12.使い魔ロゼ
城下街にある噴水広場のベンチに、リーテアは腰掛けていた。
ぼうっと空を見上げては、突然ハッとしたように辺りを見渡している。
そしてまたため息を吐き、空を見上げるのだった。
そんなリーテアの様子を、使い魔のロゼとアシュトンが、少し離れたところから見ていた。
「……リーテアさまは、何を?」
「………」
アシュトンは心配そうに眉を下げていた。それが演技ではないことが分かるから、ロゼは彼の前に姿を現したのだ。
魔女の使い魔は、通常は魔女にしか姿が見えないし、声も聞こえない。
それは、はるか昔から続いてきた魔女と使い魔の不思議な絆だった。
使い魔に寿命は無い。
けれど、その存在が消えてしまうときがある。使い魔と魔女の契約が無くなったときだ。
《愛の魔女》と最初に契約をしたロゼは、その力を受け継ぐ魔女と代々契約を続けてきた。
魔女の力は、その子どもに受け継がれる。子どもが産まれた瞬間、魔女は普通の人間になるのだ。
それでも、自身の特別な力を後世に残すため、伴侶を探し、子を身籠る。それは魔女が生まれ持つ本能とも言える。
魔女の子どもは、ほぼ女児が産まれる。魔女の力は、女児にしか受け継がれないのだ。
力を後世に残したいという強い意志からか、不思議な力があるからか、魔女から男児が産まれたという記録はほとんど無い。
ここから少し離れた小国で、ロゼは産まれてきたリーテアの顔を初めて見た。
リーテアの前の《愛の魔女》……つまりリーテアの母親は、出産してすぐにリーテアを自身の母親に預け、父親と共に行方をくらませた。
よって、リーテアは祖母に育てられ、両親の顔は一切覚えていない。
リーテアの祖母は、かつて《愛の魔女》だったときロゼと仲良くしていたが、力を失ってからは姿を見ることが出来ない。
けれど、毎日のようにロゼに話し掛けてくれた。
『ロゼ、見てごらん。リーテアはこんなに可愛いわよ』
『早く一緒に遊べるのが楽しみねぇ』
『私がいなくなったら…リーテアのこと、よろしくね。この子に“愛”を教えてあげて…』
やがて、リーテアの祖母は亡くなった。リーテアはそこから気丈に振る舞い、自らの力で人々に“愛”を与えることを惜しまなかった。
「……僕は、もう何十人もの《愛の魔女》の使い魔として生きてきた。その中でも、リーテアは別格だよ」
「別格…」
「《愛の魔女》として産まれ、その力を嘆く魔女は多かった。自分のために使える力じゃないからね。……でもリーテアは、他人のために力を使えることが何より嬉しいんだ」
両親からの“愛”を知らない魔女。
それでも、誰かのために力を使い愛を与え、幸せそうな姿を見るのが好きと言って笑う。
そんなリーテアをロゼはすごいと思うし、リーテア自身も幸せに生きて欲しいと願わずにはいられなかった。
けれど、産まれてから過ごした小国で、ロゼの願いは叶わなかった。
その国の王子に、リーテアは酷く傷付けられたのだ。
だから、魔女の優遇制度のあるオーガスト国へやって来た。
リーテアは新しい地で、新たな一歩を踏み出そうとしていた。それなのに。
ロゼはアシュトンをじろりと睨む。
「君の主は、リーテアを利用した。《愛の魔女》としてではなく、“ただの魔女の一人”として」
「…………っ」
「ただでさえ、役立たずだの何だの言ってくる眼鏡男もいるし?リーテアの《愛の魔女》としての誇りはボロボロだよ」
大きくため息を吐いてから、ロゼはベンチに座るリーテアに視線を向けた。
「……それでも、リーテアは諦めない。城へ行くことは出来なかったけど、ああやってこの城下街に暮らす人々に目を向けているんだ」
《愛の魔女》は、人と人との間にある想いを繋ぐ存在だ。
困っている人間を、一目で見分ける力があるわけではない。ただ、その小さなサインを感じ取ることはできる。
それを見逃さないよう、リーテアは感覚を研ぎ澄ますのだ。
