15.愛の力
―――ディランの、母親。
それは、亡くなったと言われている王妃のことを指すはずだ。
それならば、ディランの手にあるくたびれた封筒は、生前の母親からの手紙ということになる。
なのに、どうしてそんなに恨みのこもったような目をしているのか。
その理由が分からないリーテアはただ、黙って次の言葉を待つ。
すると、ディランはくすりと笑った。
「……君は、何も訊かないんだね」
「……殿下がお望みとあらば質問攻めにしますが、自ら厄介事に首を突っ込もうとは思いません」
「ふはっ、正直者だ」
失礼なことを言った自覚があるが、何故かディランは楽しそうに笑っている。先ほどの冷たい眼差しが嘘のようだ。
「リーテア。君はこの手紙が厄介事だと、そう思うんだ?」
「……殿下の表情と、発言を止めようとした側近の方の様子を見れば、誰でもそう感じると思います」
リーテアは同じソファに座るライアスを見る。苦々しい顔をしたライアスは、ディランをひたすら睨んでいた。
「殿下。何を考えているんです?もうこれ以上不要な発言をしたら、確実に面倒なことになりますよ」
「そうだな、面倒なことになりそうだ」
「それが分かっているなら、さっさとこの魔女を追い出してください。この人がいると、いつも想定外なことが起きるので」
ライアスの鋭い視線が、今度はリーテアへ向く。
完全なとばっちりを受けた気がするが、リーテアはここぞとばかりに便乗することにした。逃げるなら今しかないと、そう直感したのだ。
「そうですね、早く私を追い出してください。その封筒は見なかったし、何も聞かなかったことにしますから」
うんうんと頷きながらそう言うリーテアを、ディランは微笑みを浮かべながら見ている。
その瞳はまるで、獲物を狙う鷹のようだ。
「リーテア。君は不思議な魔女だ」
「………ど、どういう意味ですか?」
「面倒事を起こされてもいいと、むしろ見てみたいとさえ思わせてくれる」
リーテアは固まった。早くこの場から逃げろと、頭の中で警鐘が鳴る。
思わず立ち上がろうとしたリーテアより先に、ガタンと音を立てて立ち上がったのはライアスだった。
「いい加減にしろ!」
その大声に、リーテアは驚いて目を見張る。
少なくともリーテアの中で、ライアスはここまで怒りを露わにする性格ではないと思っていた。
「お前はっ…、俺とアシュトンが今までどんな思いでお前のそばにいたか、知っているだろ…!?」
それは、とても悲痛な叫びだった。
視線をずらせば、同じように顔を歪めているアシュトンがいる。
そして、ディランもまた、悲しげに瞳を揺らして二人を見ていた。
(ああ―――そうだったのね)
リーテアはふと、気付いてしまった。
ディラン、ライアス、アシュトンの三人が、お互いを大切に想っていることに。
そしてその“想い”こそ、《愛の魔女》であるリーテアにとっての存在意義で、大切なものなのだ。
(勝手に魔法を使ったら、怒られるかしら…)
そう思いながらも、リーテアは力を使うことを躊躇わなかった。
今の状況は、間違いなくリーテアの勘違いが生み出してしまったものだ。
そこで仲の良いであろう三人が喧嘩をする姿を見ることは、リーテアが願っていることではない。
本来なら《愛の魔女》は、どこかで隠れて対象者に力を使う。決して表立って使う力ではないからだ。
そして理由がもう一つある。
力を込める際に、髪の色が輝きを放ち変わってしまうからだ。
つまり―――とても目立つ。
「……リーテア?」
祈るように胸の前で手を組み、瞼を伏せたリーテアの耳に、戸惑ったようなディランの声が届く。
それはそうだろう。リーテアの赤い髪が、突然瞳と同じ金色に変わっていくのだから。
「……何をするつもりですか?」
