第56話 だから君達は負けたんだ
セアノサスとの再会は突然だった。まだサビターがギルドを追い出される数週間前。ジョニーはその日は束の間の休日で、大衆レストランで一人酒と料理に舌鼓を打っていた。
店内は老若男女問わず沢山の客が飲んで食べて騒いでいた。酒の匂い、肉や魚などの焼ける匂いが充満し、長時間居れば服に匂いが染みつきそうな場所で、ジョニーは一人で黙々と食べていた。
ジョニーはプディングを食べていた。周りは肉料理や揚げ物などの油臭い物ばかり食べているというのに、ジョニーはちょこんとこじんまりとした皿に入っているプディングを小さくスプーンで割いて食べていた。
「相席いいですか?」
そんなジョニーに一人の女性が話しかける。その人物は藍色のコートを着ていてフードも被っていて顔は良く見えない。しかし声は高く、透き通るような綺麗な声の持ち主であることから女性であるとジョニーは予想した。
「ああ、構わん」
ジョニーは顔も見ずに女性にそう言うと、そのまま再びプディングを食べ始める。女性は「ありがとうございます」と一言いうとジョニーの真正面の席に腰を下ろして座った。
「この店はどこもかしこも席は埋まってて困ってたところなんですよ。助かりました」
「ここはいつも混んでいるからな。注文するにも席を取るにも一苦労だ」
「ええ、でも雰囲気は好きです。それにしても、プディングお好きなんですね」
女性は面白そうにそう言うとジョニーは「ああ」と言って返事をする。
「昔俺は軍にいてな、たまにこれが食べれる日があった。でも本当は全然好きじゃなかったんだ」
ジョニーが鼻で笑いながら語る。女性は黙ったまま聞いていた。
「あるバカが俺のプディングを奪おうとした。『要らないならよこせ。このカラメルかけ忘れたプリン頭がよ』、ソイツはそう言って俺をバカにしたんだ。俺は他人にならいくらでもやるんだが、ソイツにだけはどうしてもやりたくなくて維持を張って全部食べた。案外それが美味かったんだ。それ以来俺はこれが好きになった。それだけの話だよ」
ジョニーは思い出すように語る。しかしどこか面白そうに話す。フードを被った女性はくすりと笑いながら
「やっぱり貴方達2人は仲が良いですね」
「…?それはどういう──…」
ジョニーは女性の言葉の意味を聞こうとしたが、女性はフードを上げ、首の後ろに落とした姿を見て言葉を詰まらせた。信じられないものを見るかの様に瞳孔を開いて彼女を見た。
「お前は……!?」
「お久しぶりですね、ジョニーさん」
そこにいたのは、桃色の髪ではなく、青く美しい長い髪をたなびかせ、130センチほどの低身長だった少女の姿ではなく、160センチの成人女性の姿だった。
ジョニーその人物を知っていた。かつての部下、団員、親友の最も近く、傍に居続けた女性を。
「セアノサス!なのか……!?」
「ええ私です。それにしてもジョニーさん、少し老けましたね」
セアノサスは口元を手で隠しながら微笑む。十数年という月日は、セアノサスを少女から一人の麗しき女性へと変えた。
彼女は青い髪はそのままに、背は伸びて落ち着いた雰囲気を持っていた。ジョニーは突然の再会に脳が処理に追いつけず、呆然としたまま彼女を見ていた。
そして自分達以外の周りがおかしいことにも気づいた。いつの間にかジョニーとセアノサス以外に誰もいない。二人だけの空間と化していた。喧騒が止み、静寂しかないこの空間はまるで世界から隔絶された気分だとジョニーは感じた。
「なんだ、どうなっている……?」
「私の錬金道具の効果です。私達2人とそれ以外の空間を断絶させました。二人きりで話したかったので」
セアノサスは黒く四角い形状の道具を机に置いてジョニーに見せる。こんな小さな物で異なる空間を作った。ジョニーは面食らいながらも久々の仲間との再会に喜びの感情を表した。
「…そう、か。久々だな。元気にしていたか?」
しかし、ジョニーはどこから話していいか分からず、とりあえずは基本的なあいさつから始めた。
