第10話 不倫
美加の本は売れ続けていた。
ついに「身代わり姫の初恋〜男装したのに騎士団長から溺愛されています〜」のアニメ化が決まってしまった。
ただ、原因不明の体調の悪さは全く消えず、むしろよく貧血や頭痛を起こすようになっていた。痛み止めを飲んで何とか誤魔化している生活を続けてはいたが、根っこの原因は何も変わっていないように思った。
とはいえ、成功しているのは事実だった。美加はもう天使に逆らうのは諦めていた。むしろこのまま従った方が良いとすら思っていた。
最近は漫画原作の仕事も舞い込んだ。多忙を極めてはいたが、元々人の顔色を伺って断れない性格の美加は、原稿料が格安にも関わらず受ける事にした。
担当編集者からの依頼は「ネット広告映えするような既婚女性をターゲットにした恋愛もの」だった。
考えては見たが、ちっとも思いつかない。
美加は台所にいたネズミを一匹捕まえて首を絞めて天使に差し出した。
こうすれば天使が喜んで良いアイデアをくれると考えた。
ネズミ一匹殺すぐらいでは全く罪悪感を感じなくなっていた。それどころか、天使を喜ばせたいという感情も心の底にあった。そういえばカルト信者は教祖の予言が外れると無理矢理正当化し、より教団に心酔するらしい。これも一種のストックホルム症候群のような心理なのかもしれない。今はカルト信者のそんな気持ちが理解できてしまった。無理矢理自分の行為を正当化し、天使を喜ばせたい。
「ネズミかよ」
「ダメ?」
天使はネズミに関してはあまりお気に召してはいなかった。喜ばせる事が出来ず、じわじわとと自尊心を傷つけられる気がした。
「本当は人間の死体を要求したいところだが」
「は?」
それを聞いて背筋が凍る。明らかに冗談ではなかった。
「まあ、それはまだいいさ。次は不倫ものを書いてもらおう」
「不倫ね」
なぜかあまり予想外ではなかった。むしろ、そう言われるように気がしていた。
だんだんと天使の意図が見えてきた。
BL小説を作っているとき、邪神の話が出ていたが、どうもこの邪神を怒らせる行動を取れば取るほど成功できるというカラクリらしい。
こんな風に動物の死骸を差し出すことも、きっとそうだ。
天使にとっては動物の死骸などは価値が無いはずだ。ただ、それに至る行為で邪神を怒らせる事の意味があるように感じた。
そう思うと辻褄があう。
今まで天使に命令されて作った作品も邪神の心情を逆撫でするものだったのだろう。
なぜそうすると成功するかは謎だが、世の中はそういった成功法則で動いているようだ。もしかしたら美加自身が天使とこうして話している事も邪神の心情を逆撫でているのかもしれない。
なんとなく不倫ものは書けと言われるような気がした。
「天使は何でそんなに邪神を恨んでいるの?」
「だって本当は天使達が神様になれるぐらいの実力があるんだ! 邪神から神の座を引きずり下ろしてやる!」
その声は怒りや嫉妬という感情が滲み出ていて、とても天使の声には聞こえなかった。
再び天使と一緒の不倫ものの漫画原作を作ったが、だんだんと怖くなってきた。
もし本当の人間の死体を持ってくるように要求されたらどうしよう。
もう自分は天使と契約しているし、破棄できない。
今後、何を要求されるかはわからない。
体調も良くないし、美加はだんだんと自分が何をしているのか理解し始めていた。
そもそもあの男は天使?
見た目は綺麗だが、それだけだ。美加の心を満たしたり、救う事は無い。
成功は手に入れたが、自分が書きたいものは一文字も書けていない。
「あのさ。もうアニメ化の夢も叶ったし、もう良いよ。アドバイスくれなくても」
美加はついに天使との関係を打ち切る事に決めた。
最初は天使も素直に引き下がったかに思えた。
その夜夢を見た。
頭にツノを生やした悪魔が美加の首を絞める夢だった。
鬼のような面相の悪魔だったが、天使が怒った顔と大差ない。むしろ、同一人物にしか見えなかった。
「助けて、誰か」
しかし、誰かが助けてくれるわけもない。ベッドの上で冷や汗を流すだけだった。
翌日、身体を見たらあちこちアザまでできている。金縛りにもあっていたようで、とにかく恐怖心しか感じない。身体も痛くて仕方ない。
すぐに天使を呼び出し、途中までになっていた不倫ものの漫画原作をしあげた。
タイトルは「あなたは光の天使〜禁断の愛に溺れる666日〜」だった。内容は冴えない主婦と殺人犯によるサスペンス風味の不倫ものだった。暴力や死体の描写も多い。表紙はヒロインの身体に蛇が巻き付いている絵になった。美加は何もリクエストしていないが勝手に決まった。これを見て天使はとても満足していた。
なぜタイトルの666日なのかは不明だが、天使のよるとラッキーな事が起きる縁起の良い数字だという。
実際、この作品は漫画になるととても人気が出てしまい、ネットでも頻繁に広告が流れて、200万部以上の売上げを記録してしまった。