「リーテアさま?」
ライアスとアシュトンの声にも、不審感が滲み出ていた。アシュトンが護衛の役割を果たそうと、剣を抜く音がする。
それでも構わず、リーテアは集中した。
三人以上に同時に力を使ったことは、今まであまりなかった。
ロゼがいればもう少し楽に力を出せるのに、と黒猫の姿を思い出す。
けれど、ロゼがいたらこの場で力を使うことを許されなかったかもしれない。
(ロゼは、ディラン殿下と眼鏡の側近のことを良く思っていないしね。……それでも私は、《愛の魔女》として誇れる行動をしたい)
リーテアはスッと瞼を持ち上げる。
どこからか暖かい風がふわりと舞い込み、ディランたちの背中を優しく撫でた。
「…………」
静寂が訪れる。
三人はそれぞれ目を丸くしながら、お互いの顔を見合っていた。
「………今、の、は…?」
ディランが呆けた顔で絞り出した言葉に、リーテアはあれ?と首を傾げる。
想像していた展開にならなかったのは、力が足りなかったのだろうか。
「ええと…《愛の魔女》の魔法です。皆さん、こう…ぶわっと親愛の情が湧き上がったりしませんでしたか?」
「親愛の情……これがですか?なんていうか、心の中心に蝋燭の火が優しく灯るような、不意に泣きたくなるような…」
アシュトンが胸元を押さえながら、とても詩的な感想を漏らす。
自分の力が他人にとってどう感じるのか、リーテアは今まで聞いたことが無かった。なので、なんだか嬉しくなってしまう。
「ほ、他には?どんな感じだった?私の予想だと、皆が熱い抱擁を交わして、絆を確かめ合う感じだったんだけど…!」
リーテアはわくわくしながら立ち上がり、ディランとライアスにも目を遣った。
実際に、想い合う人たちの喧嘩の仲裁で力を使うと、お互いに謝罪して抱き合う…という流れが一番多いのだ。
てっきりこの三人もそうなるかと、リーテアは思っていたのだが。
ライアスはいつの間にか眼鏡を外し、目頭を押さえている。
「……どんな感じと問われましても、ちょっと、これは……」
「勿体ぶらないで教えて!私、いつも陰ながら力を使うから、感想をもらったことがないのよ!」
「感想というか、これは……思ったより危険だということが分かりました」
「き、危険!?」
どうしてそんな感想が飛びててくるのか分からず、リーテアは咄嗟にディランを見た。
目が合うと、ディランは蕩けそうな笑みを浮かべる。この場に女性がいたら、間違いなく全員が卒倒していたであろう笑みだった。
リーテアも思わず全身の力が抜けそうになり、なんとか踏みとどまった。
それでも、再び頭の中で警鐘が鳴り響く。
(……う、嘘でしょ。逃げなきゃって思うのに、足が全く動かない…!)
視線が逸らせず、ディランの新緑の瞳にこのまま吸い込まれてしまうのかとリーテアは思った。
笑みを浮かべたまま近付いてくるディランから、もう逃れられないと悟る。
「………リーテア」
「……………」
「《愛の魔女》リーテア・リーヴ」
「………は、はい」
フルネームで名前を呼ばれ、リーテアは震える声で返事をした。
ディランが目の前で立ち止まる。
整った顔がゆっくりと耳元へ近付き、銀色の髪がさらりと頬を撫でた。
心臓がどくんと大きく跳ねると同時に、艶のある声が鼓膜を震わせる。
「俺は―――君が、欲しい」
リーテアはついに、その場に膝から崩れ落ちた。幸い、ソファに座りこむ形になる。
これに耐えられる女性がいるのなら会ってみたいと、本気で思った。
自慢ではないが、リーテアは男性経験に乏しかった。
《愛の魔女》であるが、自身の愛には恵まれない。……特に男運が、とても悪かった。
(―――どうして、こうなっちゃうの?)
力無く見上げた先には、悪戯な笑みを浮かべるディランが立っていた。