「ええ。色々ありましたが、錬金術は一通りサイラルクの元で学びました。今日はその事で話があって来たんです」
セアノサスは久々の再会に対してあまり語らず、早速本題に入り始めようとした。その表情は若干の焦りを見せていたが、今のジョニーではそれは見抜けなかった。何故なら彼の前には色んな疑問が一緒くたにして襲い掛かってきているからだ。
ジョニーは頷いて言うと、セアノサスはテーブルから身を乗り出し、ジョニーに近づく。
「遂に…見つけました」
セアノサスは目を輝かせながらジョニーに言う。そしてジョニーは彼女が何を言いたいのか直ぐに理解した。なぜなら彼女はずっとある目的にために修行と研鑽を重ねてきたから。
「サビターの治療法を見つけたのか!?」
ジョニーは愕然とした表情でセアノサスに聞く。彼女は頷いて彼の質問に肯定する。
「ようやくです。ようやくあの人の助けになることが出来る。時間はかかっちゃいましたが、もうすぐで……」
セアノサスは静かな口調で、しかし力のこもった声で言う。だが段々表情が曇り、暗い顔になってしまった。
「どうした、セアノサス。何か問題があるのか?」
「治療法及び治療薬の作り方は考案できたのですが、素材に問題があるんです」
「希少な物なのか?なら俺に任せてくれ。ギルドの人脈を使って探してみせる。名前を言ってみろ」
「その素材の名は【聖者の花】と言います。しかし、ニーニルハインツのギルドの力を以てしても探すことは叶わないと思います。その素材は、はるか昔に滅んでしまいました」
「……そうか」
ジョニーは口元をキュッと噛み締めた。十数年という時間をかけてまでセアノサスは探していたのに、あと一歩というところで壁が立ち塞がる。このままではサビターは本当に空っぽになってしまう。ジョニーは悔しさとやるせなさで拳を固く握りしめた。
「ですが」
セアノサスはぼそりと呟く。
「私はある噂を聞きました。ある裏社会の大物が聖者の花の複製を作ろうとしていると。男のあだ名は『雑草』…」
ジョニーはその名前に聞き覚えがなかった。ニーニルハインツギルドは国1番のギルドだ。そのギルドの頭ですら知らないということは相当闇に深く潜っているということであり、ジョニーは自分の未熟さを噛み締める。
「私は速やかにその人物と接触し、彼等のある計画に協力する代わりに聖者の花を譲り受けるという条件で私は……違法ポーションを作って彼に提供しています」
セアノサスは後ろめたそうに顔を伏せて言った。ジョニーはこの国の治安を守る王国直属ギルドのリーダー、そんな人物に自分は違法行為をしていると語るのはとても言いづらい事だった。
「なんだと?大丈夫なのか?何か酷いことはされていないか?」
しかしジョニーは彼女の予想を裏切った。咎めるでもなく、諌めるでもなく、セアノサスの身の心配をした。
「え?……ええ、所詮は利害が一致しているだけの関係。こちらからつつかなければ私に危害が及ぶことはありません。ですが、彼等はこの国で何かよからぬ事を企んでいる」
それがセアノサスにとっては意外な回答だった様で驚いた顔を見せたが、すぐに真剣な表情に戻って語る。しかしその目は憂いを帯びていた。
愛する人を助けるために今自分が行っている人道に背く行為をしている事について、セアノサスは罪悪感を感じていた。
だが彼女は今更止まるつもりはない。止まったとしてももう遅い。彼女はもう一線を超えてしまったのだから。
「そこでお願いがあります」
「なんだ?」
「私が聖者の花を手に入れるまでは『雑草』には手を出さないでください。彼はとても用心深い。もし彼が悟られれば聖者の花を手に入れる事ができなくなります」
「お前がこれ以上危険を冒す必要はない。後の事は潜入に適したドルソイやイアリスに任せろ」
ジョニーはセアノサスに提案するが、彼女は首を横に振り断る。
「雑草は基本的に他人を信用していません。彼が信用しているのは血の通っていない契約関係のみ。私が約束を守れば、彼も約束を守ります」
