第84話 ミートパイをくれたから
「は?」
レネゲイドは鳩が豆鉄砲を喰らったような情けない声と顔をしながら、回転していた。
もはや今の彼に為す術はなかった。
何故なら、気付いたのは既にオーバードライブを喰らった後だったのだから。
黒い斬撃がレネゲイドを一刀両断した。
斬られた瞬間、レネゲイドと周りの空間に歪みが生じる。
一筋の黒い光が周りの空間、景色を引き裂き、徐々にズレ初めた。
「あ、あっ……」
レネゲイドは口をパクパクと餌を求める金魚のように開いたり閉じたりしながら、目を見開いていた。
彼の身体は左肩から斜め袈裟斬りにされ、体が分断されていた。
しかし出血はしておらず、一瞬で絶命している様子はなかった。
切断されていたのは、レネゲイドだけではない。
書庫が、ビルが、空が、景色が一刀両断されていた。
天井の空間が左斜め下に切断されている。
やがて次元のズレは元に戻り始め、オーバードライブの黒い斬撃により発生した次元の裂け目は自己修復し、元の景色へと戻った。
戻ったと同時に、ドサッと大きな音を立ててレネゲイドは床に落ちた。
レネゲイドの身体は胴体と下半分の二つに分かれていた。
空間は戻っても、彼の身体は切断されたままだった。
「な、にが…どうい…う……」
レネゲイドは自分が斬られたという事実を受け入れられず、仰天めいた顔で何が起こっているか理解していなかった。
「お前が負けたのには二つ原因がある」
アルカンカスがビタビタと打ち上げられた魚のように跳ねているレネゲイドを見下げながら言う。
「お前はさっきの俺の『下手な小細工は無しだ』と言った。お前はその俺の言葉をまんまと信じたな。敵の言葉を信じるなど愚行も良いところだ」
そう言ってアルカンカスが鼻で笑いながら言うと、レネゲイドは顔を赤くさせながら歯軋りをする。
だが、力があまり残っていないのか、直ぐに怒りを沈める。
沈めるというよりも、身体が感情を強く出す事すらも耐えきれなかった。
「そしてお前は俺のオーバードライブをその場では一回だけしか使えないと思い込んだ」
「…あの技は、歴代のゲンジの中でも…全員が一度しか使えなかった大技のはず。どうやって……」
「俺の生まれつきの魔力総量が多い、と言いたい所だが…生憎俺は人並み以上あるだけだ。お前のように魔力分身を何十体も作れるほど俺の魔力は万能じゃない」
アルカンカスは倒れているレネゲイドに自身のライトブレードの黒い刀身を上からかざして見せた。
「だが、俺のライトブレードは敵の魔力を奪う能力がある。さっきお前の分身を斬って剣に吸い取らせていたんだ。気が付かなかったのか?」
アルカンカスの解説にレネゲイドはハッとした顔になる。
彼が魔力分身を串刺しにした後、あれは魔力が原子に還ったのではなく、アルカンカスの剣に吸収されていたのだ、と気づいたレネゲイドは悔しそうに顔を歪めたが、顔から力が抜けて無表情になる。
「完敗だ。搦め手、小細工、奇襲、全力を出しても俺は貴方に勝てなかった。今の貴方は昔とは違う腑抜けだと思い込んだ時点で、俺は既に負けていたんだ」
レネゲイドは自分の意識が少しずつ遠くなっていく事を感じながら今言うべき事、言わなければならない事を口に出していた。
「…でも惜しいな。どうして……あの女を助けにきた?」
レネゲイドは呟く。
声色は落ち、がっかりしたようなトーンだ。
「どうして、塵芥のような人間達とつるんでいるのですか?そいつ等は人間の中でもゴミやカスに当たる分類だ……」
「へ、散々な言い方だなオイ。切り方間違られたピザみてぇな奴が言うセリフかね?」
サビターは肩を上下させて小馬鹿にするように両手を上げて言う。
「確かに、お前の言う事にも一理あるな。そこにいるサビターは特に人間的にはゴミのような性格と言っていい」
「おい」
「しかも俺のような店員を奴隷と言い放ち酒を飲みながらふんぞり返る始末だ。正直言ってひき肉になるまで斬り刻んでやりたいと思う事もある」
「この黒髪ロングのアリーシアもどき野郎が。店長兼オーナーの俺様の目の前で言うとは良い度胸してんな。頭をポップコーンみてぇに吹き飛ばされたいのか?」
サビターが青筋を立てて腰のホルスターに掛けている銃に手を伸ばそうとしていると、「だが」とアルカンカスは訂正をする。
「だが……俺も俺でクレインが死んだ後ゴミのような人生を歩んできた。生きているのか死んでいるのかわからないような、そんな人生だった。最後は無銭飲食と暴行で牢屋の中で終わりにしようと思っていたんだが……」
レネゲイドは怪訝な顔でアルカンカスを見る。
そんな彼の顔を見ながらアルカンカスは口角を上に上げ嬉しそうな笑みで微笑む。
「そこにいるゴミ店主の仲間の少女がな、俺にミートパイをくれたんだ」
「……それだけ、ですか?」
レネゲイドはぽかんとした表情で聞く。
