第77話 スティンガー
「ふふふ、ははははははは」
アリーシアは笑った。
身体を動かさず、死んだセミのように横たえ、打つ手が完全に消えているのに、身体を満足に動かせないのにそれでも笑った。
「何がそんなに面白い?」
流石のチェンも、これには困惑の表情を見せていた。
戦いが楽しいのは分かるが、それは死ぬまでの過程が面白いからであってコイツはもう負けている。
反撃のチャンスなんてないのにどうして笑っていられるのかと彼は考えていた。
「はぁ……最ッ高♡」
アリーシアはそう言うと、力無く腕を上げて胸部に手を置き、親指を突き出して深く胸に突き刺した。
「くっふぅ……!」
自分で自分の胸を親指で押し込んだアリーシアは目を見開き、喘ぐように空気を取り込んだ。
瞳孔が収縮し、呼吸が乱れて喘ぎ、彼女の身体はガタガタと痙攣して震え出し、彼女の中で何かが起こっていた。
「何をする気か知らんが、そろそろ終わらせてやる」
チェンはそう呟くとアリーシアに近づき、人差し指と中指を突き出してアリーシアにまた秘孔を突いて攻撃しようとした。
その時、アリーシアの動きがピタリと止まった。
彼女の顔はチェンの顔を捉え、ニィ、と狂気的な雰囲気を孕んだ顔だった。
その次の瞬間にはパァン!と何かが始めるような音と共にアリーシアの姿が煙のように消え、チェンが壁際まで吹き飛ばされた。
「……!?」
チェンは何が起こったのか分からず、壁に叩きつけられても頭に疑問符を浮かべていた。
吹き飛ばされただけでなく、アリーシアを仕留めようとした彼の人差し指と中指が曲がってはいけない方に折れ曲がっていた。
「ぐぅ…!いつの間に俺の指を……!?」
アリーシアは道場部屋の中央に立ち尽くす。
彼女の身体から虹色の蒸気のような煙が吹き出す。
その虹はキラキラと輝く鱗粉のような物を放出し、まるでダイアモンドダストのようにも見える美しさだった。
「ア、アリーシア?お前大丈夫か?」
「あの色鮮やかな虹の蒸気、あれは魔力が身体の中で抑えきれず、外に噴き出ている。無茶な事を……」
アリーシアの背中しか見えないサビターは繊細な物に触れるかのように恐る恐るといった風に声をかける。
アルカンカスはアリーシアを心配と不安が混じった目で見守っていた。
「アハァ…♡」
サビターの声に気づいたアリーシアがゆっくりと振り向く。
彼女の瞳は熱っぽくうっとりとしていたのと同時に、これまでに無いほど煌めいている。
身体はじっとりと汗をかき、身体から虹の蒸気、魔力の蒸気を噴出していた。
「あ、ダメだコイツ。アルカンカスもう帰ろう。俺コイツと同じ場所にいたくない」
サビターは何か本能でヤバイと察したのか、エレベーターにすぐ近寄ってボタンを連打していた。
「楽しィィィィィィィィィィィィ!!!!」
アリーシアは恐るべき声量で腹から思いきり声を出し叫んだ。
アルカンカスはサビターの身体を抑えて無理やり引き戻した。
「離せやコラ!俺は帰るんだよ!」
「いい加減にしろ。ここまで来た目的を忘れたのか?」
「やだ!!俺あんなキチガイ女と一緒に居たくない!帰る!!」
「サビター、お前さっき自分が言った事もう忘れたのか?アリーシアにはガス抜きが必要なんだ、少しは付き合ってやれ」
「あれをガス抜きって言うのかよ!?あんなんただのキチゲ解放してるだけじゃねぇか!流石にあそこまでヤバイ奴だと思ってなかったわ!」
サビターはアリーシアを恐ろしい物を見るかのような目で見ている一方で、チェンは額から流れる血を手で拭いながらニヤリと笑った。
「そうか、それがお前の本性か……」
そう言って、チェンは両腕を突き出し、腰を落として構える。
「今まで歯ごたえの無い雑魚ばかり相手してきたせいで、戦う事がつまらない物だと錯覚してたけど…久々に死にかけて、ギリギリの戦いをして思い出したわぁ……」
