだな、同じくらいに見える。実は魔女は何百年も生きる、とかあったりする?」
「……ありませんよ。魔女だって人と同じで、寿命はあります。歳も同じくらいだと思いますが、“子どものケンカ”と言ったのは精神年齢の話です」
「ふはっ、精神年齢か。ちなみにリーテア、君は何歳なんだ?」
探るような瞳は、単純に好奇心からだろう。
リーテアは「女性に年齢を訊ねるのはいかがなものですか」と思わず口にしそうになったが、答えるまで追求されそうだと思い直した。
「……二十五です」
「お、俺と同じか。ライアスとアシュトンの二つ上だな」
ディランの視線を受けたライアスとアシュトンは、少し納得のいかない顔をしていた。
二人とも、リーテアが自分より年下だと思っていたのだろうか。
リーテアは大きく胸を張る。
「さぁ、年齢なんてどうでもいいでしょ!早く始めましょう」
「……なんだろうな、リーテアさまは行動が突飛だから、自分より幼く見えていたが…」
「そうだな。殿下と同い年なら、もう少し落ち着きというものがあってもいいと思うので、よろしくお願いします」
「ちょっと!私の悪口のときだけ結束するのはやめて!」
もう!と憤慨するリーテアの隣で、ディランは楽しそうに笑っていた。
それからすぐ、リーテアのオーガスト国の勉強が始まった。
あんな手紙を渡されたので、てっきりディランが教えてくれるのかと思えば違うらしい。
リーテアとディランが横並びに座り、向かい合うように座っている教師役はライアスだ。
ライアスは眼鏡の奥の瞳を鋭く細めながら、リーテアに問い掛ける。
「では、まず基本から。このオーガスト国の強みは何ですか?」
「……まず、魔女の優遇制度。その制度を求めて各地から魔女が集まり、国に登録することで、この国は魔女の力を借りて発展ができること」
「他には?」
「観光地が多いことかしら。城下街の大きな噴水広場、水の透き通った綺麗な湖畔、丁寧に管理された植物園…他国の人の出入りが多いから、その分交流も深まるわね」
リーテアの答えに、ライアスは意外そうに目を丸くしていた。
的はずれな回答だったかな、とリーテアは首を傾げる。
「他国から来た私から見たら、とても魅力的に見える国だと思うけど…」
「そう言ってもらえると、嬉しいものだな。お前も同じ気持ちだろ?ライアス」
「……俺は、彼女がこの国の全体を見ていたことに驚いただけです」
ライアスは、魔女であるリーテアの口から出た言葉に驚いているのだろう。
優遇制度……特にディランの婚約者になることを求めてこの国に来た魔女ならば、おそらく国自体にはそこまで関心がないはずだ。
「私は、《愛の魔女》として私の魔法を必要としてくれる人を探していただけよ。それで国中を歩いているうちに、素敵な場所がたくさんあるなぁって思って」
「……その素敵な場所で、人々は幸せそうにしてた?」
隣に座るディランにそう問われ、リーテアはその新緑の瞳を見つめ返す。
それは純粋に、一国の王子としての問いなのだとすぐに分かった。
「ええ、とても。そしてその素敵な場所で、何組もの恋人たちの仲を取り持ちました」
「いいね。オーガスト国の観光地に行けば愛が実る―――なんて噂が流れれば、特に」
そう言ってニヤリと笑うディランは、やはり国の発展を第一に考えているようだ。
言い換えれば、リーテアの《愛の魔女》としての力を存分に利用しようとしている。
それでもリーテアが嫌だと思わないのは、力を使えることが嬉しいからだ。
コホン、とライアスが小さく咳払いをする。
「彼女の力をどう効率的に役立てるかは、まだ考えるには早いです。……そもそも、魔女の優遇制度がいつから始まったかご存知ですか?」
「それは……ごめんなさい、知らないわ」
「現在の国王陛下が即位して、すぐです」
「えっ?」
リーテアは思わず驚きの声が出た。
記憶が確かなら、国王が即位したのは三十年は前のはずだ。
「そんなに前からなの?そんなに前から、魔女依頼受付室の状況は何も改善してないってこと?」
紺の長い髪をボサボサにし、疲れ切った顔で笑うニールの顔を思い出したリーテアは、思わず眉を寄せていた。
ニールがあそこで働き始めたのはいつからか分からないが、三十年も職員の数が足りないというのは、どうしてなのだろうか。
「勘違いしないでください。魔女への仕事依頼が始まったのも、それに関わる部署が出来たのも、僅か五年ほど前からです」
ライアスがそう言って、一枚の紙をリーテアの前の机に乗せた。
それは、年表のようだった。
確かに五年前の出来事の欄に、丁寧な字で“魔女への仕事依頼開始。魔女依頼受付室発足”と書かれている。
そして、リーテアはそのすぐ下にあった文字を読んだ。
「……優遇制度に、ディラン殿下の婚約者候補の資格を追加」
「そうだよ。その条件を呑む代わりに、俺は魔女へ仕事を割り振ることを要求した」
ディランがソファにもたれかかる。
その言い方で、魔女を婚約者にと望んだのはディランではないことが分かった。
(……殿下じゃないってことは、魔女を婚約者候補にすることを決めたのは…やっぱり、国王陛下だと思う。でもそれを今、口にしてもいいのか分からないわ)
ちら、とリーテアは様子を伺うように視線を向けた。その視線の意図に気付いたのか、ディランが笑みを零す。
それは、とても冷ややかな笑みだった。
「そうだ、これだけは先に言っておこう」
「……なんでしょうか」
「俺は、父親が嫌いだ。それから、もういない母親もね」
滑らかに発せられた言葉には、紛れもない悪意の感情が乗っていた。




