第8話 男装
天使に命令されながらの作家活動というのは、想像以上にストレスだったが「ヤクザの花嫁〜鬼と極める悪の道〜」の評判はとても良く、ネット書店の酷評レビューは全くついていない。
売上げはさほど良くなく、一巻打ち切りが決定したが、文芸評論家や書店員からの評判がよく、ジワジワと在庫が動いているという話だった。お陰でライト文芸レーベルで次回作の話が早々と決まり、企画書を提出するように言われた。今回は編集者から大まかなリクエストもあり「古き良き少女風でありながらネット小説らしいライトさもある作品を求む」という事だった。
美加はしばらく一人で考えてみたが、全くアイデァが浮かばない。今までずっと天使に依存しながら作品を作っていた影響で、自分一人で作る方法をすっかり忘れていた。それに編集者からのリクエストも難しい。
こんな良いとこどりを出来る設定など、虫が良すぎる。改めて商業として作品を作る難しさを感じ、胃も痛くなっていた。内科から貰った胃薬を飲んではみたが、劇的に改善された様子はない。最近は食欲もなく、体調も悪化していた。病院の検査を受けると異常は見つからず、医者に「ストレスでしょう」と言われるだけだった。
胃薬や野菜ジュースなどの健康食品をとりながら、なんとなく体調を保っているというのが現状だった。
「バアル、来てよ。アイデアが浮かばない」
天使を呼ぶのは、あまり気が進まなかったが、結局呼んでしまった。天使は、いつものように薄笑いを浮かべながらやって来た。
「よぉ、美加。何か困ったのかい?」
ハツミツのように甘ったるい声だった。思わずその甘さに浸りたくなる。天使のルックスはやっぱりどう考えても美しい。絵から出てきた見たいだ。天使の姿を見るだけで美加の思考は少しづつ乱されていた。
「新しい企画が全く浮かばないのよ」
「はは、だったら俺を頼ればいい」
そう言う天使がとても頼もしく見えてきた。天使は時々怒ったりするが、やっぱり悪い存在には見えなくなってきた。
美加は事情を話し、新作のアイデアをくれるように頼んだ。
「いやだ」
「え……」
今まではアイデアをくれていたのに、一体どういう事だろう。予想外の解答に美加の表情は強張っていた。
「今まではタダで教えてやったが、今回は俺とて難しい案件だよ」
「そんな」
美加の目の淵には、涙が溜まっていた。ここで天使が去ってしまったら、どうすれば良いのかわからない。最悪、作家業も廃業するしか無いのか。そんな不安も心に満ちた。
「どうすればいいの!」
「まあ、そんな慌てるなって」
天使は平然とした顔をしながら、こう提案してきた。
「何でもいい。動物の死骸を持ってこい。ただし、肉屋や魚屋、スーパーで売ってるものはダメだ。美加自身が首を絞めて持ってこい」
「そんな」
美加は絶句した。そんな事はできるのか?
「そもそも何でそれが必要なの?」
「生贄ものの『龍神様の花嫁』を一緒に作った時に教えてやっただろ。見えない霊的な存在は、人が何かを捧げなと動かないのさ。人間の努力や実力もけっこうだ。ただ、それだけでは足りない。大きく成功する為には見えない霊的存在が必要なのさ」
確かのその作品を作った時に天使がそんな事を言っていたのを思い出した。当時はファンタジー世界の創作した設定だと思っていたが、こうして天使に言われると事実のような気がした。
「わかったわ。何でもいいんでしょ」
「おぉ、美加は物分かりがいいね〜」
天使は歯を剥き出しにしながら笑った。
こうして隣の部屋で飼っていたハムスターの首を絞め、天使の元へ持っていった。無断でペットを飼っている事がバレたら、隣人も困るだろう。そんな計算も働いて、ハムスターを殺す事にした。
不思議と罪悪感は持たなかった。それよりも企画書を提出する締切日の方が怖くなった。
こうして天使からアイデアを貰った。
アイデアは騎士団にヒロインが男装して入る逆ハーレムものだった。タイトルは「身代わり姫の初恋〜男装したのに騎士団長から溺愛されています!〜」だった。
当然のように企画が通り、天使と一緒に作品を作った。
この作品は読者にかなり受けてしまい、コミカライズも人気漫画家に担当して貰った。コミカライズの広告が頻繁にネット上に流れ、数えきれないぐらい重版され、あっという間に100万部を超えてしまった。