アルカンカスは「そうだ」と言う。
「友達も愛する人もいない、エゴだらけの欠陥人間でどうしようもなくて、心に穴が空いた上に腹が減っていた俺にお前の言う塵芥の奴等が笑顔で食卓に誘ってくれたんだ。命を懸けない理由はないだろ?」
白い歯を見せながら先程とは違う悪辣な笑みとは別の、迷いのない爽やかな笑みを浮かべるアルカンカスに、レネゲイドは「なんだよそれ……」と困惑の表情を浮かべた。
「それで……どうした?負けでも認めるか?昔のお前は手も足も出なくても俺に喰らいついてきたのにな」
アルカンカスがそう言うと、レネゲイドは「え?」と言葉が漏れ出た。
「俺の事、覚えていたんですか?」
「ああ。お前はしつこい男だった。だが剣の腕は俺に勝るとも劣らないほど成長した。俺のどこに憧れを見出したのかはまるで分からんが、お前は俺の背中ばかり見ていたな。だからこんな事になったんだ。お前は追うべき背中を間違えたんだ、バカ野郎が」
アルカンカスの目は哀れみと後悔が混じった複雑な物だった。
自身の残虐で自己中心的な昔の生き方が原因で、才能ある有望な若者の未来を潰してしまった。
これもこれまでの己の罪過なのだと、アルカンカスは心の中で自分を責めた。
「いや…そうでもないみたいですよ……」
レネゲイドはアルカンカスの後ろ向きな言葉を否定した。
「憧れていた男とお互い全ての力を出して戦い、敗れる……こんなに満足できる敗北がありますか……?」
「…死んだら意味が無いだろう」
アルカンカスはため息と言葉を混じらせながら言う。
「死んでも、俺という人間が貴方の記憶に残る。世界で一番尊敬していた男の記憶に死ぬまで刻み込まれるんだ。ただ惰性で生きるよりもよっぽど意義のある事だ……!」
レネゲイドの意識が更に遠くなり目も霞んで周りが見えなくなっていたが、彼の目には火が灯っていた。
そして、言葉には熱が滲んでいた。
「貴方にクレインという男が呪いのようにこべりついて離れないように、俺も貴方から離れることは無い。俺はようや…く、貴方、になれ……」
レネゲイドは最後の言葉を紡ぐことは無く、遂に魂の灯火が燃え尽きた。
彼の眼の光は完全に失われたが彼の死に顔は、満足した笑顔だった。
「全く、亡霊がもう一人増えたな……」
アルカンカスは、そう言って嗤った。
その嗤いは誰に向けていたのかは、本人にも分からなかった。
「ようやっと終わったか」
サビターがもたれかかっていた壁とおさらばし、アルカンカスに近寄った。
「全く、俺の店には偽名、しかも経歴詐称する奴が二人もいるとはな。こりゃあ次の店員雇う時は身辺調査も視野に入れるべきかもしれねぇなぁオイ」
アルカンカスの肩に手を置き、自身の体重をかけながらサビターは語り掛ける。
「すまなかったな」
アルカンカスが小さくぽつりと呟いた。
「ヴァンガードとしてのこれまでの人生は、俺にとっては汚点そのものだった。足ることを知らず、力を振りかざし、手を差し伸べてくれた親友の手を振り払って見殺しにした俺は、これまでの人生を否定して生きてきた」
「……」
アルカンカスの過去を振り返る告白に、サビターは黙ったまま聞いていた。
「自分の行いをずっと悔いたまま価値の無い人生を歩んできたが……もし、もし俺に二度目のチャンスがあるなら、俺は差し伸べられた手を掴みたい。そして、誰かが絶望の底に沈んでいたのなら、俺はその人に手を差し伸べたい。例え拒絶されても、その行為には意味がある」
アルカンカスは自身の両手を見下ろすとギュッと握り締め、力強い言葉でそう言った。
「あっそ。ゲンジの暴走天使のヴァンガード様の国際平和記念式典並の感動のスピーチをありがとうよ」
そう言ってサビターは皮肉を言って鼻で笑う。
だがその次の瞬間彼は落ち着いた声で「アルカンカス」と言って声を掛ける。
「あのバカ連れ戻したら、またミートパイ食おうぜ。ジンジャーラテも並べてよ」
そう言ってサビターは背中で語ると、エレベーターに向かう。
向かうは今回の全ての黒幕、雑草のいる最上階だ。
「待て、サビター」
アルカンカスがそう言って彼を呼び止める。
「俺は少し休憩してから行く。お前は先に行ってくれ」
「なんだよ、背中を少し引っかかれたくらいでもう疲れたのか?だらしねぇぜ」
「なに、こんなもの直ぐに治る。少し休んでからな」
「わかったわかった。だが早く来いよ。遅れたら雑草の野郎をリンチするお楽しみタイムがなくなっちまうかもしれねぇからな。ヒャハハのハ!」
サビターは仮面越しでゲスな笑い方をするとエレベーターに乗り込んだ。
サビターが乗ったエレベーターの扉が完全に閉まったのを確認すると、アルカンカスは両膝を地面に堕とし、力無く倒れ伏せた。
背中からは紅く熱い血が流れ、血だまりを作り、彼の手から滑り落ちたライトブレードの黒く輝く刀身の光が、塵となって消えて行った。