「空を見上げてぼーっとするのが、一番誰かの想いが耳に届く方法なんだって。リーテアらしくて笑っちゃうよ」
「……つまり、リーテアさまは…あそこで《愛の魔女》としての仕事をしているということですか?」
「そうだよ。誰にでも出来る雑用なんかじゃなく、《愛の魔女》であるリーテアにしか出来ない仕事をね」
嫌味を込めて放った言葉に、アシュトンは苦々しそうに端正な顔を歪めた。その反応を見て、ロゼはくすりと笑う。
「君って、最初に比べたら魔女に対する敵意は薄れたよね。……魔女っていうか、リーテアに対する、か。それはどうして?」
「……それは…、リーテアさまが、俺が今まで見てきた魔女と違ったからです」
「そう。それが分かってるならいいよ。あの眼鏡の側近より、君はマシ」
「眼鏡…ライアスのことですか?」
「いいよ名前は、リーテアの敵の名前は覚える気ないから。君の主の名前もね」
アシュトンは僅かに眉を動かした。纏う空気がヒヤリと冷たいものに変わり、ロゼは内心で感心していた。
主を馬鹿にされたと感じたのだろう。その忠誠心は本物だと判断する。
「……アシュトン、だよね。僕は君を敵だとは思わない。昨日リーテアを庇ってくれたのは事実だからね」
「あれは……ディラン殿下の指示です」
ハッキリとそう答えたアシュトンに対する好感度は、ロゼの中で今のところ良い。だからこそ。
「なら、その殿下には僕が敵だと判断しないよう、もっと頑張って欲しいところだね」
「……俺からは何も言えません」
「いいよ別に。僕がこの目で見たことが真実だから」
ロゼはすくっと立ち上がると、リーテアを目指して歩き出した。
アシュトンが慌てたように木の陰から顔を出し、同時にリーテアがこちらに気付く。金色の瞳が大きく見開かれた。
「……ロゼ?……アシュトン!?」
リーテアが駆け寄って来て、ロゼの両脇に手を入れて持ち上げた。そのまま定位置の肩に乗せられたロゼは、リーテアにボソリと耳打ちする。
「家に来たから、連れてきた。大丈夫、この男はちゃんとリーテアを見てくれてるよ」
「……ありがとう、ロゼ」
リーテアがロゼを撫でる。ロゼはリーテアの温かい手のひらが好きだった。
アシュトンはどう言葉を発すればいいのか迷っているように、口を開いたり閉じたりしている。
「リーテアさま、その…」
「ごめんねアシュトン、無断で休んだりして。ディラン殿下に連れ戻すように言われた?」
「……違います!俺がここに来たのは、ニールさんの要望です。リーテアさまの人柄と仕事ぶりを気に入っていると…」
「そうなの?ニールが?」
リーテアは目を丸くしてから、可笑しそうにくすくすと笑った。
ロゼは長髪の陽気な男性の姿を思い出す。ニールは最初からリーテアに好意的だったことから、ロゼの中では“とりあえず信用できる”カテゴリに分類されている。
「今日は一組だけだったけど魔法を使えたし、満足したわ。明日には必ず行くと伝えてくれる?」
「はい。その…いろいろと、すみませんでした」
アシュトンは小さくそう言って頭を下げた。近くを通り過ぎる女性たちが、何事かとちらちらと見ている。
リーテアは一度目を閉じ、すぐに開くと首を横に振った。
「アシュトンが謝ることじゃないわ。私も大人げない行動を取ったしね……顔を上げて。アシュトンはまだ、私の護衛なの?」
「……はい」
「良かった。また明日からよろしくね、アシュトン」
リーテアが柔らかく微笑む姿を、太陽の光が優しく照らす。
鮮やかな赤い髪に、輝く金色の瞳。
《愛の魔女》に受け継がれる容姿は、魔女の中で一番美しいと、ロゼはそう思っている。
「……リーテア。明日から僕もついていくから」
「本当に?嬉しいわ」
パッと顔を輝かせたリーテアを見て、ロゼは小さく笑う。
リーテアがまだ小さな頃から、一番の味方でいると、そう決めていた。
―――『ろぜ!だぁいすき!』
幼かったリーテアの温もりを思い出し、ロゼはまた笑うと、柔らかい頬に擦り寄った。