「だが下手をすればお前の命が……」
「承知しています」
セアノサスはキッパリとそう言った。一言だけだが彼女の目は本気だった。彼女の言葉と目を見て、ジョニーは唇を噛み締めながら目を瞑る。そしてしばらく悩んだ後、「わかった」と言って自分を納得させる様に肯定した。
「セアノサス、俺はお前を信じる。必ず聖者の花を手に入れろ。これは団長命令だ」
「…まだ私を団員と認めてくれるんですね」
「当たり前だ。お前がどこへ行こうと何をしようと何になろうと、お前は永遠に俺達の仲間だ。それだけは忘れるな」
ジョニーは真面目な表情でセアノサスに語りかける。
「……ありがとうございます」
セアノサスは伏せ目になりながら微笑んで感謝を伝える。それが危険な賭けに出ることを許可してくれたことによる感謝か、まだ仲間だと認めてくれていることに対する感謝か、いずれにせよ彼女は礼を言って明日から立ち上がる。
「もう行くのか?」
「ええ、これからやらなければいけないことがいくつもありますから」
セアノサスは再びフードを被り、ジョニーに背を向ける。その瞬間、2人きりの空間はなくなり、すぐに元いた騒がしいレストラン店内へと戻った。
セアノサスはジョニーに振り向くことはせず、ジョニーもまた彼女を目で追うことはしなかった。
ジョニーはセアノサスを信じた。今のニーニルハインツギルドの力をもってしてもサビターの治療法を見つけることはできなかった。
だがセアノサスはたった1人で見つけてみせた。彼女なら出来るかもしれない、そう思ったジョニーは彼女に選択を委ねた。
だが他人に何かを委ねることは弱さに繋がる。弱さを見せれば、一瞬で食い物にされる。だから君達は負けたのだ。
「……は?」
「どうなってるんだ!?」
「こっちが聞きてぇよ!なんで、なんで……!?」
「ニーニルハインツのギルドハウスが消えてんだよ!?」
人々は慌てふためき混乱していた。男も女も、軍関係者までもが唖然としている。大きく威厳のあるニーニルハインツギルドのギルドハウスは、空間を丸ごと削り取られたように忽然とその姿を消した。
人々は突然の建物の消失に驚きの表情と声を出さずにはいられなかった。
「ニーニルハインツギルド消失、いつでも開始できます」
私の元に現場にいた部下から連絡が届いた。主戦力の傭兵達は彼女の力で消し飛ばしたことだし、いつでも計画を始動できる。
「いやはや、やはり君の力は素晴らしい!あれほど目の上のたんこぶだった彼等を一瞬で消してしまうとは。やはり君を雇って正解だった」
私は満足げに頷き、彼女を見る。私と彼女は会社のビルの最上階で実際にギルドハウスが消えた事を確認しながらワインを飲む。
私はウキウキして仕方がない。だが彼女は無表情で虚ろな目をして私に目を合わせない。相変わらず彼女は無愛想だが、仕事は必ず完璧にやり遂げてくれる。
「君が彼等に与えてくれた偽の情報で幹部達は全員集まり、君の作った道具、【断空の箱舟】で建物ごと別次元に閉じ込める。最初に聞いた時は信じられなかったが、いざ実際に目にするとこれが現実なんだと思い知ってしまうよ」
「…これで私の仕事は終わりですよね」
「ああとも」
「なら約束の物を」
彼女はなおもぶっきらぼうに言う。しかし一流の仕事には一流の対価を支払うのが当然の事。私は手下に視線を送ると、私の意図を理解して部屋から出ていく。
「それで気分はどうだい」
「…何のことですか」
「仲間を次元の彼方へ消し去った感想だよ。あぁ、元仲間か」
私はそう彼女に聞いたが、彼女は私の質問に答える事はなかった。まぁ元々期待もしていなかったが。
「これからやる最後の仕事をすれば君と私の契約は満了、晴れて自由のみだ。期待しているよ?セアノサス・ブルーハート」
私は私のビジネスパートナーに、親しみを込めてそう言った。彼女、セアノサスは無表情だった顔を少し顰め、私を睨んだ。やっと私を見てくれたな。うれしいよ。
もう計画は始まっている。君達は気づくのが遅過ぎるんだよ。だから君達は負けたんだ。