アリーシアはジャージの上下を突然おもむろに脱ぎ出した。
「おいアイツ誰か止めろや!このままじゃ武闘大会からストリップショーになっちまうぞ!俺は別にいいけど」
「良いわけないだろ。だが、そうなることはなさそうだ」
「は?」
サビターが想像していた全裸観覧ショーになることはなく、アリーシアは白のチャイナドレスに衣装替えをした。
丈は短く、少し動くだけでスカートの下が見えそうな際どいデザインにサビターは鼻の下を伸ばしながら興味津々で見つめる。
「は~やっとすっきりした。ジャージってやっぱださいから、こういう動きやすくてセクシーな服が一番いいわね」
「うん、どうやってそんな服仕込んでたのか気になるけど、今はエロイからどうでもいいし、俺もそれでいいと思うぜ。さ、お前の本気を見せてちゃっちゃとそんなハゲ、かたずけチャイナ」
「さっきの発狂ぶりはどうした」
アルカンカスが首を傾げながら言う。
「どうやってあの死の秘孔を克服した?」
チェンは構えたままアリーシアに問いかける。
「あれは突かれれば全身に魔力が行き届かなくなり、苦しんで死ぬ秘孔だった。一体どうやって……」
「はぁ?そんなの、私が知らない技があるように、貴方が知らないとっておきの技を私持ってる、それだけの事でしょ?」
アリーシアはケロッとした様子で良い、チェン同様に拳を構えた。
「さぁ!殺り合いましょ!どちらかが死ぬまで!言っておくけど、今の私はさっきの100倍は強いわよ?」
「そうか。それは楽しみ…だな!」
先に仕掛けたのはチェンだった。
チェンは先程と同じく、空高く飛翔し、重力による落下速度も含めた飛び蹴りを仕掛けてきた。
「破阿ッ!」
アリーシアは顔を強張らせ、覇気のこもった声でチェンの迫り来る脚に上段蹴りをして逆に地面に叩き落とした。
「ぐあっ」
チェンは予想していなかった一撃を喰らい、苦悶の表情になる。
アリーシアは地面に倒れて起き上がろうとするチェンの頭を掴み、地面に叩きつけた。
「ぶっ!?」
「テメェの頭掴みずれぇなぁ!油ギトギトの真珠みてぇだぞ金玉野郎!」
何度も頭を地面に叩きつけ、頭を持ち上げた痕、アリーシアはチェンに膝蹴りをお見舞いし、顔面を思いきり殴り、吹っ飛ばした。
「なんだアリーシアの奴、今までみたいなお行儀の良い戦い方じゃないぞ。ありゃまるで格闘技齧ったチンピラみたいな戦い方だ」
サビターが眉を中央に寄せて怪訝な物を見る目で観察していた。
同じ事を考えていたのはサビターだけでなく、チェンも同じ様子だった。
「ら、楽心拳の戦い方じゃない。なんだ、この女の戦闘スタイルは……動きが読めない。俺が戦って来たどの流派にも当てはまらない……!」
チェンは焦りと動揺を隠せず、頭と鼻から血を垂れ流しながら困惑する。
「師匠からは楽心拳を叩き込まれたけど、私の性に合う戦い方じゃなかった。でもこんな戦い方したら相手はすぐに死ぬし、下品だから滅多に見せることはなかった」
「クソ……!」
アリーシアは狂気を孕んだ笑顔で答える。
今まで彼女は自分の本性を隠して上品な振る舞いをしてきた。
だがそれは彼女の自由を押さえつける鎖や枷でしかなかった。
その封印を、チェンはいたずらに解き放ってしまった。
「私は殺し屋スティンガー……殺人秘孔を極めた女。私に戦いを挑んだ以上、お前の死は絶対よ。覚悟することね」
アリーシアは流麗な動作で両手をなだらかに動かし、前に構える。
「ほら、もっと戦えるだろ?かかって来い!私は今欲求不満なんだ!お前なら私をスッキリさせられるだろ?どうなんだ!?テスティカル野郎!」
「ッ……!舐めるなァ!!」
チェンはアリーシアのヘラヘラした態度と言葉に遂に怒りを露わにし、血が頭に上り、顔を真っ赤にさせて突撃した。